政治家の逮捕はあるのか? 憲政史家倉山満【チャンネルくらら】#政治資金パーティー

 

 

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◆メモ(アフリカ史)

教科書でアフリカ史を勉強するのはあんまりお勧めしないです。
正直年代ごとにぶつ切りになって細切れで出てくるので体系的に教科書でアフリカ史を勉強するのは極めて難しいんです。
おすすめの勉強法としては帝国主義時代のいわゆるヨーロッパ諸国のアフリカ進出、
全部無視してこの現代アフリカ史を勉強するっての1つお勧めです
帝国主義時代のアフリカ史と現代のアフリカ史って明確に連続性があるので、帝国主義やって現代史でまた戻って帝国主義やって現代史ってのは3週ぐらいするとアフリカ史相当強くなると思います。
そして勉強法で意識しなきゃいけないのが2つあって1つはね宗主国えつまりこの国がどこのヨーロッパ所諸国の植民地であったか、これを必ず意識してください。
そして2つ目は地図です。
やはりアフリカの国がどこにあるのかっていうのが、地理感覚を持って勉強しないと頭に入らないんです。
これはね東南アジアと一緒なんですよ東南アジアも必ず宗主国と現在の東南アジアの国を覚えなさいっていうふう言ってるんですけど、
アフリカ史は東南アジアより難しいです。
なぜかって言うと国が多いんですね東南アジアは11カ国だけどアフリカは54カ国あります。
プラこの雑な国境まこれヨーロッパが引いたからしょうがないんだけど、
そのとこから非常に分かりづらいわけです。
例えば日本人でコンゴ民主共和国の場所をさせる人って私ね5%日本人で切ると思いますよ。
だけど受験でマーチ以上に受かると思ったらコンゴ民主共和国の場所パッとさせなかったら絶対受かんないじゃないですか。
そういうこともありますのでまその宗主国と地図というのも意識しながらですねえアフリカ史の勉強をちょっとしていきたいと思います
1人帝国主義の時代の後のアフリカというところでえ覚えておいてまマ統計で差がつくのが、ディボースという人だと思います。
リボスというのはメリカの国人として初めてハーバードでえ拍手号を取った人物なんですが、
1919年のあのパリ公和会議の時に、まアフリカの独立なんか訴えに行ったんですね
で、そこはねうまくいかなかったんだけどフランスの首相のクレマンソの支援を受けまして、パンアフリカ会議っていうのを開いていますフランスが主体だったのでイギリスが全然参加しないし、支援を受けた関係からフランスの植民地帯をちょっとこう賞賛しなきゃいけないとかもあったんだけどまやはりこの資源の集だとか奴隷の廃止とか教育の普及とかま現代的な視点で、
アフリカの事実っていうのを訴えたま非常にこう後のパンアフリカニズムいわゆるアフリカ人によるアフリカっていうところの大きな運動の起点となった人物だと思います。
そしてこの第1次世界大戦と第2次世界大戦では多くのアフリカ系の国人が参戦をしてます。
多くはもうヨーロッパのえ兵力不足を補うっていう部分があるんですがまそこによって、例えば戦い方10の使い方とか、
さらには外の世界をアフリカ人が見るっていうね大きなこう起点となったわけですで第2世界大戦が集結した時点でえ独立していた国っていうのは何カ国あるかっていうと実は3カ国しかないんです。
地図で見ると、ま19世紀から独立を維持したエチオピアとリベリア。
エチオピアはねイタリアからの支配を出すしたばっかりです。。
そしてもう1つはイギリスから独立をしてたエジプトこの3カ国しかえ第2次世界大戦直後は独立をしてなかったんです。
これがね1950年代の後半ぐらいから、ポツポツと独立す国が出てきまして、一気に増えたのは
1960年なんですねえ1960年に1度に17の国が独立したことからま1960年をアフリカの年っていうふうに呼んでいます。
この辺りからですね一気にアフリカの国が増えていくということになるわけです。

それを受けましてこのパンアフリカニズムアフリカ統一の動きの中でえ1963年にはエチオピアのアディスアベバに集まってえアフリカ統一機構au、auというものがあ31カ国で結成されます。
でこれが、後に発展をして2002年には、アフリカ連合これauっていうどっかの携帯会社みたいなね名前ですけどもえに発展し現在は、アフリカの全ての独立国がこのアフリカ連合auに加盟してま将来的にはアフ衆国を作ろうっていう動きは実はあるんですね。
まこれまいつ達成できるのか私が生きてるうちに見れるのかっていうふうにえそういう疑問もあるんですけども、
そういう動きがあるわけです

そしてちょっと話戻りますがアフリカ統一機構が結成された1963年の翌年には国連貿易開発会議これはアンクタットっていうふうに読むんですけど、それが設立されましてまいわゆる開発途上国の経済発展え開発の支援っていうのを行っていくんですね、
これは明確に、大量に誕生したやはり経済的に苦しいアフリカ諸の支援っという部分で組織されたものなんです。
これで、じゃアフリカが一気に発展をしていくのかというと、ご存知の通りそうはならないわけです。
なぜかと言うとまそこにちょっとプリントにねえ列挙をしておいたんですけどまずこの後まいろんな国のアフリカの独立見ていきます。
ところがねほとんどの国で内戦が起こるんですね。この内戦が起こる理由っていうのは、
これ地図見ていただけるとまこういうふうにまっすぐの国境をヨーロッパ人が引くじゃないですか。
現在のアフリカの国々の国境ってのは帝国主義時代のヨーロッパ列強の勢力権っていうのがそのまんま国境になってます。
そうすると現地の事情を無視するんですねえ例えばアフリカには部族が800から1000あるって言われてますけども、
複数の全然違う部族が1つの国にされたり、1つの部族が複数の国にまたがったり、
最初から内戦になりやすい要素を作ってるんですねヨーロッパ人がそれで立しちゃってるので、内戦が起きやすいっていう部分があります。さらには、医療体制の不味もあるんだけども、疫病の流行。
例えばエーズっていうのは全世界のエーズ患者の半分以上が実はアフリカ人なんです。
例えばボツワナという国では、全人口の4割ぐらいがエイズ患者というふうに言われています。
最近ではエボラ出血熱とかもちろん、コロナもそうですけどもえそういった疫病によってえ、開発が阻害されるという部分があります。
または教育水準ととかえあとは医療水準のこともそうですし、
治安とかねえ発展しづらい要素がやっぱあるんです。

