◆おまけ「セクシー田中さん」

BPOの嘘つき日テレの擁護が酷すぎ。水卜麻美退社するかもと系列局が戦々恐々。「24時間テレビ」に「Snow Man」出演不可能でファン大勝利!|みやわきチャンネル(仮)

 

 

(メモ)
今月末に出るであろう民放各局の第1四半期の決算短資、これを楽しみにしております。なぜなら、今の日本で不景気、不景気の業界を探してみると、テレビ界隈だとか、あとは新聞界隈というマスコミぐらいしか見つからないからです。その中でもテレビ界隈というのは、自らのことを勝ち組の集まりだと誇っている節がありまして、その勝ち組さんがなんで不景気なんですかって話なんです。ただ、それもさもありなんと思ってしまったのが、直近のBPOが発表した報告です。BPO(放送倫理・番組向上機構)というのは毎月のように会合を開いていて、それを会合から少し経ちましてからウェブサイトの方で公表しています。

直近は6月14日の会合になりまして、その時には日本テレビの「セクシー田中さん」にまつわる報告書が日程に上がっていまして、その報告書をもとに議論が行われたようです。この議論の中で飛び出した意見がBPOのサイトで紹介されているんですが、その意見の1番にあったBPOの中の人のご意見を紹介します。この報告書の直後に出た小学館の調査報告書と比較すると、当たり前だが自社寄りの内容になってるという気がする。今回の問題の理解が深まった。あ、そうですか、著作者人格権という大掛かりな話というよりは、単純にあ、単純になっちゃってる仕事のサポートが不十分であったことなどが問題だったのではないかという印象を抱いた。なんらかのお気持ちの表明です。

しかも問題を仕事のやり方という償化、すなわち論点ずらしをしているんです。「セクシー田中さん」の問題はSNSでの誹謗中傷です。それにより原作者の芦原妃名子先生が悲しい決断をしてしまったことです。まさに本来の意味での勝ち組の集まりがテレビ界隈で、そのテレビの番組を向上させるために存在するBPOまでもが問題点を理解せずに償化して論点ずらしをしている。こんなテレビ業界にお金を出すスポンサーがいるんですかという話になっちゃうんです。

まず、本当の意味での勝ち組を簡単に説明しておきます。先の大戦で日本は敗戦してしまいました。ところが、大戦前に海を渡って南米の例えばブラジルとかで移住、移民をした日本人の中には、日本が負けるわけがないと思い込みまして、勝った、勝った、勝ってる、勝ってると触れ回る人たちがいました。これ、今の言葉で言うと情報弱者。この番組的にジョージャクソンといったところです。BPOの報告の中にはこんなくだりもありました。この報告書は原作者を置いて脚本家を擁護しているように読み取れるところがある。これはその通りです。日テレの報告書が公開された時、脚本家が問題だろう、脚本家守ってんじゃねえよと声をあげるネット民、あ、テキスト情報ですけどね。まあ、そうした人たち確認されています。

一方、BPOの報告では脚本家を擁護しているようにという全うな指摘に続けて、こんな意見を紹介しているんです。
出版社と放送局、原作者と脚本家はレイヤーが分かれていて、最終的に原作者と脚本家がぶつかり合ってしまったところがあるのではないか。本来ならば原作者にも脚本家にもエージェントが必要なはずだ。出ました、どっちもどっちの、どっちもどっち論です。最終的に原作者と脚本家がぶつかるならば、双方にエージェントを立てても同じことになります。何より、原作者と脚本家を対等な位置に置いているのが大間違いです。全ての状況で原作者と脚本家が対立するわけではありません。また、脚本家の立場が強いケースだって考えられます。権利の話ではなく、最初の約束・取り決めの話をしているんです。

日本テレビ「セクシー田中さん」は、原作に忠実にすることによって実写版の許可を得ているわけです。ところが、BPOの中の人からはこんな意見まで提出されていたんです。「問題点は、原作に忠実にという点で、原作が完結していないので、ラストはオリジナル脚本になるという点で、それをどう扱うかが両者の間で詰め切れておらず、すれ違いがあったことが問題である。」両者の間の詰めも減ったくれもありゃしません。原作に忠実であり、ラストはオリジナル台本になることもあり得るというのが最初の設定・約束なんです。ドラマ制作が始まってからのちゃぶ台返しとは、ルール違反です。ビジネスシーンで言うならば、契約違反です。

