九十九由基

 

須田慎一郎「2023年岸田政権を振り返る」「粘り腰の岸田政権、春以降続投の可能性」「農業基本法が改正へ、日本の農業の課題は?」12月28日

 

 

(メモ)

中国史29(清とアヘン戦争)【世界史148】アヘン戦争以降の中国史いわゆるアヘン戦争から太平天国の日清戦争義和団事件日露戦争「辛亥」革命といったような歴史をもちろん「清」の歴史をね中心にしながらも日本や朝鮮の状況も踏まえながら一緒に勉強していきたいと思います。今日は1回目の新党アヘン戦争ということで中国の近代史のスタート地点であるアヘン戦争の原因と内容、そしてその結果、影響、そこを踏まえて勉強していきたいと思います。
まず当時の「清」が置かれた状況をちょっと確認しようと思うんですけども、
まずこれ図を見ていただけるとわかるとおり中国って今でも人口が多いイメージがあると思うんですが、この実は「清」の時代に人口が一気に増えるんです。
で、この増えた理由が、実は2つあります。1つはウィンナー以降です。トウモロコシとかさつまいもといったものがいわゆる新体力の作物が伝わってきてこれが新羅に普及するんです。つまりそれまでは作れなかったような場所で食料生産ができるようになって、人口が増えてくる。これは一つ目です。
2つ目は、「清」の時代に「地丁銀制」っていう税制が導入されるんですけど、
これって実は人頭税を廃止する税制なので、いわゆるこのズルをするために人がいるんだけど、戸籍に登録しないってことがなくなるんです。つまり実際の人口が増えたこともあるしもう一つは登録して把握できる人口が増えたその2つの理由から、「清」というのは一気に人口が増えることになります。大体当時の「清」の人口ってのは4億人と言われていてこれフランスが3000万人ぐらいですから、圧倒的に世界1位の人口なんです。でこの人口増加というのが実は「清」の衰退の一つの背景になってるは、今多くの教科書に書かれています。何でかって言うとね人々は、まずこう山に入って木を切るんです。
で木を切った後にそこで、キクラゲの栽培をするんです。でそれをやった後さらに開墾をしてトウモロコシを作るそこからの問題でその後ねその土地が荒れた状態のママさらに次のところに移住するんです。つまり新大陸から入ってきたトウモロコシの栽培は、これ実は持続可能な開発じゃなくて土地を荒らしては移動することを繰り返す農業なんです。そのことから人々はどんどんどんどん奥地に移住をしていって最後は、その開発の限界を迎、す。これ移住をしていくっていうことは元からあったところのコミュニティに入れませんので移住した人達は、生活が苦しかったりあとはもう疎外感とか地域になじめないとかそういった不安定な状況に置かれるんです。その不安定な状況につけ込むのがこれ宗教です。その代表例が、白蓮教なんです。ベビー教ってのは、仏教系の興宗教でマニキュアの影響を受けてるって言われますけども、
弥勒仏が、こうこのような世界にこう降りてきてこれ弥勒仏物の化粧進行って言うんですけども、
それによって我々を救ってくれるっていう一種の救世主進行なんです。で中国史では、の現場高機能を起こしたことで有名なんですが、これが「清」の時代にも、「白蓮教徒」の乱という反乱をこれ家計の時期です。起こして、してこれ大反乱になるんです。当然これ反乱だからあの「清」が鎮圧しなきゃいけないんだけど、これが、「清」の正規軍の8機とか緑栄がもう全然役にならなくて、10年ぐらいこれ鎮圧できないんです。で地域の人たちどうしたかっていうと、心理は地方の有力者で共振という連中いるんだけども、共振と連中がその自分のコネとか彼が人種が多いんで自分の財産使って、暖簾っていうです。、独自の軍事都市を作って反乱軍に対抗して自分たちの地域を守ろうとするんです。でこのね、移住をした人たちの役割そしてもう一つは宗教による反乱そして地域の連中の独立の軍事組織この辺の所は、この後の中国史の中でも結構キーワードになってくる要素なのかなと思います。そしてもう1つは、経済的な観点特に貿易に注目していきたいと思うんです。当時の「清」というのは乾隆帝時代の1757年に外国との貿易港これ主にヨーロッパです。を広州一行に制限しています。とりわけ古墳高校と呼ばれた特許証人組合がその貿易を独占しているという状況であんまりです。外国との貿易って熱心じゃないんです。他には、ロシアとの間にマネルチンスク条約とキャプター条約というのありましたのでそれに基づいて陸上の国境で、貿易はしていたんですが、海上貿易は、かなり制限された状況だったんです。そこにこれはイギリスの状況っての見てこなきゃいけないわけですけども、
