前回のブログにも書きましたが、今一番ヤバいなと感じていることは
役所(職員)のポテンシャルの低下です。

厳しい財政事情が続く中、職員数の見直しで退職不補充が続いた結果、職場の職員構造は40代以下の"働く"職員数がきわめて少なくっており、その結果いくつもの仕事を兼務せざる得ない状態になっています。

そのような状態が長期化し、しかも賃金カット状態が続いているので、行政マンとしての若者の働く意欲は極めて低下してゆきます。

最近の若い職員は、単に安定雇用を求めて役所に入職したわけでなく、きわめて優秀で地域のために働きたいと思って役所に入った人は多いのですが、兵隊は少ないわ、業務は煩雑だわ、休みの日はしょっちゅうボランティアで祭りに駆り出されるわ、新規事業はことごとくゼロ査定では、誰だって働き甲斐は失くし、できるだけ自分の仕事を抱えこまないように身構え、市民に積極的に話しかけようなどと思わなくなります。

この状態がもし本当に、多くの職員が陥っている状態であるなら、郡上市の未来は限りなく不幸なものになってしまいます。

今やどこの自治体も財源の確保や、人口減少で厳しい経営状態であることはかわりませんが、それでも何とか、地域の魅力やブランド力をアピールして、流入人口の増加や税収入の確保にアイデアや努力をしてその可能性にチャレンジしています。

その中心にいるのはやはり行政職員です。その職員がその気力を失っていたらこの地域はどのようにして生き残ってゆけばいいのでしょうか?

もちろん、地域のすべてのことを役所が責任を持ってリードしてという時代ではないので、市民は今までのような役所にお任せ態度では良いわけではありませんが、何をするにもまずさまざまな情報を持っている役所に相談し、役所で協力できる範囲を明確に示してもらわないと市民も動きようがありません。

それさえも蓋をして、ただできませんという逃げ事の態度では、市民はもう諦観しか得られません。

「もっと財政状況が良い地域だったら」と思っている市民は多いでしょう。

今はまだ溜息だけで終っているから良いですが、このような状態が続いてゆくといずれの時期に住民の流出が起こってくるのではないかと心配をしているのです。

議員の皆さんはこのことをどう思っているのでしょうか? 聞いてみたいところです。
引き続きのテーマです

郡上市は、平成18年度以来「実質公債費比率」が18%に達したため、平成19年度に『公債費負担適正化計画』を策定し、公債費負担の管理を計画的に行っています。

18%というのは、自治体の財政運営における負債比率が高く、県にお伺いを立てないと自由に地方債を立てられない指標となる数値です。

イメージ 1

県内では、郡上市と山県市がダントツに高く一二位を争ってきました。
ようやく今年、18%台を切る見通しが立ったところです。

なぜそんなことにということは、合併前後の旧町村時代からのいろんな経緯があるので、あえて蒸し返しませんが、合併後10年で健全化の道筋がようやく見えてきました。

人口減少による税収減や、法人税収入の増加が見込めない郡上市にとっては、税財源の独自増収は不可能に近いので、結果としては財政縮減という方向でしか数値改善できません。

そのため、職員数の削減や退職不補充などによる人件費抑制と、アウトソージングコスト(外部調達の商品や人件費)支出の抑制を進めて何とかその数値を下げる努力をしてきました。

その結果、3~4%弱の実質公債費比率を下げることにつながりましたが、その負担コストは決して少ないものではありません。

職員数の減少による、1人当たりの業務の繁忙化
支所のスリム化によるサービスの低下
賃金抑制によるやりがいの低下
職場職員の高齢化によって、若手不在となり余裕のない職場環境となりつつあります。

それでも、行政職員は安定した給与が保障されているので、当直業務や土日振替の臨時業務などもなんとかこなすことができますが、結果として本来求められている本業の市民サービスは手薄になっていることは否めません。

こなす仕事はなんとかやっているが、新たなニーズ(業務)となるような懸案には手を出せる余裕などないのです。
熱意ある担当者は、なんとかその要望に応えてやろうとしますが、それを抱えたとたんその人の仕事が増え、結果として自分の首を絞めることになります。