うんうんうん。白がこう言ってます。あたさん、日本テレビと言いますと、メジャーリーグベースボールのロサンゼルス・エンゼルス所属の大谷翔平選手から「出て行け」と言い渡されていたと、6月12日の現代ビジネスが伝えておりました。一方、フジテレビの7月5日に開かれた定例会見において、港一社長自らが「ご迷惑をおかけし大変申し訳なく思っています」とお詫びをしております。大谷翔平選手のご自宅を住所が分かるレベルで映し出すというのは、契約云々の前に常識の話です。そして、その間違いを指摘されたら「ごめんなさい」とするのが、これは日本社会の常識です。フジテレビの港一社長が「ごめんなさい」とお詫びをした7月5日時点で、日テレ方面からは謝罪の言葉は聞こえてきません。

「セクシー田中さん」の件に話を戻しますと、日テレの報告書はもちろん、小学館の方が出した報告書を見ても、契約書の不在や、あるいは不十分であったことは間違いありません。しかし、口約束でも約束なんです。そして、法的には成立するって考えるのが一般の法治の精神、法律の解釈です。テレビの世界は特別だからというんであれば、それは思い上がった勝ち組、というか、ただの勘違い野郎という話になってしまいます。

「セクシー田中さん」では何度も何度も大前提という約束が反故にされ、ひっくり返されようとしていたことが小学館の報告書で確認されました。一例を挙げますと、芦原先生が「あのシーンはこうして欲しいんだけど、どうなりました?」というリクエストを出したところ、日テレ側は「あのシーンはもう撮影終わってますから」と言って、撮影前だったのにリクエストを断ろうとしていたんです。しかし、この嘘が芦原妃名子先生にバレちゃいました。言うなれば、日テレは嘘つきですねってことを芦原妃名子先生は自覚し、しかしそれでも実写版「セクシー田中さん」の品質向上に協力し続けていたんです。なんで嘘つきと仕事ができるのか。それは芦原妃名子先生が何よりも作品を愛していたからじゃないでしょうか。

また、BPOの言葉を借りますと、レイヤーの違うテレビドラマとはいえ、その現場には俳優さんも含めて、作品作りに携わっている人たちがいるわけです。
こうした作品作りに関わってる人たちの努力を無駄にすることが忍びなかった。私はそのように考えちゃうんです。なぜなら、最後の最後は「もう作品使わせません」と取り上げることが原作者にはできたんです。原作者はそれだけ強い権限を持っていて、「もう原作使わせません」とただその一言を言えば、芦原日子先生は苦労することなんかなかったんです。そしてこれは当初からの約束です。だからBPOのどっちもどっち論なんて、はなからありえないんです。

どっちもどっち論をBPOが持ち出した時点で、日テレ側に寄り添ってるのは明らかなんです。昭和時代の全日本女子プロレスにおいて極悪同盟という悪役側に寄り添うかの役割を演じていた悪徳レフリー、安倍史郎さん、それで実写版実写版安倍史郎がBPOだということになっちゃいます。どっちもどっち論は問題の本質から論点をずらして、その場のみを丸く収めようとする思考停止。思考停止もまた、一つの形態です。言うなれば、勝ち組の皆様の重要な背景情報となるのがこの思考停止です。「日本が負けるはずがない、勝った、勝った、勝ったなわけですから」。

「セクシー田中さん」で起こったことを、勝ち組の皆様にも分かりやすい例えで説明します。ある期間限定のイベントがありました。このイベントの主催者が、こだわりの野菜を作る農家さんに「ぜひうちのイベントで出すお店で、そのこだわり野菜を使わせてください」とお願いをしたとします。農家さんは何度も断ったんですが、あまりにも必要に迫られて、気の毒になりまして、それではと、「シェフの気まぐれサラダだけは出さないでね」とお願いをしました。