イギリスが入ってくるわけです。当時のイギリスは、18世紀の後半に産業革命をやってますので、そこで生産された製品を、売るための大量生産された製品を売るための市場が必要になります。中国ってのは先ほど言った通り人口4億人圧倒的な人口を抱えてますから、これ市場としては、極めて魅力的なんです。
で、イギリスは、当初、毛織物を売ろうとするんだけど、これ失敗して当然これ産業革命以降は綿織物を中国に売りたいという状況になるわけです。
しかし貿易は制限されてる。
そこでイギリスは何とかこの貿易の制限を打破しようということで、
18世紀の末期にマカートニーという人物を中国に派遣してます。
マカートニーは、スコットランド生まれの外交官でして若い時にね1763年のパリ条約に参加してたりあとはインドのマドラスの総督であったり、かなり優秀な人物です。これを、乾隆帝の80歳の誕生日を祝う、80歳過ぎてたんだけど、それを名目に送って何とかね、もっと貿易させて下さいってことをお願いしに行ったんです。ところが、そこで問題だったのが、
中国では、この皇帝に会う時に「三跪九叩頭」っていう一種のディレイをやらなきゃいけないんです。でこの「三跪九叩頭」と何かって言うと人見てもらうとね「三跪」の跪は、これひざまづくっていう意味なんです。

で叩頭は、頭を叩くってありますけども、頭を地面につけることです。
でこれ1回ひざまずくごとに3回頭を床につけるこれを3回繰り返すんでトータルで「三跪九叩頭」、3回ひざまついて合計9回頭を床につけるということなんですが、これやんなきゃいけないんです。これ多分ね全国の世界史の先生は「三跪九叩頭」を教える時に多分「ラストエンペラー」の映画のワンシーンも、坂本龍一さん亡くなりましたけど、
それ見せると思うんだけど、最近私は、のドラマの送球のスバルのね「清」見せるかなあれを見
るとね一番わかりやすいと思うんですが、それが必要だったんです。ところがこのマカートニーは、対等な立場での外交を要求して「三跪九叩頭」を拒否します。
一応、乾隆帝は「イギリス人は野蛮人だから、儀礼知らないからいいだろう」ってことで会ってくれるんですが、結果的には、貿易の制限の撤廃というのは拒否されるんです。
乾隆帝が、イギリスに返答した書簡が残ってるんだけど、簡単に、まとめるとこんなこと書いてあるんです。ちょっと乱暴に言うと、そもそもね中国に何でもあるよとだから別に貿易なんかしなくていいんです。とただイギリスが、遠くからわざわざ兆候に来るから、恩恵として施してやってるんです。とその程度なんで舐めたことを言ってると貿易やんないぞみたいなことです。んごい上から目線で、この貿易の要求貿易制限の撤廃を拒否するんです。それに対してマカートニーはこの交渉の最中に例えば古地図見ていただけるとこの「皇帝」がいる北京とか、あとは貿易港の広州この辺りの海域を「総統」測量をしていた調査してます。さらにはこれ緑のところ大運河なんですけども、▲大運河の調査もしてるんです。このマカートニーの調査ってのは後々大いに生きることになります。さらに私が面白いと思ったのは、このマカートニーがつけてた日記なんですが、ちょっとこれも抜粋して読んでみようと思うんですけども、▲1794年1月7日の日記で、中国「清」を、大きな船に例えてこう言ってます。中国という船は有能な運転士航海士が続いたおかげで150年間無事に浮かんできたとでかい図体に物を言わせて周りを畏怖させてきた古く傷んだ戦隊であるとひとたび無能な人間が甲板に立てば船の安全を失われる船はそしてすぐには沈没しないでしばらくは何パーセントして漂流するかもしれないがしかしやがて岸にぶつかってコナミ人に砕け散るだろうと言ってるんです。