こんな状態では、未来に向かったまちづくりなどという理念や計画は、絵に描いた餅であり、行政主導で新たなビジョンなど示すことはできません。

本来なら市議会にもう少し力があり、このような現状を改善する道筋を示すべきですが
旧町村時代から引き続きの議員の皆さんは、自らのコストカットに汲々としていて、行政改革の道筋を示すほどの体力はもう残っていないのかもしれません。

そこで、
地域課題を解決していくためには"市民協働"という手法に頼らざるを得ないのです。

市は"市民協働"を高らかに施策として歌い上げていますが、現状では単なるコストカットの域を出ていません。

直営で抱えるより、責任もコストも安上がりであるということなのでしょう。

しかし、市民協働を進めていく一方の主体はあくまでも行政そのものであり、その責任からは逃れることはできないのです。

行政が変わらなくては、市民は本気になどなってくれません。

人口統計が示す、自治体崩壊を待つまでもなく地域は簡単に崩壊してゆくのです。

その時になって、役所が悪い、住民が悪いなどと言い合ったところで後の祭りだと思うのですがいかがでしょうか?




最近、特によく解らなくなってきています。

はたして「市民協働」とはなんだったのか?(すでに過去形で語ってますが…)

wikipediaでもう一度その概念の発生を見てみると、
「公共サービスの生産供給側は、政府の役割とされているが、政府だけ主体となってその役割を一元的に果たしていくと、その生産性向上には限界を生じ、結果的には生産性向上は図れなくなること。 第二点は、公共サービスの生産過程には「正規の生産者=公務員」と「消費者生産者=公共サービスを消費する一般市民」が協力・連携することが生産的向上が図られる。」

行政の直営のままでは公共サービスの生産性の向上が図れなくなる。
公共サービスの生産過程を公務員だけで抱えず、受け手である市民と「協力・連携」することでそれが改善されると言っています。

協働とは、生産過程を市民と「協力・連携」することだと明言しています。

それでは生産過程とはどういうことでしょうか?

受益者である市民の公共の福祉としての(行政)サービス内容を決定し、それを実施することを指しているのだと思います。

はたして私たちの「市民協働」はそのような生産過程を「協力・連携」できる仕組みになっているでしょうか?

「これをやってください」という仕様書と引き換えに、その"対価"をもらう。
これでは指定管理制度と大して変わりません。

指定管理制度とは、公務員が直営で行ってきた業務管理の部分を、指示書にそって管理するという業務委託です。
その最大のメリットは単純なコストカットです。

市民協働という「新たな公共の主体」をコストカットの道具にしてはいけません。

「コストカットになるならいいじゃないか」という声も聞こえてきそうですが、それならばいっそ新たなサービスである「市民協働」などやらない方が、より効果的です。

政策には大々的に「市民協働のまちづくり」とうたっておいて、内実は単なるコストカットで後は任せたという姿勢は、いかがなものかと思います。

「それはひどい言われようだ」と憤慨される職員の方もいらっしゃるかと思いますが、本来は役所(行政)が政策提案した施策です。まずは役所のあり方を見直して変えていく必要があるのではないでしょうか?

「私たちは変えていく、皆さんも変わってください」というなら市民も信用して大いに期待もしますが、職員が「市民協働」を他人事のように考えていては誰が信用して付き合ってくれるのでしょうか?

wikipediaでは、さらに協働の概念として

「例えば、地域の課題解決に向けて、行政単独では解決できない問題がある場合、または市民だけでは解決できない問題などがある場合に、相互にお互いの不足を補い合い、ともに協力して課題解決に向けた取り組みをする。または、協働した方がサービス供給や行政運営上の効率が良いとされる場合に協働のまちづくりが推進される」としています。

補完とは足りないところを補い合う行為です。
私たちのような山間部の自治体では、さまざまな分野で、市民の共助が発達しています。都市部では完全にそんなことは不可能です。プライベート以外の分野のサービスは当然税金で賄われるべきと考えているからです。

そんな考えでは、地域の維持ができないから(地域)住民は、苦言も言わず奉仕してくれるのです。

市民はその(補完の)原則を今でも十分に果たしていると言えます。

こんどは、行政(役所)がその姿勢を示す番ではないでしょうか?