なんでこんな条件を出したかというと、一生懸命丹精込めて作った野菜を気まぐれで調理されたらたまらないって話です。もちろんこれは例え話ですよ。イベントに雇われていたバイトのシェフはこれが不満で、好き勝手にやらせろと気まぐれサラダを何度も何度も出そうとしました。その度に農家さんが「あ、それは改めてください」と指摘され、シェフは「ぐぬぬ」となっていました。しかし、何度言ってもこの気まぐれサラダを作ろうとしたために、バイトのシェフは事実上解雇されました。

最後は農家さん自らがトントントンと料理を作ることによりまして、イベントは大成功に終わりました。雇われバイトのシェフは首になったんですが、イベント会場のそばでその姿を苦々しく見ていました。そして、「ようやく終わりやがったか」と、火種をポイっと捨てちゃいました。これが理由でイベント会場は火事になり、文字通りの炎上状態になってしまいました。

はい。この時に農家さんとバイトのシェフの方にそれぞれにエージェントを立てておけばいいとおっしゃっているのが、BPOのどっちもどっち論なんです。悪いのはポイ捨てしたシェフであって、イベント主催者の防火体制の不備です。水を張ったバケツを用意し、消火器を用意していなかったイベントの主催者、この場合は日テレになるんじゃないでしょうか。それをBPOはどっちもどっち論で片付けようとしているんです。

BPOは、日本テレビなど勝ち組の集まりのテレビ業界と同じ穴のルームメイト、中良ちゃんのようです。うんうんうん、白がこう言ってます。「逃げ出しとるぞ、そんな勝ち組の集まりであります」と。

日本テレビは今年も「24時間テレビ 愛は地球を救う」を放送する予定だそうです。しかし、今年はメインパーソナリティや応援団の発表が未だ行われておりません。例年ならば旧ジャニーズ事務所、現在のスタートエンターテイメント所属タレントが担当することが多く、中でも今年は人気抜群のスノーマンに日テレがオファーしているという噂があります。しかし、スノーマンの主要なメンバーのお1人である目黒蓮さんは、フジテレビで大谷出禁組のドラマに主演されております。さらには、24時間テレビではなく27時間テレビ、フジテレビがやっている方の27時間テレビの出演も決まったと報道されました。彼らのファンはキャッキャキャッキャと大喜びです。

今、何をやっても旧ジャニーズ事務所の現在スタートエンターテイメント所属タレントが批判される中で、24時間テレビに出ようものならば大炎上することは間違いなしと見られていた中で、スノーマンの皆さんが24時間テレビに出ないということで、ファンの声がネット上に溢れているんです。

さらに、24時間テレビを今年も放送させてくださいと1人で、ご自身が司会を務める「ZIP!」やその後の視聴率爆死の「DayDay.」などでお願いをしました日本テレビの大人気アナウンサー、三浦麻美さん。彼女の去就に日テレの系列局が大注目しているというか、先々興味を持っていると7月5日の東スポは伝えておりました。彼女がフリーアナウンサーになりますとなった瞬間、1億円を超える年収は約束されたも同然です。そんな彼女に例の公開処刑をさせたのが日本テレビなんです。

彼女が日テレをやめるか、あるいはMCを務める「ZIP!」を降板することになれば、その時系列局地方局は地元のローカルニュースを流して、日テレの「ZIP!」の内容を消し、「ざまあみろ」とするために新コーナーを準備しているテレビ局が現れているというんです。

このように文字通りの勝ち組の集まりであります日本テレビに、高い、いやバカ高いCM料金を払うスポンサーが「消えた消えた、やった」となるのは、やはり正しい経営判断で、それがどれだけ加速しているのかを確認するため、今月末の第1四半期の決算報告を楽しみにしている今日この頃でございます。

だから、あくまで冷静に事実に基づいて行動し、みんなで頑張っていきたいと思います。

 