これが、この後の歴史我々知ってるわけですけども、▲このマカートに「総統」正確なびっくりするほど正確な予測をしてるんです。このマカートニーという人物は、このアヘン戦争というところが中国の近代史のスタート地点だと考えるとちょっとね外せない人物なのかなというふうに思います。さらにイギリスはアマーストという人物を送ってこの貿易制限の打破を狙うんですけども、▲このアマーストもやはり3期9ことを拒否した結果今度ね家計の時だったんだけど、家計には越権もできずに帰るということになります。ですので、イギリスというのはこのマカートニーとアマアースの派遣を持ってもこの貿易の状況を改善できないわけです。じゃあどうするのかというところで次を見てみたいと思います。では、当時のイギリスとシンの貿易の状況を確認しようと思うんですけども、▲当時のイギリスは、お茶を飲む習慣が広まっていて中国産のです。お茶を輸入するその需要が非常に高まっているんです。ちょっとこれ図でまとめますけども、▲あのプリントをお持ちの方は、ぜひ写しておいていただきたいんですが、まずイギリスがシンからお茶を輸入している当然イギリスはその代わりに面織物を輸出したいわけです。ところが権利艇の言葉にもあった通り中国は何でもあるこれ冥王物もあるんです。中国では、ミンダイの後半ぐらいから、兆候の下流域で目よりも作ってますから、別にイギリスから買う必要ないんです。そこでどうするかっていうとイギリス売るものがないんので代わりに当時の国際通貨である銀を支払ってお茶を買うっていう一方的な貿易赤字銀の流出が続いていたわけです。それを何とか打開しようということでかなり有名な悪名高き三角貿易というのが行われるわけです。本来は、三角貿易ってこれアメリカなんかも含めてこれアメリカです。ごい重要なんで、あのすごい複雑なんだけど、わかりづらすぎるんで非常にシンプルな図には一応まとめて、あります。でこれまずどう打開するかというとこれです。インドから「清」にあるものを輸出するこれが有名なアヘンになるわけです。このアヘンというのは何かっていうと決死というものがあるんですけども、▲それの花が咲いた後にできる実というか果実ですか、ねそれに傷をつけて乳液が出たものを集めて固めたものなんです。もともとは地中海の東岸の原産で中国には、唐の時代ぐらいにはムスリム商人にも返して、入ってきたと言われてるんですが、もちろん麻薬なんだけども、今でもねあのヘロインとか、あとはモルヒネなんかはコア編と同じ原料です。でただで麻薬として使ってるのは、まずいぶん後の方で例えばミンダイでも、の有名な旅行保険の納税全書っていう本がありますけども、▲あれでもアヘンは、載ってるんだけど、あくまでも下痢止めなんです。そして使ってるんです。ところが「清」の時代になるとこのアヘンを、コーヒーで炙って煙を吸い込むという麻薬としての使用を始めましてこれが、スーッとなんか夢見心地になるらしくて爆発的に流行っていくんです。でイギリスは、これどうやって輸出するかっていうと当然ですが、これあの「清」ってのは貿易制限がありますし、亜鉛もこれ禁止麻薬ですか、禁止しますので、OPIに売れないんです。そこで、インドからこのマラッカ海峡を通して広州に行くんだけど、上陸できないから、広州の沖合にアヘンの貯蔵線を止めるんです。そこでそのアヘンの入った箱を、密売人というか海賊みたいなやつに渡してそこその時にねもちろんこれ銀で取引をするんだけど、銀そのものを使うと何か、った時に海に落ちた銀拾えないじゃないですか、なので、何に使うかっていうとねこういうねこれ機能お金みたいな手形みたいなものですか、ねこれを使って、アヘンの取引をしたって言われています。そしてその海賊たちが密輸をして中国の国内に持ち込むということなんです。私はこう授業中にさ実物を持ってくるのが好きだけど、これ持ってきたらバイクだから逮捕されるじゃないですか、なのでアヘンのね旧イングをねあの手に入れて持っていこうとしたんです。危なかったねこれ調べたらアヘンのQイングって持ってるだけで日本では、の逮捕らしいんです。ですので、もちろんそれも手に入れてないんですけども、▲そういったところでこのアヘンの流入ってのが始まっていきます。