◆(おまけ)銀河英雄伝説

 

 

 

◆着々とZ支配への足固め。財政健全化推進本部

◆世界史講義その1(窓、農三、講義録ちゃんぽん)

 

【先史時代】

世界史を勉強するためには歴史が残ってなきゃいけないんですね。
ところが、その人類が歴史を残すようになったのって、実は最近のことでして何千年か前ですけども、
ほとんどの時代を、歴史がのこってない時代なんですね。
そういう時代を先史時代と言うんですが、世界一の1回目はこの精神者の勉強から始めていきたいとおもいます。
で、構成次第に、当然個人リが登場してからa なんですけども、
人類と猿、許されるとカチンパンチ登りだとかいいじゃないですか reg んて何が違うのかというと、
DNA的には98%くらい同じらしいですね。させぐらいまでは、、
人間も類人猿もほとんど同じ能力らしいんですよ。



ところがそこら大きく差がついていきます、
特に脳味噌の発達っていうのは大きいですよ。
人間ははっきり言えば、他の動物と比べたときに強くはないですよ。
別に例えばこういう動物とサバンナとかでくわした時に食べられるじゃないですか勝てないですね。
ところが脳みその大きさによって様々なこのコミュニケーションを取ったり、いろんなものを発明したりしていって、
人間の歴史っていうのが、ここで出てくるわけですね。
今日は、人類がどのようにして誕生し、どのように発展していったのか
どのように文明を築いていったのかというのを中心に見ていきたいとおもいます。

最初出てくる人類を「猿人」と言います。
「猿人」は限りなく類人猿に近いですね。
ところがじゃあ人間と、この辺陣からはこう人類てされるわけですけども、
何どこサルと決定的に違うのかというと、直立二足歩行です。
単なる二足歩行がだったらカンガルーもできるわけですね。。
直立っていうのがすごいポイントでして、
この直立っていうまっすぐ立つことによって人間はこの想い脳味噌っていうのを支えることができます。
例えば猿みたいでちょっと前傾姿勢だったら脳みそが後前の方に大きい方勃起からさaバランスが悪くなってしまうと、
それを直立することによって支えることができますし、
直立することによって両手が完全に自由になりますから、
さらに、道具何度も使用できるようになってくるんですね。
道具なんかは猿とかチンパンジーも木の枝とか、ちょっと使ったりもしますけれども、
ところが人間は両手が直立二足方向でか安全に中になることによって道具を、もうてをさらに細かで使えるようになるということを決定的なポイントがあったわけですでへこれ、植立って言ったらね、
ドイツかなんだったかなぁか動物園がなんかにいるーこっ局番ホッキョクグマがいるんですよ。
このホッキョクグマララなってたが付くなかったが舌でたんですけど
ホッキョクグマがなんとで直立に蒼空歩行をするホッキョクグマってことで話題になりましてこれやばいですね。
人間が直立二足方向で他の生物と濃さをつけましたけども、
ホッキョクグマがこれはっテンパったつ進化していったらこれ人間を上げてしまう負けてしまうと思うんですが、
そういう動物を言うということです。

 


じゃあ一番古い 人類がどっかでたかっていうと
これ、今から700年万年くらい前に出てきたサヘラントロプスというのが今は最古だと言われています。
アフリカのチャドで2001年に発見されたました。
ただ昔の授業とかだと、最古の人類ってのは400万年くらいだと思います。
研究が進んでいくと徐々に年代も変わっていくので、ここから5年10年したら、またこの年代は変わってしまうかもしれないんですが、
以前は、ラミダス猿人が一番古いとされてまして
それ以前は、アウストラロピテクスというのが一番古いというふうに言われてました。

で、この時代から、道具はもう使っていまして、原始的な打製石器ですね。
石と石を打ち会で作った、特に打製石器の中でも「礫石器」って言って本当に自然にできた石に限りなく近い石器を使ってたというふうに言われています。




◆(メモ世界史講義録・猿人)
ヒトがはじめて地上に登場したのが、いまから400万年前。もっとも原始的なこの段階のヒトを、「猿人」と呼びます。猿人にはいろいろ種類があって「アウストラロピテクス」と呼ばれるものがもっとも有名です。これ以外にも別の名前を与えられている猿人もいます。別種がいて、同時に何種類か存在した時期があったようです。どれがわれわれの直接の祖先かは、定説はありません。

