若い職員とたまたま雑談をしている時、ボーイスカウトの話となり、どうやら彼は私のずいぶん後の後輩であることがわかった。

ボーイスカウトなどというと長い歴史をもつ割には、一般的にはその活動の内実は良く知られていない。

軍隊のような制服とカーボーイのようなハットをかぶっている姿をしているから「ボーイスカウト」だと理解される程度である。

本来都市部的なこの活動も、なぜか40年も前から郡上でもはじまった。

小学校高学年から入隊の資格があり、私たちはその設立第一期のメンバーだった。

もともとは、20世紀のはじめイギリスのベーデン・パウエル卿が提唱したスカウト活動が世界に広がったのだとい言われています。

スカウトとは「斥候」とか「偵察」とかという単語だそうで、もともとは軍事的な技術や行動様式を子供たちに学ばせる場として位置づけられたわけだが、戦争時代が続いた後は、「平和への奉仕」や「博愛の精神」の教育的機関として位置づけ広められてきた。

 
日本でのボーイスカウト開設のきっかけとなった人物は後藤新平です。
彼は、洋行の際にボーイスカウト活動を体験し、その精神に触れ感動して日本に紹介したといわれています。

後藤新平といえば、彼は関東大震災で破壊された首都機能を回復するために国の復興院総裁に任命された人です。
大正11年に、全国青年団を作った折に彼は「自治
三訣」を合言葉にしました。
自治三訣とは「人のお世話にならぬよう、人のお世話をするよう、そしてむくいを求めぬよう」という内容らしい。

そのような想いから日本にも広がったボーイスカウト活動ではあるが、その活動の理念ともいえる自治三訣は、現代では一活動団体の理念を越え、市民全体が共有しなければならない、自治理念として認識されてきた。

100年の時間経て、ようやく後藤新平の理念が社会に認められるようになったということか。