そしてもう1つが、モノカルチャー経済というのがあります。モノカルチャーっていうのはギリシャ語でモノっていうのが、1という意味なんですけど、つまりですね資源とかえある作物とか1つの産業に頼った国の経済、
これをモノカルチャー経済っていうふうに言ってるんですね。
これがどういう問題があるかってのは分かると思うんですけど、
1つのものに頼ってたらまそれがもし値段が下がったりとか、
その作物が取れなかったりした場合に国の経済そのものが傾いてしまうという、そういう危険性があるわけです。
これってでもアフリカ人のせいではないんです。
例えばヨーロッパ人がプランテーションとかを作ってえその商品作物を輸出ように強制的に帝国主義時代植民時代に栽培をさせてるから、産業構造がそうなっちゃってるんです。
でしかもヨーロッパからそういう機械を買わざるを得ないから国の中で作る体制も作られていないえ。
そこで独立するわけですね例えば交通網なんかも基本的にはそういったものを外に輸出するための交通網は作りますけど、
国全体を円滑に回すための交通網とはならないわけですよ。
そういう状況の中でまアフリカっていうのはなかなかやはり思うように発展はしないんだけど、
それがアフリカ人が働かないから発展しないのかって言うといややはりヨーロッパの植民地の責任っていうのもあるんじゃないかなというふうにえ思います。

ではここからは、広いアフリカを地域ごとに分けてえ勉強していきたいと思うんですが、
まず北アフリカです。北アフリカっていうとまアフリカの当然北の方なんですけれども、、
サハ砂漠の北のまこの辺りの国々を見ていくんですが、
あの一応ですねお断りしておくのはエジプトはアフリカの国なんだけどエジプト史っていうのはどちらかというとやはり西アジア史イスラム史の半中で扱うことが多いのでエジプトだけは省かせていただきますが。
それ以外の国々をちょっとねえ見ていきたいと思います。

で、この北アフリカの地域というのは地理的に近いフランスやイタリアの植民地が多いんですけども、
まず独立をするのが1956年にモロッコとチュニジアが独立をしていきます。

地図で言うとですねモロッコがこの場所チュニジアは昔あのカルタゴがあった場所です。
この場所でまどちらも地図で抑えなければあいけない場所だと思います。モロッコについてはね、
あのこれ珍しい国でね植民地化をされる前の王制というか政治体制が形を変えながら、
そのまま残ってえ現在の独立くなってるっていうこれねすごい難しいです。


モロッコとスワジランドぐらいしかないんだけど、そういった国です
であとチュニジアについては、あの最近ちょっと頻度が上がってる国ですねこれはね独立をした経緯というよりも、
あの別のプリントで私はやっちゃってるんですけど、
2011年にえこのチュニジアでま弁ありっていう独裁政権に対し革命が起きるこジャスミン革命っていう革命が起きるんですね。
このジャスミン革命が他国に波及してま例えばリビアとかエジプトとかあとは、シリアとかまイエメンなんかもそうかな波及して、
アラブの春って言われる大きな動きになったんですね。
このチュニジアが起点になってるっていうことは最近はマーチレベルでも出やすくなってますのでちょっとねチュニジアを抑えといてもいいかなというふうに思います。
そして圧倒的に大事なのは、アルジェリアです。アルジェリアはねフランスの最も重要な植民地です。
1830年に復興生のシャルル10世のアルジェリア出平からえまこの植民地支配っていうのが始まっていきましてまよくあの、あのパリを西川が横切るがえ地中海がフランスを横切る、つまりフランスとアルジェリアっていうのはもう一体化したものであって、
もう単なの植民地以上のものだっていう感覚があるらしいんですね。
でこの地域ではフランスの入植者これコロンって言って教科者乗ってないんだけどね、
そのコロンが非常に力を持っているんですが、それに対するまこう反発フランス支配に対する反発が起きるんですね、
特にえ民族開放戦線flnっていうのを引きいたこれベンベラっていうのが引きいるんだけど、
それが多くのテロを行いまして武装闘争をしてまこれにフランス非常に混乱をしていきます。
で、結果的には、フランスで第4共和性が倒れてドゴールの第5共和性になる大きなきっかけがこのアルジェリア戦争だというふうに言われています。
で結果的に第5共和性のドゴールは国民投票によって確か75%ぐらいの指示でアルジェリアの独立を認めるという形になりまして、
1962年のエビアン教予定で、アルジェリアは独立を果たしていくということになるわけです。
ただこのアルジェリアとフランスの関係性のも非常に強くてまよく私は次男ていうねフランスを代表するサッカーの名選手の名前を出す。
ですが彼は両親アルジェリア人ですからアルジェリアとフランスの関係性って今でも非常に強いというふうに言われています。
でま全然関係ない話なんだけどあの本当関係ないんだけどねイスタンブルに私が行った時に羊の肉のケバブを食べに行ったんですよ。
結構ね有名な店なんですごい混んでたなんですね。そこであの相席をお願いされていいですよって言って私1人で行ったんで、
私が座って前にねあの中東系の人は座ったんですよ。
注文してる様子を聞くとトルコ人ではないんですね。聞いたらアルジェリア人だったんですよ。
でところがねアルジェリアの方だから当然僕はアラビア語ですでフランス植民地だからフランス語も喋れるんだけど、英語はねあんまうまくないんですよで私も、日本語と一応トルコができるんだけど英語がやっぱうまくないからお互い、汚い英語でねあの会話したんだけどもこの時こそね受験世界のね知識が役に立ったことないですね。
まず話の中であアルジェリアの独立ってのは1962年のエビアン協定ですねってにぼそっと、言ったらもうその人顔変わったね。
もう一気にAみたいな顔になってえそっからflnのベンベラがとかね、
あとは昔のベルベル人がとかそういう話たすごい喜んで話が盛り上がって、もうこんなに世界中の話って役に立つんだな風に思ったことないですけども、そういう個人的なね思い出があります。

そして次に、リビアですねえリビアというのはあの第1次世界大戦前のイタリア=トルコ戦争でまオスマン帝国からイタリアが奪ったまトリポリと切れないかこれ合わせてリビアと言っていたわけです。
でここが第2世界大戦後に独立をするんですが、
1960年代に、ま若干27歳のカダフィ大佐が、えクダを越して彼が独裁者になっていきます。
まこのカヒっていう人は相当強烈な、入試にはめちゃくちゃ出るわけじゃないんだけどもうなんてつうのかな憲法とか議会とか確かリビはないんですよ。
でえなんか緑一色の国旗を用いてこのカダフィが、完全な独裁者になってくんですね、