 「アウストラロピテクス」類が、たくさん発掘されて有名な場所が、タンザニアの「オルドヴァイ峡谷」です。東アフリカのモザンビークからエチオピアにかけて、東アフリカ大地溝帯と呼ばれる地球の割れ目があります。オルドヴァイ峡谷もここにあって何百万年も前の地層が露出していて化石発掘には絶好です。
 最初にここに目を付けて、猿人を発掘した人がルイス・リーキー。1959年のことです。その後、この峡谷で画期的な発見が相次ぎます。こんなふうに言うと、いとも簡単に発掘できたみたいですが、リーキーは最初の発見まで、実に28年間ここで調査を続けていたんですよ。先駆者というのはすごいね。
 ルイス・リーキーは1972年に亡くなっていますが、息子のリチャード・リーキーという人が、現在も発掘を続けて成果をあげています。どう、みなさんもアフリカへ行って30年くらい我慢して穴を掘り続けたら、ひょっとして画期的な発見で教科書に載るかもしれないよ。

 猿人が発掘されるのはアフリカだけなので、人類の故郷はアフリカといわれます。猿人の時代が200万年前まで続き、


この「猿人」の次に出てくるのが、今度は原人というものです。

この「原人」になると、「道具」がちょっと変わりますね。
道具が、本当に自然の石1歯科医「礫石器」からまだ性「石器」の中でもうちょっと加工していくハンドアックス、握りを乗ってふうに感じで書いてもいいんですけども、そういったものを、使うようになります。
あとは「火」なんかも使うようになりまして、硬筆館大きいよね。
火を使うことによって例えばその動物んなんだの危険の動物から身を守ったりとかあかりにしたりとか、
あとは、料理に使ったりとか人間の生活の幅ってのは「火」を使うことよどう大きく広がっていきます。
あとは、昔はこの「原人」のところから言語を使用したという説もあったんですけども、
これも最近ちょっとね否定的な説が出ていてわかりません。使ったんじゃないかって、この時期ぐらいから、今まで多いはっきりとはしゃべれないんですけど、ある程度の意思疎通はできたんじゃないかという説があります。

◆(メモ世界史講義録)ジャワ原人の発見者は、デュボアというオランダ人です。
1891年のことです。かれはもっとも早い時期に化石人類を発見した人で、先駆者の悲哀を味わいます。
 デュボアは、ダーウィンの本に刺激され、ヒトとサルを結ぶ化石の発見を志します。
医者として将来は大学教授の地位も約束されていたんですが、その地位をなげうって、オランダ軍の軍医に志願します。23歳の時でした。
 軍医になったのはインドネシアで化石を発掘するためでした。
インドネシアは当時オランダの植民地で、軍人になればインドネシアに行けた。
ただ、インドネシアに化石があるなんて保証は何もない。ただ、ヒトの祖先は暑い地域に住んでいたに違いないと思っただけです。
オランダ人が行ける暑い所がインドネシアだった、ただそれだけの理由です。。

 ところが、デュボアはインドネシアに行って4年目、化石を発見してしまう。
ジャワ島のトリニールという所です。ソロ川という川の土手で頭骨の一部と、大腿骨を見つけた。頭骨は丸みが少なく、類人猿に近いが、大腿骨は明らかに直立歩行していたモノだった。
 猿人の化石が発掘される遙か以前のことで、かれの発見は、賛否両論を巻き起こします。

 実は、頭骨と大腿骨の発見された場所が同じではなく、15メートル離れていた。
だから、大腿骨はあとの時代のモノが紛れ込んだとか、いろいろ疑問がでて、結局かれの発見は受け入れられませんでした。
 デュボアは、完全に偏屈な人になってしまって、やがては自分の発見した化石を金庫に入れて、さらに自宅の床下にしまい込んで誰にも見せなくなってしまう。

 あとで北京原人が発見されて、それがジャワ原人とそっくりだったことから、
かれの発見は認められるようになるのですが、そのころのデュボアはもう誰にも会わないような拗ねた性格になっていたそうです。