夏ドラマも“原作モノ”多数…TV業界で「セクシー田中さん」の教訓は生かされているのか
7/13(土) 10:50配信

デイリー新潮
 日本テレビのドラマ「セクシー田中さん」の制作をめぐり、原作者・芦原妃名子さんが急死した問題からまもなく半年――。テレビ朝日の篠塚浩社長は7月2日の定例会見で、「原作者、脚本家をはじめとするすべてのスタッフと丁寧で緊密なコミュニケーションをとって信頼関係を築いた上で制作にあたっていく」との姿勢を改めて示した。またフジテレビも5日の会見で、矢延隆生専務取締役が「大切な原作を映像化させていただくという立場を肝に銘じ、よりよい作品のために、密なコミュニケーションをとっていきたい」と述べた。

 漫画や小説などの原作をドラマ化にする傾向はその後も各局は変わらないが、「日テレだけの問題ではない」という危機意識は広がっている。その背景には何があるのだろうか。【水島宏明 ジャーナリスト/上智大学文学部新聞学科教授】

「セクシー田中さん」の後も数多い漫画・小説が原作のテレビドラマ
「セクシー田中さん」は2023年秋期の日本テレビの連続ドラマだった。ドラマを制作した日本テレビと、原作者の代理人として交渉した小学館は、それぞれの社内調査報告書を公表している。そこには「トラブル回避」のため原作者と直接話し合う必要性や早期の契約書の締結、全話の構成の早期の確定、余裕ある制作スケジュールに心がけることなど、複数の改善策が記されていた。

 この7月から始まった夏ドラマでも“原作もの”は数多い。いくつか例を挙げれば、社長が会見で問題に言及したテレ朝では「青島くんはいじわる」「南くんが恋人!?」があるし、日本テレビ系には「どうか私より不幸でいて下さい」、テレビ東京系では「夫の家庭を壊すまで」「ひだまりが聴こえる」、そのほかにもTBSの「西園寺さんは家事をしない」など……。

 すでに評判の原作を映像化すれば、面白い作品になる可能性は高い。視聴率や観客動員も計算できる。提供する側も、テレビ化で話題になれば原作本が売れる。そういう意味で、原作を預かる出版社とテレビ局・映画会社などは「持ちつ持たれつ」の関係といえる。

 ドラマやアニメ番組の制作者らに言わせれば「小学館の原作を映像化する時には要注意だ」という意見は、前々からあったという。映像にする時の交渉や意思確認、契約などの過程が、出版社の中では粗い面があり、トラブルになりがちだと複数から聞いた。

 また、NetflixやAmazonなどの通信動画サービスが普及してきた現在、潤沢な予算を使って制作日数もかけられるグローバル大手に比べ、地上波民放テレビは予算や日数も限られ、悲惨だと多くの制作者が口を揃える。「極端に言えば月曜に脚本が届いて火曜・水曜に撮影した後で編集・音声の処理をして土曜には放送する」。 回し車をせわしなく回すハツカネズミのように走り回るイメージだろうか。現場にはコスパが求められがちのようだ。すべてのドラマが同じではないにせよ、そうした数字重視のドラマ制作に傾斜する局の急先鋒と言われてきたのが日テレだった。

 小学館と日テレという組み合わせで問題が起きたことはなんとも象徴的で、「セクシー田中さん」問題はこんな民放地上波テレビの制作環境の中で起きたことを理解する必要がある。

 

他局担当者が示した「ウチならたぶんありえない」
 名前は伏せるが、とあるキー局のドラマ関係者に聞いた話を披露しておきたい。

その局では原作モノを映像化するケースでは、終始、法務部が関与する体制だという。

 この局の法務部では、弁護士資格こそないものの、原作ものの映像化に精通するプロパーの社員がおり、契約にいたる前の交渉など、かなり早い段階から原作者や出版社と現場とのやりとりに関わる仕組みにしているという。

 今回の「セクシー田中さん」の問題は様々な要因が絡み合っているため一概に言えないと断りつつ、この関係者は「ウチならたぶんありえない」と自信をみせていた。実務を長年にわたって支えてきたベテラン社員が、いわば職人芸のように関わり、これまで何度となくトラブルを救ってきたのだという。当然、その分だけ手間や時間、費用などもかかるわけだが、原作者をふくめた相手側の意思確認をしなければならない時には、時に「立ち止まって考える」こともあるそうだ。