で例えばねあのカダフィ何したかって言うと1回ね国連総会かなんかに出席してニューヨーク行ったんだけど、
アメリカと仲悪いからアメリカのホテルとまんないつってね国連本部のビルの前にテントかなんか貼ってそこに止まってたんですね。
総会でね一応15分の演説っての話したんだけど、それ無視して1時間半ぐらい演説してしかも意味わかんない内容で、
新型インフルエンザはえワクチンを売るための兵器だとかねえケネディはユダヤ人が殺したんだとか、
オバマは実は俺のことだとかねわけわかんないことずっと言って強欲が途中で倒れるっていうそういう事件があったんですけど、
あとはねまカフィある日危険が良かったんだろうねあの囚人を突然解放するって宣言して、
自らブルドーザーを運転してえ刑務所のの壁に突っ込んで壊して逃げろつって400人の囚人を解放するとかで、
それを記念して3月3日が国民の祝日になったり、
そういうもう思いつきでよんなことやるんですね。
で結果的に2011年にま先ほどチュニジアの話しましたけども、アラブの春が波及すると、これ見ていただけるとチュニジアとリビア隣国ですからねえ波及した結果民衆が暴動を起こしまして、最後カダフィに逃げ回るんだけど捕まってえ下水道かなんかに逃げてたのはね引きずり出されてえボコボコにされてえされちゃうんですね。
でこれはねまYouTubeとかでこのカダフィが捕まってリンチにあうシーンとか簡単に見れますのでま興味がある人は見ていただければと思います。

そしてえ北部の最後のところでやるのがスーダンです。スーダンはエジプトと非常にね文化的に非常に近くてあの19世紀にはマフディーのランが起こった後にイギリスがえ植民地にしていた地域ですね。
でこのスーダンは元々アフリカで1番大きい国になったんですけども、
2011年に南スーダンが独立をして、それ以降はねアルジェリアが今1番大きい国になってると思います。
でこのスーダンはもう内戦がすごくてまず元々ね北部のイスラム教都と南部のキリスト教都の間でずっと内戦やつなんですよ。
これね250万人ぐらい死んでんですね。えそれが収まったと思ったら、
今度はね西武の地域でこれイスラム教同士であるんだけど、
非アラブ人のスーダン人とアラブ人のスーダン人の間で戦争を起こって、
これ同じ宗教でしかもアラブ人非アラブ人つっても基本的に見た目はみんな黒人だから見分けつかないらしいですよ。向この人も。
そこでねまた戦争やってこれも30万人ぐらい死んだのかな。
でこの内戦が行われていてま特にこの南スーダンなんかは日本の自衛隊なんかも派遣されてますので、
ちょっとね出題頻度が高くなってもいいのかなというふうに思います。


続いて、えアフリカの東部。
まずはやはりアフリカで1番フリークにエチオピアですねえ首都のアディスアベバは先ほど言ったアフリカ統一機構の結成値ですので、
教科書乗ってないんですが抑えてもいいかもしれませんえ最後の工程のハイレセラシエえは、抑えとく必要があると思います。
でこのエチオピアというのは、19世紀には、イタリアの進行を撃退してえ独立を維持した国なんですけども、
20世紀に入って、ムリ2政権のイタリアに一旦占領されています。
しかしまイタリアが結局第2世外大戦負けますので、
対戦中に独立を回復しましてえ戦後も、このハイレシが工程としてえ政権を維持するんですね。
ところが、飢餓とか汚職とかこの政権の腐敗が進んでいてま民主の生活苦しいんですよ
で、その中でなんかねこれハイレダシってねペットにライオンかなんかかってんだけどライオンの餌にすごい高い高級牛肉をあげてたんですね。それが民衆が上人にしてんのにライオンにペットやってるって何事だつってそれがきかになんか冒頭が起きて、
でこれが1974年のエチオピア革命になるんですね、
で結果的にはハイをされた後にえ殺されましてで南関大向けではねその後のエチオピアってのがどちらかというと社会主義の政権に移行するので、そこまで抑えとくと、南関大向けになるかなというふうに思います。
エチオピア自体はね非常に古い国ですしハルラシアはね確かね戦後の日本に最初に来日をした国家原種がこの人だったと思いますので、
日本との関連も実は深い人だということです。


続いて、ソマリアです。この地域は、元々アフリカの角と呼ばれた地域で、ソマリランドドって名前で呼ばれたんですが、
イギリス領の地域とイタリア領の地域それぞれ独立した後に合併した国です。
ただしま内戦からですね政府が完全に崩壊して無政府状態になるんですね。
で無政府状態だから統治がないんですよつまりえ軍隊も機能しない警察も機能しない学校も機能しない病院も機能しない。
もう国家としての組織が全くないんですね、
その結果ですですねえこのソマリア内戦っていうのがもう手がつけられない状態になりまして、
アメリカを中心とする他国石軍が、治安維持で行ったんですね。

ところが、ここで民兵との戦争でえアメリカ兵に多くの犠牲が出ましてアメリカは撤退するんですね。
その結果現在も、混乱が続いてるという状態なわけです。
これはね映画見るといいですねあのブラックホクダウンっていうねこれ戦争映画ではかなり面白いと思うんですけど、
これ見るとねあのソマリアの混乱ちょっとこの国は旅行ではいけないなというのがすごく分かると思います。

でその結果このソマリアがどういう状況になってるかって言うとこのソマリアっていうのは場所で言うと、
これがまアフリカの角ですねえこっち行った方がいいかなそうするとね対岸のねこイエメンとこのソマリアってのは両方不安定なんですよ。そうするとま末ズガを通るアジアとヨーロッパを結ぶ会場ルートのところが、このソマリアなんかも海賊がいっぱいうようよしてるので不安定なっちゃうんですね。
その結果です。日本を含むえ世界経済にま大きな影響ダメージを与えてるといういう状況なわけです。
ですから日本の自衛隊なんかもなんかジブチなんかを拠点にして、この会場ルート守るために派遣されたりもありましたけども、
ちょっとですねえも世界経済に欠かせない地域なのかなというふうに思います。

1回目の最後は、この西アフリカの地域を見ていきたいと思います。
でまず西アフリカで言ったら何と言ってもガーナを抑えなきゃいけないですねえガーナは、イギリス洋のゴールドコーストと呼ばれた植民地でしてえ初代大統領のエンクルマという人をねえ中心に独立をしていきますでこの車マっていうのはねアフリカ史とすごい大事な人で昔はあの発音が運から始まるからあの大米時には発動しづらいって言ってねエ車って乗ってたんだけどま最近やっぱり教科書が現地身にしようっていう動きがありますのでえ今はね車っていう方が主流になってえいます。
でこのガーナが大事なのはサハなんで最初の独立国家このガーナなんですよ。
ですのでえこれはちょっとね重要性があるのかなっていうふうに思います。
国名は昔のねええガーナー奥に由来するんだけど場所全然関係ないね、
全然違うところどちらかていうと場所はアシャンティ奥の場所なんだけども、
このサハライナ最初の独立国ってのは非常に重要性があります。