◆(メモ世界史講義録)北京原人、昔の考え方
北京原人は20世紀になって発見されます。北京近郊の周口店という場所です。
 洞窟跡からたくさんの動物の骨とともに見つかりました。
骨に燃やした痕があったので、北京原人が火を使用したことがわかっています。
 それと、見つかった北京原人の化石の多くが割られていました。骨の髄を食べるためと思われます。
つまり、食人の風習があって、仲間の肉を食べたらしい。これを否定する学者もいて、飢饉の時だけ食べたとか、呪術的な意味があるとか、いろいろな意見が出されていますが、どれも推測にすぎない。食人の風習を否定する研究者には、自分たちの祖先に汚名を着せたくないという身びいきな判断があるような気がします。
 ちなみに、完全な北京原人の頭蓋骨は第二次大戦時、日本軍が北京を占領した時のどさくさに紛失してしまいました。

現在は“シナントロプス=ペキネンシス”とは言わない。


で、言語もね能力的に耳他の動物があるかないかというと発音は我々のようには当然できませんが、
ある研究者がチンパンジーか何かで私を振ったんですけどシュガー何かよね。
言葉教えて300ぐらいの単語をおぼえることができたらしいですね。
その時に例えば「食事を何が欲しい」とか、そういった会話ってのはもう全部主はでチンパンジーといっしょ2ができたそうです。
であるところ実験をして、何か全然、別の話をしている時に突然全くそれまでの話とは文脈が異なるまったく全然関係ない話にその研究者女性はで変えたらしいですね。会話をその時にチンパンジーがどういう反応するかって実験したらしいですよ。
で仮説を立てて
1、話が変わったことに気付かず前の話を続けてしまう
2、話が変わったことに合わせて次の話に、チンパンジーのも仕様を変えていく
3、話が変わったことで混乱してパニックになってしまう
これぐらい仮説を立ててほしいですね。ところがね結論はどれもなかった。
結論はどうだったかというと京急者が当然突然死はで話を変えました薄暗いチンパンジーがいっかと思ってほしいですと貼ってあるなんかパニックだったのかなと思ったらパプアップしを出してきたらしいですよ。
でこれはどういう意味かというと「お前馬鹿」って言うらしくて、
つまり「話の流れも全然わかんねーのか」みたいに、
チンパンジーからバカにされるっていう、それくらいだから言語能力があるんですね。
で、そういうのが阿蘇の言語が発音できるようになったのがこのぐらいの時代じゃないかというふうに言われています。
代表的な原人としてを、アフリカで見つかったホモハビリスこのホモハビリスなんかもねー、
今は「原人」なんだけど、「猿人」と「原人」の中間ぐらいの役割をして、
昔お渡し競技なった頃はネタの「猿人」に含まれたと思いますね。
それぐらいちょっとで、扱い「説」が変わってくるんですけども、
他にはほぼエレクトツってありますが、微この今ホモエレクトスの五種類として、中国で見つかった北京原人とか、
あとは、インドネシジャワ島に見つかったジャワ原人とかそういったものが、代表的な原人というふうに言われています 。

◆旧人
それで猿人原人と大きて次に出てくるのが「旧人」ですこれ増やして宇宙へとね11人という選んだしていましたけどね、
古いほうの「旧人」というふうに言います。旧人。約20万年前です。
「旧人」になると、さらに、「石器」が発展してきまして。
剥片石器って言うんですけども、剥がれるっていう意味ですよ。
ですので、石器」の中でもちょっとの剥がれて剥離して薄くなったところ様子により鋭利な石器を使うなりまして、
それで肉をそいだりとか、動物の毛皮をとったりとか、毛皮を服として着るようなのもこの時代なんですよ。
そういうような使い方をするようになります。

あとがこの強烈な特徴としては、埋葬の習慣ってのがありまして、
つまり、人間が死んだ時に死んだものをいたわる気持ちっていうちょっと宗教的な気持ちっていうのが出てくるのが、
この時期で「旧人」の頃かなというふうに言われてます。
例えば、死んだ人にこの花を手向けたりとか、死んだ人を埋めた場所に例えば動物の骨を、一周なお墓のような形で立ったりとか、
そういった行為が行われるんですね。