 原作者と「原作が持つ世界観」を共有する制作側の人間は、必ずしもプロデューサーである必要はない。責任を持つ立場ならば、演出者(監督)でも構わない。ある著名な映画監督は、原作本を映画化する際には、必ず自ら原作者に会いに行って話すようにしていると語っていた。

原作者が懸念した「キャラ変」「キャラ崩壊」「言動不一致」…
 日テレと小学館の報告書からは、原作者の芦原さんが脚本に不満を抱いていた様子が伝わってくる。芦原さん本人は交渉には直接参加せず、代理人である小学館の担当者と日テレ側のプロデューサーがやりとりしていたという。小学館側は原作者の意見として「キャラの言動不一致」や「キャラの崩壊」「キャラブレ」が起こり、ストーリーの整合性が取れなくなっていると指摘していた。日テレ側は、脚本家と演出、プロデューサーら「コアメンバー」が協議し対応したが、双方に認識のズレが大きかったことがわかる。

「キャラの崩壊」という問題を、芦原さんはなんとしてでも回避しようとしたことは双方の報告書を読むと明らかだ。自分が創作したキャラクターが、どんな場面の末にそうした性格になったか。緻密に計算してシーンを積み上げた末の“世界観”が破壊されることを、原作者として許せない思いだったのだろう。

 調査報告書は、漫画や小説などの原作本をドラマにする場合に同種の問題を起こさないための「判例」として活用されるべきものだ。だが、残念なことに両社ともページ数は多いものの、言い訳めいた記述が続き、「トラブル回避」のためのマニュアルのように対応策を列挙している書き方が気になってしまう。「判例」になっているのかという観点で読めば、「不十分」だと評価せざるをえない。

 そんな中で、原作漫画や小説をどのように映像作品にしていけばいいのかを、各テレビ局がそれぞれに対応策を考えるようになったのは、原作者の死という悲しい出来事を受けての、せめてもの希望だといえるだろうか。

 繰り返しになるが、問題の背景にある地上波テレビ局のドラマ現場の“自転車操業”の現状はかなり深刻だ。改善のためには、“コスパ”だけを求めない、人と人との信頼関係の構築や、経験豊富な社員も関与してコミュニケーションを密にするなど、マニュアルにはない「人間のチカラ」で克服する方法を探っていく方法も考えるべきだと思う。それは出版社と制作側も同様だ。原作者の創造物である作品の“世界観”を崩壊させず、多くの人たちが人間同士の信頼観で大切に守っていく方法を探ってほしい。

水島宏明/ジャーナリスト・上智大学文学部新聞学科教授

デイリー新潮編集部

新潮社

 

 

 

<【推しの子】>悪いのは誰なのか? 破綻した原作者と脚本家の関係、創作センスまで否定された脚本家の姿が痛ましすぎる
7/11(木) 19:16配信



アニメ「【推しの子】の第十三話「伝言ゲーム」が7月10日に放送された。原作者・鮫島アビ子(CV.佐倉綾音)が突き付けた脚本全否定で凍り付く舞台「東京ブレイド」の稽古現場。アビ子の激しい怒りを正面から受け、創作者としても否定された脚本家・GOA(CV.小野大輔)の痛ましい姿がつらすぎるエピソードとなった。(以降、ネタバレが含まれます)


■アビ子のすさまじい怒りを受け、傷心のGOA

漫画の実写化やアニメの2.5次元化など、原作もののメディアミックス化は非常に難しい。実際にもあることだが、良い化学反応を起こして絶賛される仕上がりになる場合もあれば、原作ファンから酷評される場合もある。さらに制作の過程では原作サイドと制作サイドでのトラブルも起こり得る。今回の「東京ブレイド」は残念ながら後者に当てはまり、脚本に対するアビ子の怒りはすさまじいものだった。

時間は巻き戻って、舞台「東京ブレイド」顔合わせ当日。役者たちが稽古入りする一方で、アビ子は先輩漫画家の吉祥寺頼子(CV.伊藤静)に、舞台化に対しての相談を行っていた。変わり者が多い漫画家の中でもアビ子は特にクセが強い人物。「揉めないといいな」と思っていた頼子だったが、不安は的中。付き添った稽古場見学の場でアビ子は脚本の全修正を求め、怒りをぶちまけはじめる。