でこのアヘンの箱は、だいたい1箱に60kgぐらい入ってるんですけども、▲これが、1750年ぐらいには年間、200億ぐらいなんです。それが、イギリスが参入した1800年には4000箱1820年2万箱そこから、さらにイギリスの東インド会社のです。あの中国貿易の独占権撤廃されると例えばジャーニーマラソン紹介とかさ多くのこう船が入ってくるんです。その結果です。アヘン戦争直前の1838年には4万箱が、密輸されたって言われていてだいたいね中国の人口4億人じゃないですか、そのうちね3000万人ぐらいが偏中毒者だって言われています。そういう状況になってくるんです。ちょっとこれ過去の方でまとめておこうと思うんですが、イギリスはもともと中国からお茶を輸入しているそれに対して売るものがないんで銀を支払ってる状況だったわけです。それを打開するためにイギリスと三角貿易によりアヘン密貿易との行ってこの銀の回収を行っていたということになるわけです。じゃあどれくらいこれが成功したかっていうと、たちょっと図に戻ろうと思うんですけども、▲これアヘンのね売った金額ってのはだんだん上がってくんだけども、ある年のやつを見てみるとだいたい銀1000万両という言われています。あまり量気にしないでくださいでこの銀を、のイギリスが手にするわけですけども、▲当然さあ重たい議員をイギリスまで持っていくわけないじゃないですか、なのでアヘンを売ったお金でイギリスをお茶を買うわけです。でお茶買うんですけど、▲このお茶買った金額が、だいたいこの銀200万両ぐらいらしいんです。そうするとさ買い切れないんです。お茶買ってもでなので残った800万両の銀もイギリスは当てにするということでなんとこのアヘンミツ貿易によって、イギリスはお茶の銀も手にするっていう状況になるんです。、ウウハウな状況になるんです。でちなみにこの議員は、やはりこれイギリスまで持っていくわけじゃなくてね例えばね東南アジアのシンガポールの開発とかそういうのに使ったと言われてるんですけども、▲こういう状況でイギリスは儲けることになります。これで「清」は非常にきつくてなんでかって言うとこれ議員が流出するでしょで銀が流出することは国内で銀が不足銀が不足すると銀の値段が上がるんです。なんで問題があるかっていうと冒頭の方でも言ったんだけども、「清」の税制ってのはこれ「地丁銀制」人性ですから、銀で税金払わなきゃいけないです。そうすると銀の価値が上がっちゃうとどれくらい上がったかというともともと銀1行につき、どうか1000万円ぐらいだったのがどうか1500枚から2000枚つまり銀の価値が1.5倍から2倍ぐらいになったと言われてます。つまり同じ金額の税金を銀で払う時に銀の価値が1.5倍2倍ってことは価格は変わらなくても実質的には1.5倍から2倍の増税になるんです。それが「清」の民衆を非常に苦しめることになるわけです。実はそれに対して「清」はどう対応したか次の動画見ていきたいと思います。さてこの人口の10%近くがアヘン中毒になってるっていう麻薬中毒っていうこの状況に対して「清」がもうどう対応したかということなんですけども、▲時の皇帝は、第8代皇帝の動向帝という人です。彼は、幅広くご意見を集めて可変問題どう対処するかっていうの考えるんですけど、▲例えばねこれ面白いのは、こうアヘンを認めちゃうっていう意見もあるんです。結構これ強いんですけど、▲アヘンを貿易も合法化してそれでその関税を取ればその分利益になるじゃんっていうそういう意見もあったんです。さらに逆の意見もあってこれ電子検証と強硬手段をね取る人の意見もあったんだけども、これ実際試験数だと言って何万人試験すればいいんだよっていうそういう判断意見もあって現実問題として、これどっちもあったんです。で結果的には、どうなるかっていうと皇帝自身の考えもあったと思うんだけども、当時もね人口の10%資格ってことは「清」の兵士にも円柱読者が多いんです。そうするとこれ反乱とかにこうアヘン中毒の兵士が対処できないとで「清」ていうのは、どうしても少数の満州族が大多数の漢民族を支配するは、構造的な弱点があるんでそれは、まずいだろうということで結局です。これ反対麻薬取締り亜鉛取締りって方向に動いてんです。