続いて、フランス領のギニアが1958年に独立を果たしてえいきますでこのギニアは、セクトゥーレという人によってえ独立をするんですがこのセクトゥーレは19世紀にあのフランスの植民地者に抵抗したサリトデの子孫に当たる人物です。
これも全然関係ない話なんだけど日本でで1番有名なギニア人って誰かって言ったら多分ね高校生は絶対知らないと思う。
だけどもし年配の方が見てたら分かると思うんですけどオスマンサコという方ご存知ですかね。
元々はギニアの大使館で働いてる職員で、当時やっぱり日本語を話せる黒人の人って珍しかったから、それであのテレビタレントみたいな感じでえ活躍した人です。
あのこ話があってね昔そのオスマンサコさんがあの日本のお葬式かなんかに出たらしいんですよ。
で葬式でこう新明にねえ座っていてお経とかを聞いていたら、なんかみんなむにこう立ち上がって前の方に行くと、
何かやってるわけですね。もうサンコンさんもわかんないしもう葬式だから途中話がとか聞けないから何やってんだろうて、
ずっと見たわけですよそしたらま立ち上がって前の方に行った人がこうなんかこう右手がこう動いてると。
右手で何かこう顔の方にこう近づけてるとで3回ぐらいやったらえ手を合わせてるこれは分かったと。
でご遺族の方に向かって行ってなんか言ってるとで何言ってんだろうっていうふうにずっと聞いたら、
ごなんとか様でしたってるわけですね。ごなんとか様でしたあもうあれしかないなろということで理解して、
でサンコさんの番がやってきてえ前に行ったら確かにこういい香りのすものが置いて、
あるなるほどとでこれを持ってえもちろんこう食べるえ2回目食べる3回目食べる。
もちろんこれはあのご証拠のことなんですけどもわかんないからこれこ木屑を食べちゃったんですね。
口がジリジリになった状態で語族の元に行ってごちそうさでしたつって帰ってたっていうね話があります。
これは全然関係ない話なんだけど、あのギニアの日本で1番有名なギニア人は多分このオマンサンコンというねえ人だと思います。

続いて、イギリスから独立したナイジェリアですがこのナイジェリアは悲惨ですね。
ナイジェリアは、西部と北部と東部で丸っきりこう族があ文化とかあの習慣が違うらしいんですね。
ナイジェリア人に言わせれば西部北部東部の違いはアイルランドドイツ中国ぐらい違うっていうふうに言うんですよ。
でその結果ですね最終的にはえこの東部の人たちのこれイボ族って言うんだけど、
その人たちが虐殺に会いましてえ独立戦争になるんですねえ。
この戦争をビアフラ戦争っていうふうに言いまして、
このビアフラ戦争の結果2年半でね200万人ぐらいなくなったんじゃないかな、
そういう悲惨な結末になりますこれあの東部のえ方でま石油が出たっていうこう資源の争いもあったんですが、
やはり内戦で大きな被害を出した国です。

同じくリベリアという国もあるんですけどこれもね内戦が激しかった国ですね、
でリベリアについてはねちょっとこの特徴国の特徴を伝えてかなければいけないんですがえ、
リベリアっていうのは19世紀にエチオピアと共に独立を維持した国の1つです。
で元々はねこうなんで維持できたかて言うとアメリカにいた黒人がえ解放されって帰ってきて作った国なんですね。
ですからえリベリアの国旗ってアメリカにそっくりだしえリベリアの首都のモンロビアってのはアメリカ大統領のモロにちむ名前なんですね。
ところが、このアメリカから帰ってきた黒人っていうのが現地の黒人を差別すんだね。
原住民とか言って呼んでえつまりねゴム農園か何かをアメリカから来た黒人が経営して、
現地のアフリカの黒人を労働者として搾取するみたいなつまり国人が黒人を人種差別するっていう、
そういう状況の中で国が不安定になるんですよ。

で最終的には1980年以降に内戦とクーデターが頻発してこれちょっと私もね授業ではちょっと話せないですね生産です。
だからリベリア内戦拷問とかリベリア内戦処刑とかってやるとちょっとやっぱこう授業では話せないレベルのあの生々しい話が出てくるんで、これネットで調べない方がいいと思いますけど、まそういう状況になるわけです。

その後ですね一応2006年にえアフリカ初の女性大統領であってなかノーベル平和賞もらったのかなえ、
サーリーフっていう人が出てきまして、内戦を終わらせてまいわゆる復興の道を歩んでるという状況にあるわけです。

北部東部西部だけまとめておきましたで第1回はこれで終わりにしようと思います。

第2回のところでは、これ大事ですねコンゴとかルアンダあとアパルトヘトの南アフリカそういった中部から南部のアフリカについてまめて最後に、アフリカのこの地図についてもえちょっとねえ説明をしてえ第2回の方に進んでいきたいと思います。


◆え皆さんこんにちはえ全2回に分けて、戦後のアフリカ史現代アフリカ史を勉強していますが、
前回の1回目は、北アフリカとか東アフリカあとは西アフリカこの辺りを勉強してきました。
今日の第2回ではあ中部アフリカとあとは南アフリカの方を勉強して、
最後にまとめとして地図全体とあとは、現代のアフリカの課題や今後の展望についてお話をしていこうと思います。