あきれられる前に是非!!



立て続けの苦言で恐縮です。 









前回「木で鼻をくくったような」お話しをしましたがその続編ができました(笑)

役所からメールできた「・・・等改善を検討する」という内容のメールはどうやら、メールを見た担当者が、あわてて個人の判断で返信したようです。(たぶん)
翌日の午後1時39分にメールが届いたのです。

こちら(市民側)の問題意識を深く触れようともせず、苦情処理に迅速に対応しましたといわんばかりの内容に私はさらにカチンときたのです。

私が返したメール内容はこうです
<それは組織的な決定と受け取って良いでしょうか?
<その改善がなされない場合は、私たちが経験した困惑をまた他の団体が同じように経験することになるのでしょうか?
<そもそも、今回のような混乱が発生するところに組織的な問題があるように思います
<私が言っているのは、決裁者にによって対応がバラバラであることが問題だと言っているのです。
<前例主義、条例主義であり、法の番人である役所がそのような対応で本当に良いのでしょうか?
<私としては、今回の手続きが(誰が)どのような判断の元に引き起こされたのかを知りたいと思います。その権利があると思っています。

という、かなりのレベルアップしたトーンで返信しました。

その日の夕がたその担当課長氏から電話がありました。

「指摘された記述箇所を具体的に明記しました。改善対応しました。」という内容です。
チャンと対応したから文句はないだろうと言わんばかりです。

こちらの言い分や理由など聞こうという姿勢は、みじんも感じられません。
とにかく対応しましたという逃げの一手です。

「こちらがなぜそんなにこのことを問題にしているのか」については、まったく興味がないようです。

ただ、クレームを言ってきた個人へ誠意をもって対応したと言いたいのでしょう。

今回はたまたま、私がそのことを問題として現しただけで、同じように「困惑」した人や団体はこれまでも沢山あったと思います。でもこれまではその問題に声を上げなかっただけだと思うのです。

役所が許可を下す権限を握っている以上、不条理だと思うことも唯々諾々とし了解し、「くそ奴ら」と思っても顔には出さず、解りましたと快諾するしか市民にはできません。

課長は、申請内容によってそれぞれケースが違い、問題が起これば市の責任が発生するので慎重に書類を審査しているのだといいました。
私には「市民には理解できない、役所の都合があるので曖昧な書き方しかできないのだ」と言い訳しているように聞こえました。

説明責任(アカウンタビリティー)という言葉があります。民間企業でもカスタマーに対する説明責任から逃れられないのに、「市民には解らない問題があるのだ」という対応を役所の主要な窓口で行われていることに対して、残念な気持ちになりました。

所詮この程度かというのが今回私が経験した感想です。

もう少し、役所も変わったと思い込んでいましたが、そうでもないようです。
「木で鼻をくくったような返事(または対応)」という慣用句がありますが、最近はあまり使われることがないように思います。

そんな返事や対応をしていたら、小さなトラブルがより大きなリスクになるということが分かっているため、現在では民間でも役所でも(家庭でも?)そのような対応はご法度とされているからです。

だから最近ではこの慣用句を聞く機会も少なくなりました。

しかし、久々に「木で鼻をくくったような返事(または対応)」に出くわしました。

それはやはり役所です。

いまどきそんな対応する役所があるのか?!とあきれるほどですが、残念ながらありました。

民間でも役所でも(家庭でも?)このような対応に陥るのには理由があります。
その最大の原因は、自分(達)の落ち度、明らかな失敗、明らかな誤謬を認識しているからこそ彼らをそのような行動に駆り立てます。

そのような問題が人目に触れぬよう、さらに広がらぬよう、かすり傷で済ませたいという本能がそのような「木で鼻をくくる」行為に走らせてしまうのです。

「もっと早くに改善しておけばよかった」「だから前に言ったじゃないか!!」「なぜ対応マニュアルがないのか?」など、放置してきたことをさらされたくない、傷に塩を塗られたくないという思いでしょうか。

確かに誰しも自分の失敗についは、なるべく他の人に知られず早く忘れてしまいたいと考えるのが人情ですが、役所とか企業は個人ではなく組織です。それでは困ってしまいます。

ほんとうにしっかりしてくださいね!!!