そこで注目されたのが亜鉛取締年金を唱えていたリン即時という人物です。で彼は、お父さんも合格してないのでエリートっていう感じではないです。あれ自身は27歳でかける合格して地方感を歴任して叩き上げで育った人です。私ねこのリンス上について結構あの本読んでみたんですけども、▲「清」面目なんだけど、現実もよく見えてる理想に走りすぎない非常に清廉潔白な人柄で政治家の鏡みたいな人です。頭良すぎるから、その自分自身の将来起こり得る悲劇みたいなものにもある程度気付いてる部分もあったんですけども、▲その政治家を、僅差大臣この僅差大臣は、ある問題についての全権を与えられた人で匿名専権大臣みたいなつまり今回のアヘン問題に関してはリンス上お前に全権があるよっていうそういう意味のね任命だと思いますが、このリンス浴場が、アヘンの取り締まりにあたることになります。で彼は実際に甲州で2万箱のアヘンを、イギリスにも提出させてそれを処理するんです。これどうやってやったかというとなんかね穴を掘って池を作ってそこに池の水に塩と石灰を入れてアヘンを化学処理したと言われています。あの映画残ってますけども、▲モーモーと白い煙が立ち上ったので焼いたっていう説がデマが広がるんですが、実際よくは価格処理したというふうに言われています。でこれに激怒したのがどこかこれイギリスなんです。でイギリスは、このアヘンを取り締まりを受けたってことに起こりまして戦争を仕掛けるということになるんですが、この時には戦争を指導したのが、パーマストンという外傷でパーマストーン外交って言われる、余力を当時のイギリスの帝国主義政策を担った人物です。このファーマストは、結構やっぱりこの外務大臣として非常に有名な人で後に首相もやるんだけど、何年か前にイギリスの外務省にこう猫が迷い込んできたんです。でその猫を、外務省で飼育することになってだからネズミ捕獲担当大臣みたいなのになったらしいんです。でこの猫の名前がパーマストンって言うんです。だからその猫の名前にパーマストンてつけるぐらいこのパーマストンというのは外務大臣として非常に有名な人です。このパワーマンションというのは、のTwitterをやってて日本語バージョンもあるんで、興味がある人はぜひ見てほしいんですけども、▲最近なんかねネズミ捕獲担当大臣から外れたそうなんですが、ちょっと興味ある人は見ていただければと思います。でこのパワーマストンが主導したこのアヘンを巡る戦争に対してさすがにさあこの麻薬の密輸を妨害されたっていう前代未聞の理由で戦争するわけだからさすがに国内でも反対が多くて、例えば有名な保守党のグラッドストーンという人物ま当時まだ30代前半の若手の議員ですけども、▲この人は、そんな恥知らずな戦争は聞いたことがないって言って猛反対の演説をしたってのは有名になってますが、で結果的には、酸性271票反対262票っていうわずか9票さ極めて僅差で戦争を行うことが可決されます。これが有名なアヘン戦争ということになるわけです。でこのアヘン戦争なんですが、イギリスは戦艦16隻武装4隻さらに輸送船を含めて艦隊を「清」に派遣をしていきます。でこれ「成都」にこうアヘン戦争をどうなったと思うどちらかと思うって聞くと「成都」は、普通にイギリスでしょっていう風な感じで当たり前のようにイギリスだと思うんです。確かにこの映画有名な通りこれあのイギリスの船が、「清」の旧式のジャンク船を大砲で破壊してる「清」なんですけども、▲これあのアヘン戦争を象徴する絵です。そして結果的にユーザ勝ってるとも事実なんです。でもこれ冷静に考えてほしいのは神ってその局地戦では確かに負けると思うんですけど、▲イギリスに勝てないと思うんだけど、イギリス軍って変員数わずか4000人ぐらいしかいないんです。4000人で「清」の人口4億人この中国を占領できるかっていうと絶対無理です。ですので、て「清」としては戦いを長引かせれば勝てることがなくても負けることはないって考えるんです。ところが負けるんです。イギリス勝つんです。なんでかって言うとここでやはりマカートニーなんかが調べてきた調査ってのは生きてくるんです。これ、アヘン戦争どうなったかっていうとこれちょっと地図見ていただけると、まず最初に戦争この天心の辺りまでイギリス文化が行くんです。