特に2回目の今日は、もう冒頭でこのコンゴをやります。
コンゴは受験世界地は極めて大事な国でして、帝国主義からの連続性も非常に強いのです。
このコンゴっていうのはね難しい国なんです。
ある研究者に言わせるとコンゴほど例えば民族的にも社会的にも資源的にも、国が分散してま彼はね遠心的な性格って言ってましたけど、
つまりほっといたらバラバラになっちゃうんです。そういった要素を持った国なんですね。
でアフリカにはそういう国たくさんあるんですが特にコンゴは、その傾向が極めて強いえ国でした。
でコンゴってのはどういう国かと言いますとま正確にはコンゴ民主共和国というふうに言いまして、あのコンゴ共和国って近い名前の国があるんですね。で昔はねあのこのコンゴ民主共和国は年配の方分かりますかね、ザイルっていう名前で呼ばれたこともあります。
それと同じ国で国名が変更されているんですね。
で元々は19世紀にベルギーのレオポルド2世があ人出をしましてまこれが、
ベルリンコンゴ会議というビスマルクドイツの鉄血対象ビスマルクが主催した会議につながって、
いわゆるそのヨーロッパ諸国のアフリカ進出のきっかけとなったのがこのコンゴなんですね。
で結果的にまコンゴ自由国というですねえレオポルド2世の首打みたいな状態になってまそこでまもう散々ですねもう集だというか悲惨な状況が続いてくんですね。
例えばちょっと生々しい写真出しますけどあのゴムか何かを採取するためにノルマを決めて。でそのノルマを達成できなかったらそのコンゴ人のうんなんか手首を切るみたいなあそういったことが行われてたんですね。
ですのでま現在このベルギーのレオポルド2世は極めてこう厳しい評価をえされているんですが、
そういう状況で植民地にした国でしたで1950年代ぐらいからあのベルギーに対する独立運動独立闘争が始まって、
テロとかねえそういう事件が頻発します。その結果ベルギーは、なんと治安の回復っていうかの回復を放棄しましてえ独立をさせてしまうんですねえ。その結果、1960年アフリカの年ですけどもわずか5ヶ月というですねえ短い準備期間でえコンゴが独立を果たしていくんですねえ初代首相はルムンバという人でま彼はねあの映画化もされた人物ですけどもえこのルムンバ賞を中心に国ができるんだけど、
そもそもこのコンゴを中央集権的な国にするのか、それともこれバラバラですから連邦性にするのかっていうも極めて根幹の話も決定しないまま、独立をしてしまうので
当初からです。内戦になるような混乱がつぐんですねえ。
その結果え首相のルムンバと大統領のカブと、あのカガ州っていうねま例えば銅とかコバルトとかそういう資源が豊富なとこがあってベルギーがまた勧誘するんですよベルギーがこのカタ合衆だけ分離してま影響力を保持しようとしてそれに介入した結果このルムンバカブあの加合のベっていうま3の内戦なるんですねこれがねコンゴ動乱と言われたものです。
で結果的にえこのコンゴ動乱はこの3者の誰も勝者にならずにえアメリカとか国連が支援する物物将軍のクーデターが起こってえ彼が権力を握っていきます。
つまり国連が支援してクーダーが起きるんですよでそしてこのコルターによって、ルムンバは逮捕されて、こう逮捕された写真って私も高校時代に史上集で見てなんかそう印象残ってますけども、
ルムンバはチを受けた後にえ処刑されて遺体は確か流産かけられて処理されたと言われてますが、
そういう状況になりますで以後毛物が、え小機会にわたりこの国の支配を続けまして、
現在でも、このコンゴは内戦が起こったり止んだり起こったり止んだりという状態が続いてるということです。


続いて、近年急速に出題が増えているのがルワンダですね、
ルアンダは、コンゴのすぐ東にあって元々は旧ドイツ領だったんですが第1次世界大戦後はベルギーが支配した地域でした。
でアフリカでは珍しくこの国は旧来のこの部族社会みたいなものがそのまま分断されずに国家になっていくので、比較的ですねアフリカの中では安定した要素を持っていたんですね。
で独立を果たした後に、これ面白いのはねルワンダの中央銀行の総裁がルアンダ人じゃなくて日本人なんです。つまり日本の進んだ制度を入れてくれっていうことでなったと思うんですけど、
これは中高新書かなんかでねルワンダ中央銀行総裁日記っていうそういう記録の本が出てるんですけど、これがね古い本なんだけどめちゃくちゃ面白いですね世界中と完全に関連するわけでないんだけどま古い本なんだけどね去年か昨年ぐらいにまた人気が来年してえ再販されたっていうふうに言われています。
是非ちょっと読んでいただけると当時のルワンダの様子がねえよく分かると思います。
このルワンダがおかしくなっていくのが1990年代でしてえ、
多数派の不族が少数派の土族を大虐殺するルワンダ内戦っていうのが起こるんですね
これが、戦後のアフリカで起こった最大の内戦というふうに言われています。
で不俗と族どういう違いがあるかって言うと不族っていうのはどちらかというと濃厚に住持して背が低くて鼻が低くて色が黒いで強力は遊牧をやっていてま背が高くて鼻が高くて若干色が白いま国人ですけどねえそういう違いがあるそうなんです。

ただしその両者の違いっていうのはすごく曖昧で人生の中で部族が変わったりすることとか、
違う部族不族続続で結婚するとかそういうことも普通にあったそうなんです。
ところがベルギーが、この地域を支配する時に少数派の出力に多数派の不続を支配させるっていうま一種の間接統治を行っていくんですで身分症かなんかを作って、今まで曖昧だった部族を明確に分けるんですね。
その結果ま少数の支配者の出力に対して多数派の不足の不満が高まるんですね。
この対立っていうのが氾濫の原因だったんです。
で90年代に実際にこの対立があの武力衝突になった時には付属の方がラジオで、これね高い木を切れっていうの合図だったんですねえ。
高い木を切れまつまり背の高い土俗を殺せっていう合図で一斉に沸でが放棄して銃とかナイフとかあとはマエテっていうナですねそういったもので一斉に襲いかかって大虐殺が起こるんです。
当時ねもう危ないって言って国連軍がねあのわずか駐屯はしてたんですけども、
とてもじゃないけどもう抑え切れないです全土で怒っちゃってでこういう話があってちょっと生々しい話しますよ。
ある学校に続の人が2000人ぐらいが逃げてるとそれを少数の国連軍が守っていて、
その学校の周りをもう何万人も付属が囲んでいるって状態なんですね。
国連軍がいなくなった瞬間にも殺されるの分かってると。
ただ国連軍も人数が少なすぎるからともう守りきれない。
結果的にはね国連は危険だから族を残して撤退しろっていう命令を出すんですね。
で実際に国連軍がもう撤退をしようとした時に残された族はねもう泣いてお願いをしたそうです。
何を願いかって言うと行かないでくれじゃないんですよ。
その銃で我々を打ってくれっていうんですね。
つまりナでこう切り刻まれて殺されるよりは銃で一発で楽に殺してくれっていに懇願したっていうふうに言われています。
結果的にはそんなことできませんからえ国連軍が撤退した後にえ付属が襲いかかって本当ナでを襲ってね本当にちょっと気持ち悪い話するとなんか妊娠をしているお母さんのお腹を切って殺して中からあの赤ちゃん入ってるじゃないですかか、
そのエジを取り出してお父さんにそれを食わせるとかそんなこともあったそうですね。
ほとんどのえ人がこってた人がそこで殺されたというふうに言われています。
でこの大虐殺の結果国民の10%以上が殺されたというふうに言われていまして、
先ほど言いましたけども第2次世界大戦後最大の最悪の被害っというのがね出てしまうことになります。
で今どうなってるかと言うと実は内戦が終わった後にえこの不族と血族の優和っていうのを政府が図っていって、
今実はねすごい安定してるんですねえ治安も安定して、
日本人が普通に旅行に行っても大丈夫というふうに言われています、
またですねえデジタル化が進んでいてまそういったITとかに力を入れてるので経済発展も順調に進んでいて、
今ではアフリカの中では優等生って言われる国になってるそうですね。
でこのルワンダ内生についてはねいくつか映画があるんだけど、
私が授業で使うのはホテルルアンダって映画があるんですね、
この映画が、1番ルワンダ内戦をま分かりやすく教えてくれるのかなっていう気がします。
生徒に見せるとまお他にもいろんな戦争映が見せるんだけどま3年間で1番怖かったっていう生徒もいますが、
非常にねよくできた映画だなと思っております。