◆(世界史講義録メモ旧人)
 イラク北部で発見(ザクロス山中シャニダール洞穴)された男の化石などは、
その上の土を取って顕微鏡で観察したら、ヒヤシンスやヤグルマギクの花粉が大量に発見された。

 かれが死んだときに、母親か恋人か友人かわからないけど、野花をいっぱい摘んできて、その亡骸にかぶせたんですよ。
 今でもそこには5月から6月にかけて、丘の上一面に野生のヒヤシンスが咲くそうです。
ちょうどその季節にかれは死んだんだね。

 死後の世界に対する想いとか、花を見て美しいと思う、大げさにいったら芸術感覚があったということです。

この種類は旧大陸の至る所で発掘されます。かれらは、かなり高度な精神文化を持っていたらしい。
たとえば、手足を折り畳んだ化石がたくさんでます。埋葬がおこなわれていた証拠です。


あとは、私がすごいなと思うのはある「旧人」の骨を見つけたときに、
男性の骨で40半ばぐらいで死んだという骨を調べた結果分かったんですね。
その音を見ると、その男性が、明らかに生まれつき確かだ目が見えなくて片腕がないのかな
ちょっとどっちか忘れちゃったんですけども、そういうフォルダとでこれ普通に考えたら、
当時は狩猟の社会ですから片目がなくて片腕がなかったら、獲物が取れないわけですよ。
ところが40半ばの良いてるって事はどういうことだと思います。
これを要するに仲間が助けたってこと、何か別の役割が与えられたのかもしれない。
火の番をするとか、何かその役割を与えられて仲間に助けてもらって食料ワード粟田へ与えられてそれで生き延びることができたっていう。いわゆる人間のこの助け合いで生きるって言う人間の社会というのがマジでキ生きたのはこの時期でして、
代表的なのは、ドイツの「ネアンデルタール人」ただしから遠い通り得たにとかっていう安いんですけど、
これが代表的です。
このネアンデルタール人までは一応、これ、「猿人」原人「旧人」ここまでは、化石人類って言って、
現代に生きる我々とは血のつながりはないんですね。
つまりもうすでに絶滅をしています。猿人原人「旧人」が進化して我々なく6じゃないですね。絶滅してるんですよ。
だが一説によると頃ネアンデルタール人ついについては我々の現世人類と、重なっている時期があるらしくて
その中で現世人類に滅ぼされたとか、もしくは件西人類と混血してね今に至るんじゃないかというそういう説もあります。








◆新人
で、今ちょっと現世人類と言ってしまいましたが、最終的に我々につながる人類というのが、
いまから20万年前に現れまして、これが新人です。
バイオてが新人は、ヨーロッパのフランスの車日本人とか、あとは、北京姉の近郊で出てきた就航天井同時この周口店ってのは北京原人が発見された場所なんですけども、5周高天井同人後イタリア中で grimaldi g インターがありますけども、
これは、現代の我々につながる直接のを人類になるわけです。
この人類は、アフリカで誕生してもこれが世界中に広まったという風に言われてるんですけども、
この新人なると、、豆腐もさらに発展していきまして「石器」じゃないんですよ。
磨製石器を使うんだけど骨格きって言って、動物の骨とか角を、加工をしてこの犬で釣り針とか、釣り前で「石器」者ぬんじゃないですか、
絶対に加工するのこういったものを作るようになっていきます。
あとは、あさきほど90所でその宗教的な感覚って話をしたんですけども、
例えばこの女性だぞーっていうのを作るんですね。この女性まだ問えばこの胸が大きくてほしい号機の中が大きくて明らかにその子供をたくさん産む女性の象徴なんですね。
そういったの頃から豊作とか子孫の繁栄とかそういったものを祈る0宗教的な、何度も対象として作られていく、
こういったものが作られます。

 

▲ヴィレンドルフのヴィーナス

 

◆ラスコー


あとは、芸術もうは発展し部のこの時期でしてだから有名ですけども、
スペインのアルタミラ洞窟、フランスのラスコー洞窟の壁画は有名。
1万5千年くらい前に描かれましたが、躍動感、色彩、どれをとってもすばらしい。