じかに見たアクア(CV.大塚剛央)ら役者たちの芝居への取り組みがすばらしかっただけに、非難の矛先はダメな脚本を書いたGOAに向けられる。展開を変えるのはまだしも、キャラクターを変えるのは無礼だと。「うちの子たちはこんなに馬鹿じゃないんですけど!」とアビ子が声を荒げたのももっともで、キャラクター性が違ったら別の作品を見ているのも同じだ。原作者にとってキャラクターは我が子同然で、それがひどい改変を受けたらたまったものではないだろう。

しかし、頼子が独白していたように、自分が担当する作品を悪くしようなんていうクリエイターは存在しない。特に今回のGOAに限っては、原作は本誌で1話から読んでいるガチファン。「他の仕事をずらしてまで受けた仕事」「いい舞台になるように魂を込めて書いたのに」「ちくしょう…」と悲しさと悔しさを露わにしており、並々ならぬ熱意をもって臨んだ仕事だったのは容易に想像できる。それを原作者から面と向かって却下され、創作者としてのセンスまで否定されてしまったのだ。

よく見ていれば目に止まるところだが、アビ子が「脚本、全部直してください」と告げたとき、カメラはGOAに切り替わり、愕然…どころではない絶望感に突き落とされた表情が映されている。これだけでもショックの大きさは十分に伝わり、まくしたてるアビ子の非難を受けるその顔からは、同時にやるせない心中も見て取れた。

■「リライティングは地獄の創作」GOAの苦悩をアビ子は知らず

ちょっとチャラい風に見えるが、GOAは決していい加減であったり、高慢な脚本家ではない。むしろ第一話で「脚本家は汚れ役」と発言していたように、脚本家の立場を客観的に理解している人物だ。今話でも、脚本家は世間で思われているような地位にいないこと。プロデューサーや原作者らの多大な注文を一身に受け、作品評価が悪ければファンからは戦犯扱い、成功すれば全て原作の手柄になることを寂しそうに打ち明けている。その上で、「リライティングは地獄の創作」だとも。

ただ、そんなGOAの苦悩、葛藤はアビ子には伝わっていない。なぜなら、そこには“業界の慣習”として、幾人もの“仲介者”という壁が存在するからだ。今回の「東京ブレイド」では「原作者→サブ担当編集→担当編集→ライツ→制作orプロデューサー→脚本家マネージャー→脚本家」という流れになっており、それぞれが自分の立場と物差しで原作者の意見を翻訳し、次に伝えていく。

きつい言葉をマイルドにしたり、端折ったり。クッションの役割でもあるが、これではGOAにたどり着いたときにはアビ子の意図が歪んでいるのは明らかだ。奇しくも「もっとセリフ少ない方がエモいと思うんだけど…。原作者が言うなら仕方ない」と指示内容に疑問を抱くGOAこそが、ねじ曲がった指示の向こうにあるアビ子の意図を一番理解できる感性を持っていたという皮肉な状況になっていた。結果、繰り返しの修正指示が反映されないことにアビ子の怒りは頂点に達し、不運にもアビ子の不興を買ったGOAは降ろされることになってしまう。

良い舞台を作り上げたいという思いは共通なのに、仲介者によるミスコミュニケーションから破綻してしまった原作者と脚本家の関係。アビ子は自分で書き直すと宣言したが、前話でGOAが述べていたように、漫画と舞台では演出の文法が全く異なる。舞台本番まであと20日。アビ子はそこを理解した上で、自分の欲求だけでなく、役者やファンが納得できる脚本を書き上げることができるのか。また、傷心のGOAはこのままフェードアウトしてしまうのか。

放送後には、「GOAさんとアビ子先生のどっちの気持ちも伝わってきてキツイ」「GOAさんが気の毒すぎる」「アビ子先生が大暴れしてたけどその一方でGOAさんの事情をお出しされる視聴者としてはやりきれないというか、誰も悪くねぇ……!と思ってしまう」「本誌から読んでる程大好きな作品で、心血注いだ仕事を白紙に戻されるとか心折れるな」といった視聴者からの感想が多数寄せられている。

■文/鈴木康道