つまり「清」の都である北京の近くまで行って皇帝とその側近たちにイギリスの威力って、まず見せつけるんです。これは、まず1個成功します。「皇帝」は、のあっさりリンス熟女解任してリンス上です。もう日にちの方に流されていきます。一応です。罰を受けることなくそこの西の方でも、の良い政治を行って民衆たちには、すごく慕われたっていうような記録が残ってるんですが、リン速上これも解任をされてしまいます。そこから南の方に降りて行ってそこでチョークを流域です。「清」と戦って武力行使をしていって局地戦に勝っていきます。そこで、決定的な何をするかっていうとこのです。ところからチョークをさかのぼっていくんです。これはイギリスの場合はこの長期戦ありますから、股間の流れ遡って進めますので、遡っていってここを抑えるんです。これが決定的なんです。つまり長江と大運河の合流地点を抑えるんです。これによって、中国ってのは物流の大動脈を抑えられて経済に決定的なダメージが与えられるんです。つまりイギリスは、まず北京の方に行って校庭などを、そういった連中を武力によって威嚇して揺さぶるんです。そして大運河と長江の合流地点を抑えて物流を抑えるということで政治と経済の両方を、イギリスを抑えるという一番最善の策だと思います。そこで「清」は、経済を抑えられたことあとは、す。長期戦になってくるとこれも冒頭に言ったんですけども、▲シンは、やはりこの満州族が大多数の漢民族を支配するというこの構造的な問題がありますので、漢民族がこれで反発をする反乱をすると恐れて、講和条約を結ぶことになります。これが1842年の南京条約なんです。これ何で南京条約かっていうとつまりイギリス軍がここら辺までいたのでここからこの一番近くの南京で条約を結んだということになるわけです。長江のねこのイギリス軍の軍艦の中で調印式をするんだけども、これ3日間の交渉で、中国側新型は、ほぼほぼイギリス側の要求を全て丸呑みするという形で南京条約を結ぶことになります。その内容を見ていきましょうまず1つ目甲州葵副種忍法上海の5項開口します。この5項は、地図で見ると南から、広州これアモいってみます。復讐これ民法です。上海この5校なんですけれども、▲これを持ってしてもこのアヘン戦争の目的が、貿易の拡大にあるというところがあるのはっきり見、す。さらに「清」はイギリスで香港島を活用します。でこのイギリスが香港党だったのは、のポルトガルのマカオに憧れてるんです。ポルトガルが中国貿易の拠点としてマカオを持っていてイギリスはこのマカオそのものに実は取ろうとしたんだけども、その代わりに地図で言うとこのマカオの対岸にあるこれ香港とこれ今の香港よりもちょっと狭い知識なんですけども、▲そこを取ることによってここを、中国貿易の拠点にしようとしていったんです。さらに外交貿易を独占する古本の廃止を突きつけましてこれもやはりイギリスがいかに中国で貿易を拡大したかったかってのは分かります。さらに南京条約の後にも、5個を通称想定と顧問裁追加条約をイギリスと結んで防火条約をアメリカと候補条約をフランスと結んでいきます。これ全部不平等条約です。このコモン斎とか防火とか候補は、全部これ広州の地名になるんですが、条約の内容は1個1個覚えるないと思います。全部まとめて3つに分けてちょっと説明しようと思うんだけど、まずです。1つ目のところがヘム的な債権国待遇というものでこれは顧問さえ追加情報で主に認められるんですが、これ、何かって言うとね嫌いな言葉だと思うんですけど、▲例えばねイギリスとシンがある条約を結んだとします。その後フランスとシンガ別の条約を結んでそっちの方が有利な条件だったとするとこれで最恵国待遇は、例えばその前に結んだイギリスも後から結んだ有利なフランスの条件に全部自動的に変えられるんです。それを再警告タイブって言ってどっかの国がだから結ぶと他の国々も全部それ追随できるというそういう状況になります。2つ目が例えばこう貿易でやってきたイギリス人なんかが何かをやらかした時に「清」の法律じゃなくてイギリスの法律で砂漠つまりこれ両立裁判権治外法権と言われるものです。