フランスのラスコーとか救いのあるためだなんかでは道化使い勝手いうふうに言いまして、
洞窟の中で、このバックルですからおそらく日かなんかの明かりの中で書いた道んですけども、
野生の動物の餌をたくさん残しているんですね。
馬とかバイソンとかねそういったもので五郎えっていうのはやっぱり狩猟の世界ですから、
我々というと比べてもはるかに、その野生の動物と短い線してますので、今から見てもその迫力のある絵を残してまして。

 (メモ。馬や、牛の絵が多いでしょ。なぜこんなのを描いたのか実はよくわかっていない。
猟でたくさん獲物が捕れるように願って描いたという説もあるが、当時の獲物はトナカイで、馬・牛ではなかったらしい。
 しかも、どこの壁画も洞穴のものすごく奥の方の、這っていかなければはいれないような所の天井とか、とにかく描きにくい所に描いている。何か宗教的なモノだともいわれますが、結局わかりません。
 志摩スペイン村パルケ・エスパーニャにはアルタミラ洞穴壁画と同じモノがつくられているそうです。)

(テスト対策)
フランスのラスコーとスペインのアルタミラ、区別がつかなくなってしまうと。
で、覚え方がありまして、
理科の実験道具でフラスコってあるじゃないですか。
フランスのラスコーでフラスコと覚えておくと、忘れないかなというふうに思います。
こういったですね。人類が芸術の部分でも発展をしていくということになるわけです。

ここまで、猿人原人旧人新人を見てきたんですけども、
ここまでは基本的には打製石器を使って、狩猟とか最終狩りとか大きいのみ拾ったりしながら人が入ってきたわけですよ。
でそれまでの時代を、基本的には旧石器時代という風に呼んでいます。

ところが、この旧石器時から、高時代国ついがあるんですね。ここからでなるかっていうと、
今から1万年前、1万4000年グラじゃないかてるんですけども、
「氷河期」が終わるんです。終わった後に温暖化があったかくなりますよ。
そうすると地形なんかも、現在とほとんど変わらない状況になりまして、
日本が島になるのこの時期ですね。氷河期が終わると「氷」が溶けて海面が変わるじゃないですか。

で、現在は一応、表記が終わったっていうよりも表掛けて氷河期の間の間氷期っていう風に、
今もそうですよ。当たるんですけども、
地質年代で言うと更新世から完新世に移り変わった。
現在の気候になったのはこの時期ということなんですね。
で何を着るかというと、例えば座標が系のイメージって言うと動物いるじゃないですか。
マンモスとかハード触れるタイガーとかあいたものを
今ではいないような大型生物といたんですけども、
それが絶命するのがこの氷河期が終わった頃。


そうすると動物がちっちゃくなるから「石器」もちっちゃくなって旧石器時代って呼んでるんですけども、
そこでは、「細石器」っていう非常に細かい「石器」を使うようになります。