続いて南部を見ていきたいと思うんですが南部では、ずやはりねなんと言っても南アフリカ共和国についてえ勉強しなきゃいけないと思います。
南アフリカ共和国は1910年にイギリスの自治量として独立をした後にえイギリス連邦からも離脱して完全な独立国になっていきます。
でこの国っていうのは、なんで有名かと言ったら何と言っても悪高きアパルトヘトをやってるんですね。アパルトヘートっていうのはえ少数の白人まこれ国民の15%ぐらいなんですけども、12%ぐらいいるアジア系のインド系中国系が多いんですけども、
それと7割以上の黒人というま大多数の夕食人種を支配するま人種隔離政策と言われたものですよね。
でこのアパルト兵を行った白人っていうのは何人かって言うと。
1つはオランダ系のブール人です元々あのこのの地域に最小植民地にしたあ人たちですね。
その後ウイン会議以降19世紀に入っていたイギリス人がいますので、
オランダ系のブール人とイギリス人この両者を白人として優遇的な立ち位置にしてえその他の夕食人士を支配するっていう構造があったわけです。
でこれがずっと続いていて例え、トイレの利用とかあとはビーチの利用とかベンチの利用とかまレストランとかバスとか様々なところで、白人と夕食人種が区別をされるっていう、そういうま完全な人種差別の政策が行われていたわけです。
だから南アフリカってね多分ねオリンピックとかワールドカップとかね排除されてたと思う。
避難されてそういう状況が続いてたんですね。
でもちろん国内でも反発があってまアフリカ民族会議ancっていうねえ組織があって活動したんですが、
当然これ弾圧をしております。

この状況が変わるのが、デクラークという人が大統領になってからです。
このデククてのは名前的にオランダ系のブール人白人の大統領です。
彼は黒人との対話を進めていきまして、
1991年にはこのアパルトヘトを法的に撤廃えしておりますでちょっとねうん少し世界史の観点から細かい話をするとこのアパルトヘイトの撤廃が1991年に行われたっていうのは冷戦の集結とね実は密接な関係があるんですね。
で冷戦の集結っていうのは、1989年のマルダ会談と言われていますアメリカとソ連がねまいわゆるこう和解をしたわけです。
でその2年後なんですね。元々ですね南アフリカっていうのは、金とかダイヤモンドが有名ですけども、
それ以外にもウランとかマンガンとかプラチナとかまレアメタルが大量にあるわけですよで今の経済にはそれ欠かせないわけですね。
その結果ま経済制裁をしたくてもあのなかなかそのレアメタルが欲しいから西川諸これ、日本なんか特になんだけど、経済制裁あんまり本気でやらないんですねだからアパルトヘドが継続したわけです。
ところがね冷戦が集結するとどうなるかって言うと、
例えばチェコとかモンゴルとかカザフスタンとか旧共産権の国と貿易ができるようになりますから
西川諸国は南アフリカからレアメタルを輸入しなくても良くなるんですね。

そうすると今度は人権侵害だっっていうことでえ経済生成を詰ることができます。
そこで南アフリカ困ってえアパルトヘトの撤廃に追い込まれたってそういう背景もあるんです。
そのかえアパルトヘトが撤廃されてえ黒人がえ参政権を獲得しますので、
そこで、1994年にネルソンマンデラという人物。彼はancアフリカ民族会議のリーダーの1人でして28年間投獄されてたって人ですけども、
彼が南アフリカ初の黒人大統領としてえこ政権を担うことになるわけです。
マンデラはねあのもしかしたら世界で習わなくても教養としてえしててほしい受験で使わなくてもしててほしい人物ですね。
でこのデラが偉いのはあの彼は28年間ほとんど無実の罪で投獄をされてたわけです。

ところが大統領になってから白人に報復をするんじゃなくて白人と国人が共に南アフリカを発展させていこうっていう政策を取るんですねえ。ですので例えばねSPあの大統領の警護をする人たちもあの全員黒人じゃなくて半分は白人だったりとかまそういうことをするんですでこの辺のところはねいい映画がありまして、
マンデラ描いた映画たくさんあるんだけどインって映画があってこれが面白い。
インビクタスっていうのはラグビーを通して南アフリカのえ当時の状況を描いた映画でして主演がねえ南アフリカ代表の白人のキャプテンを演じたマットデーモンが主演で、
でマンデラ役はね黒人の本当名優デスクのモガフリーマンが演じてるんですが、
これ見ると本当当時の状況すごくねよく伝わると思います。

結果的には、このマンデラを中心にま今でもねもちろん課題はたくさんありますが、
南アフリカが発展を続けているといういう状況なわけです。
でこのマンデラの姿勢ってのはね南アフリカの公用語なんかを見ても分かって例えば公用語として、
アフリカン語これオランダ系の言語ですのでヨーロッパ言語ですね。
さらには英語イギリス人ましたから英語この2つはヨーロッパ言語なんです。
さらにはズル語とか小ゴっていう現地語とか軽ね11の言語が公用語になってるっていうところなんです。。
これのところはねこの南アフリカが多様性を非常に重視してるという姿勢だと思いますあとはねシアもすごく重視してるだけどこれちょっとね申し訳ない落ちがあってマンデラが2013年に亡くなったんですよ。
で当然こう世界史場のますごく偉人ですのでもう世界中から3列者がありまして
例えばアメリカ初の黒人大統領のオバマ大統領なんかが参列してスピーチしてるんです。
その要でえやはり南アフリカシアを重視してますからあのシアの通訳の人もいるんだけどこれ後々発覚したのがねあのシア通訳してる人がシアを知らなかったっていう、
なんとなく手を動かして踊ってただけだったっていうねま信じられないそんなことあり得るのかと思いますけど、
そういう落ちがあるんですがまそういうまシアとかそた多様な言語を重視するっていう姿勢はね南アフリカ持ち続けてまして、
現在も、あのちょっとまだ白人と黒人のね経済格差所得格差ありますが発展を続けてるという状況なわけです。