NPO(特定非営利活動法人)法が成立してもう久しい。

全国には多くのNPO法人が成立し活動を続けている。

岐阜県にも758団体(26年5月現在)が登録されている。

法人というくらいなので法人登記が必要となる。会社法人と原則は同じだ。

しかし、会社法人は定款や役員、総会などの規定がそろえば簡単に登記できるが、

NPOの場合は、県の認証が必要となり手続きがやたらめんどくさい。

「公的な信頼を担保」するために必要な審査ということだ。

公的といっても、事業費などはすべて自立的に準備する必要があり、会費や補助申請した事業費によって活動を継続してゆかなくてはならない。

だから、事業運営に必要な業務などはほぼボランティアでまかなわれる必要が出てくる。

もちろん、職員や事務員を雇用して運営している団体も少なくないが、その人権費
を捻出するための労力は相当の努力とスキルが必要とされる。

そのため、継続が困難となり休眠状態に陥る団体も少なくないといわれている。

かといって、営利部門を運営しようとすると、税控除の対象から除外されその決算報告もいっそう厳しいものとなり、団体にとってはさらに事務作業が発生する。

それもこれも「法人格」という登記行為が厳格な手続きを必要としているわけだが、「NPO」を隠れ蓑に莫大な助成金をせしめようという犯罪組織も現実にはあるのだからしかだがないという。

しかし、実際にそのようなエセNPOも事件が発覚するまでは、法的にはチェックできていなかったのだから、ザル法といえばザルであり、役所特有の建前論に過ぎない。

多くのまっとうな活動を進めるNPOは、厳しい財源の中で手弁当でミッションを達成するために頑張っているのだが、そちらのほうについて役所はきわめて冷淡に自己責任を求める。

もっと税金を効率的に活用することができるなら、本来は役所が担うべき分野も、今日ではNPO頼みとなっていることも多い。

果たしてこんな状態で自治体経営が30年後まで持つのかと思うと甚だ、心もとない。自治体が崩壊するという現実は、まだまだ誰にとっても"想定外"ということか。







若い職員とたまたま雑談をしている時、ボーイスカウトの話となり、どうやら彼は私のずいぶん後の後輩であることがわかった。

ボーイスカウトなどというと長い歴史をもつ割には、一般的にはその活動の内実は良く知られていない。

軍隊のような制服とカーボーイのようなハットをかぶっている姿をしているから「ボーイスカウト」だと理解される程度である。

本来都市部的なこの活動も、なぜか40年も前から郡上でもはじまった。

小学校高学年から入隊の資格があり、私たちはその設立第一期のメンバーだった。

もともとは、20世紀のはじめイギリスのベーデン・パウエル卿が提唱したスカウト活動が世界に広がったのだとい言われています。

スカウトとは「斥候」とか「偵察」とかという単語だそうで、もともとは軍事的な技術や行動様式を子供たちに学ばせる場として位置づけられたわけだが、戦争時代が続いた後は、「平和への奉仕」や「博愛の精神」の教育的機関として位置づけ広められてきた。

 
日本でのボーイスカウト開設のきっかけとなった人物は後藤新平です。
彼は、洋行の際にボーイスカウト活動を体験し、その精神に触れ感動して日本に紹介したといわれています。

後藤新平といえば、彼は関東大震災で破壊された首都機能を回復するために国の復興院総裁に任命された人です。
大正11年に、全国青年団を作った折に彼は「自治
三訣」を合言葉にしました。
自治三訣とは「人のお世話にならぬよう、人のお世話をするよう、そしてむくいを求めぬよう」という内容らしい。

そのような想いから日本にも広がったボーイスカウト活動ではあるが、その活動の理念ともいえる自治三訣は、現代では一活動団体の理念を越え、市民全体が共有しなければならない、自治理念として認識されてきた。

100年の時間経て、ようやく後藤新平の理念が社会に認められるようになったということか。







市民協働センターの業務は、市民や役所からどのように見られているのだろうか?