これのところは、5個通称掌底で主に認められるんですが、それは、たおそらくイギリスの商人がもともと一番要求してたことだと思います。これによって、例えば上海なんかにも疎開って言うんですけども、▲そのね「清」の主権が一切及ばない外国人居留地みたいなのが作られていくんです。特にこの上海の疎開は、共同疎開って言ってねあの一国だけじゃなくて複数の国で運営する疎開ができるんです。そうするとさ複数の国のもう意図とかこう目論見みたいなものが錯綜するんで上海がこれ的と呼ばれるね状況になっていく一つ要因となっていきます。そして3つ目のところが、貿易の関税が条約で決められるこれ一律5%になるんだけども、これはつまり「清」というのが関税を自由に決められない関税自主権の喪失と言われるものです。それが行われます。この専務的な災害国待遇そして治外法権領域裁判権そして関税自主権の喪失っていうこの3つのところが不平等条約と押し付けられるんだけども、これって多分ね小学校とか中学校で習った日本が幕末の時に押し付けられた不平等条約とそっくりです。そこにちょっと気づいていただければなというふうに思います。このような形で、中国史の近代史のスタート地点であるアヘン戦争について今日勉強してきたわけですけども、▲最後にこのアヘン戦争が日本に与えた影響をちょっと見ていきたいと思います。日本は当時江戸時代の末期で鎖国中だったわけですけども、▲1825年に異国船打ち払い例というのが出ましてつまりその日本に近づいてくる外国船は問答業で打ち払えが、あるんです。ところが、これは1842年の8月に浸水企業例と変、して打ち払うんじゃなくて薪とか水とかを与えなさいって柔軟なものに変わるんです。なんで変わったかっていうと1842年の8月こいつは、こう南京条約の締結の前日にこれが出るんです。実は、江戸時代の日本というのは鎖国してるんだけど、ね国際情勢に関しては、かなり正確な情報を集めてるんです。つまりアヘン戦争で「清」がボコボコにやられたは、もう日本は知っていてそれに合わせてこれ実は方針を変更してるっていう部分があるんです。そしてもう一つは、高杉晋作っていう人が幕末の趣旨として有名なんですが、騎兵隊とかねを作った人なんですけども、▲彼実は、1860年代に前半に上海の疎開を訪れてるんです。それで、もともと彼は上位派だったんですけども、▲その初回の中でその中国人が、奴隷のようにヨーロッパ人からこき使われてるを見ましてこれこのママ上位やってアヘン戦争みたいにイギリスとかに負けたら日本も中国人みたいに奴隷になるんじゃないかってことでその上位層が改めるんです。そういう背景にもなっていきます。そして3つ目が、これ実はアヘン戦争とかの状況を、日本がどうしたかっていうと一般庶民も実は知ってるんです。例えばリンスの友人に技研という人がいまして彼が、アヘン戦争直後に開国寿司っていう本を書いて当時の国際情勢まとめてるんです。これ、50巻から60巻100巻ってなっていくんだけども、これが、発行して10年も経たずに日本に渡ってきて日本人にすごい影響を与えるんです。でこれで面白いのが、佐久間聖山っていう人がいるんですけども、▲この佐久間章三っていう人が開国寿司を読んでどう思ったかというところで例えば日本とか「清」の技術よりも西洋の技術の方が優れてるからそれを取り入れるべきだっていう部分は佐久間章三も議員も一生なんです。ところが、違うのは、その起源はその中国は富があるんだからその西洋の技術を買えばいいって言うんです。ところが、佐久間さんそれ批判してて佐久間章三は買うんじゃなくて作るべきだって言うんです。なんでか作れば原理がわかるから「清」似ができるって言うんです。つまり佐久間さんは西洋の技術を取り入れた時にそれを「清」似して作っていって原理を理解すれば同じスタートラインにつけるとそしてそこからは西洋と競争できると考えるんです。この買えばいいっていう「清」の思想と作って「清」似して競争すべきだっていう日本の思想この違いというのは後のです。養分運動と明治維新の方向性の違いと全く同じなんです。それが、「清」の近代化と日本の近代化の方向性と命運を大きく左右することになると思いますが、それは今後のところで授業で、勉強していきたいと思います。ありがとうございました◆