続いて南ローデシアです。このローデシアというのは19世紀のイギリスの京風植民地の首相を務めていたセシルローズ、イギリス帝国主義のも象徴的な人物ですけどもこのセシルローズにちなんででローデシアというふうに言ったわけですねえ。
ザベジガを挟んで北ローデシアと南ローデシアに別れるんですが、
この南ローデシアは、最初白人政権で独立をするんですがその後黒人政権に変わってえ国名をジンバブエに改めます。
ジンバブエってのはこの地域にあったグレートジンバブエ、大ジンバブエ遺跡に当然ちなむわけですね。当初はねまうまくいってたんだけどあのムガ大統領これま受験出ないんだけどあのこの無大統領って人が白人の土地とかを取り上げ始めて、
で経済混乱があって経済破綻するんです。その時何が起きたかって言うと、
国の通貨の信用まジンバブエドルの信用がガタ落ちしてるハイパーインフルになるんですよで物価がどんどん上がっていってでこれ私が持ってるお宝の1つなんですけどこれね100兆ジンバブエドルもうほとんど紙屑の価値しかないんですが100兆ジンバブエドルが出るくらい国の経済が崩壊するんですね。
私はお金集めるの好きなのであの世界のね役に立たない紙幣っていっぱい持っていて、
例えばあの第1回で紹介しましたがこれあのソマリアシリングですね略してSOSっていうに略すんだけど、
日本円がJPYえアメリカドルがUSDこれソマリアシリングだからsosっていうふうにいう紙幣ですね、
あとはあのこれ北朝鮮のウンとかえあとはこれはえイラクの不戦制権化のディナールとか、
そういう世界の崩し兵集めるの好きなんですけど、そういったお金の1つとされております。

そしてえ旧ポルトガル量で言うとですね旧ポルトガル量は実は独立すごい遅いんですねえサラザールスリザリンアンゴラっていう国なんだけどこれねとにかくね受験ではモザンビークとアンゴラをしっかり覚えることが大事です。
ポルトガル領旧ポルトガル領ってきたらまずモザンビークアンガの2択になるんですね。
でこっからはね場所なんですよでモザンビークがインド用側にあってえアンゴラがあま大正用側にあるんでこの位置関係で、旧ポルトガル領のモザンビークとアンゴロを区別すりなきゃいけないんです、
これはマーチでも中央なんかでも普通に出たことありますしまあのま近年ではね1つば大学で1つばの世界劇物なんだけどあのモザンビークとアンゴラがシルエットでもこれがわかんないと、論述がかけないというそういう鬼のような問題が出ましたが、
そこで区別ができるかなというふうに思います。


そして近年ちょっとまた頻度が上がってるのがナミビアですねナミビアはね旧ドイツ領だったんだけど、ドイツが第一位世界大戦で負けた後に植民地失いますのでえその後南アフリカのねえ委任統治の後に南アフリカが併合してたんです。それがね1990年に独立をしていきますですからま南スーダンほどじゃないんだけども極めてまアフリカでは新しい国ですで場所で言うと南アフリカが統治してましたので南アフリカのえ北西部にあるというところでま位置関係でね抑えてもいいかなというふうに思いますではこのように戦後アフリカ史を地域ごとに分けてみていったんですが最後にね地図をねちょっと確認していきたいと思います地図で言うと、これね地図の名前国名が入ってるのが帝国主義の時代も含めて覚えた方がいいなっていう国の名前です。大体20国ちょっとあります。北から行くとまエジプト分かるよねエジプト軸にして南のスーダンえ南スーダンも含めてかなあそして西にリビアがあります。で、西の方にあるチュニジアアルジェリアモロッコこれ3つまめてマグリブ三国っていうふうに言うんですねえチュニジアがカルタゴの位置にあってアルジェリアもアフリカで一番大きい国ですからそれで分かると思います。
モロッもねあの19世紀のモロッコ事件のところで聞かれることが多いです。

そして東アフリカで言うとやはり大事なのがエチオピア。
もうアフリカで1番古い国ですでこのエチオピアを軸にしてアフリカの角であるソマリアあとは19世紀今回の現代史では使ってませんが19世紀のフランスの横断政策で出てくるジブチというのは、旧フランス量っていうところで重要かなというふうに思いますね。西アフリカはね地図問題だとすごい難しいんだけど1番出るのはやっぱりリベリアだと思いますやはり19世紀から独立を維持したリベリアそしてガーナは、旧イギリス用ですがサハライナンで最初の独立国になりますよ。
そしてビアフラ戦争で多くの犠牲を出したナイジェリア今回現代スでは使ってませんが199世紀のドイツの重要な植民地ってことではカメルームも抑えとくといいと思います。中央部ではもうコンゴがやはりアフリカの帝国主義からものすごく大事でその東側にちっちゃくルワンダがありますね。南の方で言うと南アフリカ分かりやすいと思うんですよ南アフリカを軸にしてその北東部のところにえザンビアとジンバブエこれ北ローデシアがザンビアで南ローデシアがジンバブエで間にザンベジがあるんですねえそしてモザンビークとアンゴラを先ほども言いましたが旧ポルトガル量で区別が必要で南アフリカの北西分ナミビアがありますで今回扱ってないところで言うと、旧フランス量のマダガスからは19世紀で登場しますので抑えてもいいかなと思います。かなり大変なの分かってます分かってるんだけどここを抑えておくと、他の受験生にえ多分ねもう差がつけられると思いますのでちょっとそこ挑戦していただければと思います。

そして近年ちょっとまた頻度が上がってるのがナミビアですね。
ナミビアはね旧ドイツ領だったんだけど、ドイツが第一位世界大戦で負けた後に植民地失いますので、
その後南アフリカの委任統治の後に南アフリカが併合してたんです。。
それがね1990年に独立をしていきますですからま南スーダンほどじゃないんだけども極めてアフリカでは新しい国です。
で場所で言うと南アフリカが統治してましたので南アフリカの北西部にあるというところで位置関係でね抑えてもいいかなというふうに思います。

ではこのように戦後アフリカ史を地域ごとに分けてみていったんですが、
最後にね地図をねちょっと確認していきたいと思います、
地図で言うと、これね地図の名前国名が入ってるのが帝国主義の時代も含めて覚えた方がいいなっていう国の名前です。
大体20国ちょっとありますね。
北から行くとまエジプト分かるよねエジプト軸にして南のスーダン、南スーダンも含めてかなあ。
そして西にリビアがあります。
で、西の方にあるチュニジアアルジェリアモロッコこれ3つまめてマグリブ三国っていうふうに言うんです。
チュニジアがカルタゴの位置にあって、アルジェリアもアフリカで一番大きい国ですからそれで分かると思います。
モロッもねあの19世紀のモロッコ事件のところで聞かれることが多いです。
そして東アフリカで言うとやはりダトで大事なのがエチオピアもうアフリカで1番古い国ですでこのエチオピアを軸にしてアフリカの角であるソマリアあとは19世紀今回の現代史では使ってませんが、19世紀のフランスの横断政策で出てくるジブチというのは旧フランス量っていうところで重要かなというふうに思いますね。

西アフリカはね地図問題だとすごい難しいんだけど1番出るのはやっぱりリベリアだと思います。
やはり19世紀から独立を維持したリベリアそしてガーナは旧イギリス用ですがサハライナンで最初の独立国になります。
そしてビアフラ戦争で多くの犠牲を出したナイジェリア今回現代スでは使ってませんが、
19世紀のドイツの重要な植民地ってことではカメルームも抑えとくといいと思います。
中央部ではもうコンゴがやはりアフリカの帝国主義からものすごく大事で、
その東側にちっちゃくルワンダがあります。