これがさらに劇的に変わるのがいつかっていうとこれが新石器時代なんですね。
この新石器時代、何が決定的に違うかっていうと、
一言でいうと「農耕」の始まりです
だいたいに9千年ぐらい前に、
今の中東地域で、麦の栽培が始まったのが最初じゃないかと言われてるんですね。
これは一説によると東アジアのコメとかね、
アメリカのトウモロコシとか、アフリカに芋がいろいろ説あるんですけども、
一応ですね。アジアの麦が一番早いんじゃないかと言われています。
つまり自然にあるものをたが通るだけじゃなくてそのを人工テクノ増やしていく安定的に確保していく。
これは能郷とか土木竹筆所花や木とかの家畜です。そういうことをやって食料を確保することになります。
つまり人間が食料を確保するために、今までは、狩猟とか採取中心の獲得経済だったのが、
今度は農耕や牧畜の生産経済に代わっていく、決定的な変化が行われるんですね。
これは人類の歴史上もおそらく一番大きな変化じゃないかというふうに言われています。
そうすると、生活が変わるわけですから当然道具も変わっていきます。
打製石器から、今度は愛しを磨いていく磨製石器にマーコような小中学校でもやりますよ。
磨製石器に変わりますし、
あとは、例えば、米を作る時にこれが撮れましたこれどうやって食べます。
このまま食べないです。煮なきゃいけないと。
ただ煮炊きするときにせっきりに達するのは難しいからそこで出てくるのは「土器」ですよ。
「土器」が出てきたり今ゴンドはさらに石様のが出てきたり麦なんか今所すり潰さなきゃパパに出来ませんので石臼なんかが出てきたり生活が変わることによって道具が変化していくっていうもそういう職が起こっていくというわけです。
で8このね「遺跡」で言うとね一番古い「農耕遺跡」っていうのがありまして例えばイラクのjal もとかヨルダンの家りっ子なんていうところがあるんですが、、、ちょっと教皇ションってないとかもあるんですけども、
私やり声見たことは、厳密に言うと由里子の遺跡に行ったことはないんですけど
家リーこの遺跡のすぐ隣をを車で通過したことがあります。
ただねその時はどうしてもね、し海に行きたくてしっかりとあります、絶対に来静めない湖あそこに行きたくて、ちょっとスルーしてしまったんですけども、ちょっと違っただけでエリックは見たことがありまして、
これが人類「最古の」「農耕遺跡」だというふうに言われておりますさあでは今日のまとめに入りたいと思うんですけども、
雇用者「農耕」が始まりましたとで「農耕」始まって「農耕」になりに絶対一緒に居るとんじゃないですか何かこれ水ですよ。
最初の頃の農業はこの水を、雨水だけに頼ってるんですよ。
だけどさ阿部分なかったら農業できないってまずいじゃないですか。
そこで、どっかの場所から大量に安定して水を確保できないかと考えるわけです。
もちろんこれがかわいいですよ。
カートふうに大きい川の方が水が安定して確保できますので、
大河のところから水を引いてくることになります。
これを「灌漑」農業という風に言うんですけども、
この灌漑は、ちょっと難しいのでしっかりこれなのを覚えてほしいなと思う。

「灌漑」農業をやるようになると
水路をつくって、じゃあ次の年にまた別のところから水を作ってというわけにいかないですよ。
大変だからそこで一箇所コス色を作って「灌漑」農業を始めたらそこに人々が集まって定住するような、
つまりそれまでの狩猟とかをする時代から農業が行われると、
人々は移動しないで1箇所に集まってするようになっていくんです
それが徐々に集落となって人々が増えていって更に増えていって都市になっていくんですね。
さらに水路を作るっていうのは一人じゃできないからみんなで協力して作業をしていますよ。
そうすると当然リーダー的な人が出てくる。
しかも都市となると、人が多くなってくると役割もわかれていきます。
そのような階級が登場していって、それが国家になってくるんですね。
 メソポタミア地方では、約7000年前には麦作と牧畜が始まります。イラクのジャルモ遺跡が有名です。

で初期の国家っていうのはいるのは我々が思うような国とちょっと違って
一つの「都市」で一つの国家を形成する、都市国家というのが多かったんですけども、
で、このような、都市国家が成立していくと訪れ効果だから sasso 政治が行われたり、
貿易ね他の都市国家で行ったり
あとは、税金を集めたりすることで記録が必要なります。
で記録するためにこの何が必要かというと文字が必要になるわけですね。
このように、例えばその階級とか国家とか文字とかっていう二幕今までぐらいが
はるかに高度な社会が誕生するんですけども、
それを、一言で文明というわけです。
で、この後ですね。多くの文明を勉強していくんですけども、
この文明必ず、大河の近くに文明が成立するっていうのは、中学校で勉強したと思うんですが、
大河から水を引く必要があるってことにつながってくるわけですね。
そして、文明が生まれて文字ができると、
当然それ彼らが生活した記録っていうのが後世に生きる我々に文字として残るようになります。
これが歴史なんですね。
つまりやっと人類は、歴史に残っていない先史時代から歴史に記録されている歴史時代に入ることになります。
さらにもうちょっとスターの話を進めていくと
紀元前4000年ぐらいから、
各種の文明では金属器が使われるようになりますね。
でこの金属は、アノ時よりも遙かに丈夫ですし最初はこれの金属は、鉄じゃないんですよ。
銅にスズを混ぜた青銅っていうのを使うようになりまして、
この青銅器を、各地で使うことになります。

サハラロックアート・ドナウ魚神彫刻