 市役所の中にあるから知らない人は「役所」の一部だと思っているだろう。

 それは仕方がないことと思うが、直接センターにかかわりのない市役所部署の人たちには、「暇そうでいいな」「市民対応の大変さに比べたら天国のような仕事」と思われているかもしれない。

しかし、こちらにはこちらの困難さ大変さがある。それは役所には無い種類のスキルを問われるからだ。

役所はあくまでも、市民個人に対して公平で公正なサービスを提供することが業務の第一義である。
 だから、個別の対応といっても一人ひとりのニーズに対応してカスタマイズしたサービスを提供するという発想がそもそも存在しない。

そんなことをしていたら「なぜあの人にはできて私にはできないのか?」というクレームに答えられなくなるからだ。
その辺りが行政サービスを提供する立場として押さえておかなくてはならない勘所だ。

 しかし、市民協働の業務はそもそも、市民一人ひとりにサービスを提供するという役割ではない。あくまでも"行政の市民サービス"とは役割が違うから、役所組織ではない民間的組織運営が必要とされる。

行政のサービスはどちらかといえば行政から市民への一方的なサービスであるといえるが、市民協働のサービスは、相談者が持ち込む課題に対してこちら側から解決策(解決への具体化)を提案することが本来業務である。

市民協働センターはあくまでも解決のための提案者であり、具体化のためのサポーターという立場で相談者に対応する。

だから以前このブログでも書いたように「なんだ、何もやってくれないのか」という感想を残して帰られる相談者も少なくは無い。

事業主体はあくまで市民(団体)であり、われわれはその活動が具体解決につながるようにサポートするために働く組織なのだ。

ようは"ゼロだったものから1を生み出すための"補助組織である。

ゼロから1を生み出すことは1を
100にすることよりもことよりも大変なエネルギーが必要となる。

もちろん、当事者がそのことをよく理解して(決意して)忍耐強く事に望んでいただければ大体の障壁はクリアできる。

しかし、当事者は往々にして自分の熱意が正当であることを確信(過信)している場合が多く、思うように進まない壁にぶち当たるとそれを相手側の問題として片付けようとする傾向が強い。

「役所が旧態依然としているから」とか「地域が主体として問題意識を持たないから」とかという不満となって現れてくる。

そうなってくると不
感のスパイラル現象、悪循環の泥沼にまっさかさまに落ちていくことも珍しくない。

市民協働センターはそのような関係者(ステークホルダーと言うらしい)の間に入って、そのような不信感や自己防衛に陥らない関係を生み出すとに全エネルギーを注がなくてはならない。

ゼロを1にするためには、その努力が必要なのだ。

当事者にまだその決意が固まっていない場合、協働センターが粘り強くその接着剤の役割を果たさなくてはなららない。これが相当しんどい作業となる。

うまく接着剤の役割が果たせず、亀裂が生じ始めると、せっかくの苦労も水の泡と消え、長い間の努力もパーとなる。そんなことが続くとこっちのほうが人間不信となり、燃え尽き症候群となってしまう。

われわれももっともっとスキルを高め、高い成功率を誇れる組織にしていかなくてはならない。 

それが市民協働センターの存在意義であり、
それが私に科せ
られた任務だと思っている。



 
今日、初めて面接官となった。

といっても模擬面接で、若い就業希望者の為のトレーニングとして依嘱されたのだ。

面接を受けた経験は星の数ほどあるが、採用者側としての経験は無くこちらも緊張した。

ノックして面接会場のドアを開けるところからがスタートで「コンコン」。「どうぞ」と返事したら青年が入ってきた。

模擬面接といっても相手も緊張しているが、こちらがあまり緊張していては練習にもならんから、いたって手慣れた面接官を装った。

私は、面接官としての簡単な質問を相手にかけながら、相手をじっくり観察した。

本当の面接官ならば、採用者の責任として「採用すべき人材かどうか」を見極めるために、良い印象と良くない印象を採点することに集中するのだろうが、こちらはニセモノなので、いたって余裕がある。