南の方で言うと南アフリカ分かりやすいと思うんですよ南アフリカを軸にして、
その北東部のところにザンビアとジンバブエこれ北ローデシアがザンビアで南ローデシアがジンバブエで間にザンベジがあるんです。
そしてモザンビークとアンゴラを先ほども言いましたが旧ポルトガル量で区別が必要で、南アフリカの北西分ナミビアがあります。
で今回扱ってないところで言うと、旧フランス量のマダガスからは19世紀で登場しますので抑えてもいいかなと思います。

最後にまとめとして、
アフリカの課題に少し補足をして授業を終わりにしたいと思います。
現在アフリカは、非常に人口が増えております。従来はアジアの人口増加が話題になってましたが、
今は、ヨーロッパアメリカアジアと比べてもアフリカの人口増加が1番大きいんです。
そういう意味では、人口増加は経済発展の土台になりますのでアフリカの経済が発展していく可能性十分持っています一方でアフリカっていうのはこの人口増加に耐えられる食料生産っていうのがやっぱ厳しいんですね人口が増えれば当然貧困とか飢餓にもつながりますですからそういったものの拡大の要素というのも十分持っているわけですそして政治的な混乱例えばクールターとか内戦っていうのは今でも続いていますやはりヨーロッパがこう適当に引いた勢力権によって分かれたあ国の中で例えば1つの国民っていうのを作り出せるのかそもそも国民これ改革付きにしてますけども国民を作り出す必要があるのかそういうとこも含めてアフリカという国のコンゴのあり方というのがね問われてるんじゃないかと思います。
最近では、これはアフリカだけじゃなくて世界的な傾向かもしれませんが民主主義的な政権よりも権主義的な政権が増えてますこれアフリカでは顕著です。権主義的っていうのは例えばこう言論を弾圧したり独裁があったりやはり民主主義が機能しない国ですよね。
とりわけですねあのこの西アフリカのちょっと国名入ってないですけども、
マリとかニジェールとかそういった国ではこの辺の地域にあのクダが頻発してまして、そういった政権が増えているんですね。
そういった国々っっていうのは例えばアメリカとかヨーロッパとか日本みたいな国よりも中国とかロシアあれが権威主義じゃないですかそもそもそういった国国とやっぱ仲良くなる傾向があります特に中国はもう多額の経済援助を行ってその資金力によって、そういった国々との関係を密にしていくんですね。これは資源の確保という部分もあるでしょうしもう1つはアフリカやっぱり国の数が多いから国連加盟国の1/4以上アフリカの国ですからねまそういった意味ではそういった国の数を通じて、中国なんかが国際政治を動かしていく永久力を持つというとこにも繋がっていくこれは、やはり国際政治に大きな影響をね与えるだろうというふうに思います。そして前回の授業の冒頭では今のアフリカのこの課題にはヨーロッパの責任が極めて大きいという話をしましたただアフリカの年から見ても60年以上経っていて今でもそうなのかって言うと私はそれに対してやはり答えは持っていないです。そうとも言えるしそうじゃないとも言える部分があるんですねこれに関しては1つねこの例を紹介したいと思うんですがウガンダ、ある大統領が1990年代かなあのあるアフリカ時国の小学校を訪れた時の話です。
そこで、このウガンダの大統領が子供たちに対してアフリカは遅れていますかっていうふうに問いかけるんですね。
反応はね半々だったそうですねえそのウガンダの小学生の中でアフリカは遅れてるとか遅れてないとかそういう論の意見があったそうですそれに対してウガンダの大統領はえ乳幼児死亡率とか敷地率とか福祉制度とかそういったいろんな例を上げながらやはりアフリカ遅れてるってい風に言うんですねえ加えてこういうふうに言いますでは遅れているのは誰のせだって聞くんですねそうすると小学生の意見をほぼ一致して白人のせいだっていうふうに言うわけですでこれはもちろん間違いじゃないんですね間違いじゃないんだけどそれに対してこのウガンダの大統領は、こういうふうに言うんですねえ我々の国が独立して数十年経つとでその間独立した後に例えば独裁者が出たり政治の腐敗汚職があったとでそれを許してきたのは誰か我々じゃないかっていうふうに、我々アフリカ人がやはりそれを許してきたそしてそれを変えて新しいアフリカを作っていくのも我々アフリカ人の責任じゃないのかっていうふうに小学生に問いかけるんです。そういう意識も芽ばえつつあるということなんですで今のアフリカっていうのは先ほどルバンでデジタル化が進んでるって話もしましたけども確かに交通網の整備とか様々な社会制度は、まだまだ遅れていますところが例えばQRコド決済なんかは日本よりもはかに進んでるんですねある意味では日本のように時代遅れになってしまった成功体験を持たないからこそ新しい技術の導入もすごく早いんですよえそういう意味でも、アフリカが発展する変わる要素っていうのはやはり十分あるんじゃないかと思います。

私は、東京農大の付属校で今働いているのでやはり東京農大に内部進学する高校生っていうのがやはりたくさんいます。実際は、受験する生徒のが多いんですけども、その東京農大にこう進学する時に一応ま死亡理由所とかそういう推薦の指導するんですねその時にま食料関係のあの学科が多いので生徒がこういうふうに言うんですよアフリカの飢餓を救いたいっていうふうに死亡優勝に書いてくるんですねそこで私はこういうふうに聞くんです。アフリカも色々あるけども例えばエチオピアの飢がナイジェリアの飢餓えジンバブエの飢が全部状況も違うし作物も違うし解決方法も違うと思うんですけどどこをどう解決したいんですかっていうふうに聞くんですね。
そうすると生徒はほとんどっていうふうに詰まってしまってえその後の言葉が出てこないです。
つまりアフリカっていうのは3様々な状況があって背景もみんなバラバラなんだけど、
我々はそれをアフリカっていう1つの地域としてやはり見てしまうんですね。
でこれは生徒に対してはそんなんで話にならないよっていうやり直しだっていうふうに指導するわけですが、
ちょっとこれあの出現になってしまうかもしれないんですけど、
多くの日本の方も認識はあまり変わらないんじゃないかなっていうふうに思うんですね。
我々自身がアフリカにポンと行ってアフリカの状況を変えられるかって言ったらその力はありません。
ただしえまずそういう状況である今のアフリカについてもう少しやはり知識を持つということしようとするということはやはりすごく大事なのかなというふうに思っています。い
つも他の授業でも言うんですけどもあの学校の授業とか大学受験で世界史を学ぶ意義というのはそういうところにあるんじゃないかなというふうに思っております。少し長くなりましたがこれで終わりにしたいと思います。