じっくりとその相手を観察していると、話をする言葉や挙動で彼の心の動きが見えるようで痛々しい。

何とか自分自身をアピールしたいと必死なのだが、自信の無さや、自分の表現の拙さに苛立ちを隠し切れず焦りが出てしまう。

「ところで、あなたは何がしたいの?」
これは、面接官としてはふさわしくない質問かもしれない。本物なら「うちの会社に入社したら何ができますか?」「弊社を選んだ理由は何ですか?」と聞くべきだろう。

「ところで、あなたは何がしたいの?」これは私自身が素直に聞きたいと思って出た言葉である。

やりたいことがある。やるべきことがある。これは若者ならば当たり前に持っている悩みだ。悩むのはそれがなかなか実現への糸口が見つけられないから焦るのだ。

彼は漠然とした内容だったが"自分が目指す自分の役割"を語った。

語っている時の彼には、"こうありたい"という熱量をもって語っていた。

僅か5分の面接時間は終了し、その後本人と面接依頼者と三者で面接の出来具合について講評した。

本来なら模擬面接は、その接遇対応や話す言葉とその内容が問われる。面接依頼者からはその良かった点、良くなかった点の改善方法などが丁寧に伝えられた。

偽面接官の私はもう、その役職から離れ「こっちも緊張したよ」と一人の大人として彼に接した。

若い日に味わった数々の面接の緊張感や、伝えたい想いが伝えられないもどかしさ、不採用の時に味わう何とも言えない挫折感。

若い頃の自分の姿を彼に投影していた。

その講評も終わり、趣味の話などしている時の彼は活き活きとその魅力を語っていた。
面接の時とは打って変わり、その話す表情はストレートに気持ちを伝えていた。

仕事って人生の全てではないし、ましてやその仕事が自分の価値を決定するものでもない。自分にあった仕事だと思える時もあるし、あってないなと結論付ける時もある。
仕事があろうが無かろうが、あなたの生きている意味とは無関係なのだ。
「自分の力量ってこんなもんかな」なんて考えるのは、私ぐらいの年齢になって初めて実感できる。

「青年よ大志を抱け」などと情熱論だけで乗り切っていける程、現代社会は甘くない。その厳しさは我々の時代とは格段に違うのだ。だけれども情熱をもって明日を生き抜いてもらいたい。 

青年の帰る後ろ姿を見てそう思った。











そうなんです。

蛍でなくとも、みんな甘い水が大好きです。

甘い水には誘われる、甘い誘惑には騙される。そんなもんです。

苦い水はできれば飲みたくありません。 無理しても飲んでくれるのはそれが薬になると信じているからです。

初めから苦い水、苦い想いをするとわかっていることには誰も近づきたくないのです。

それは無理というものです。

そんなことは、仕事の中や、夫婦関係だけで沢山だという声も聞こえてきそうです。

「市民協働なんて所詮、苦い水だろう」と多くの人に思われているでしょう。

甘い言葉で誘ってはいるものの、近づいた途端苦水を飲まされる。ああー騙されたと。

しかし本当のところは、甘い水と感じるのか苦い水と感じるのかは本人次第なのです。

「そこに高い山があるから登るのだ」と登山家は言います。

それを苦役と思う人が一般的ですが、その苦役を越えたところに最高の甘露があると経験者は知っているからです。マラソンランナーなんかも同じでしょう。

でも、「だから苦い水も飲みなさい」と"庶民"に言ってもそんな説法は通用しないのです。

だから、甘い水から始めましょう。

甘い水を用意すればいいのです。

市民協働で、こんなメリットがあった。こんなに儲けた。彼女ができた。そんなところです。

一回でもそんな甘露を体験すれば、もしかしたらまた良いことがあると思ってくれたら占めたものです。

何度か繰り返すうちに、飲んでいるのは甘い水と思い込んで、苦い水を飲んでもそれを甘く感じる感性が生まれます。

それが市民協働の発生です。