今週は1on1ミーティングでしたので、そこで個別に話した内容や1on1を通じて感じたことをシェアします。
今回のブログで、みんなに言いたいこと、伝えたいことはズバリ、シンプルに言うと、
執念が足りない!
私自身に執念があるかどうかは別にして、私は常々、
執念さえあれば、私たちが日頃抱えている程度の仕事や問題、課題の98%以上はこなすことが出来る
そう思っています、みんなもそうは思いませんか?
もう一度書きます。
執念さえあれば、私たちが日頃抱えている程度の仕事や問題、課題の98%以上はこなすことが出来る!
今回の1on1で一番感じたのは、みんな「新商品の提出」を軽く考えているなぁと。
対象者14人のうち提出したのはたったの5人だけ。残りの9人の人たちは、子どもの頃、私の周りにもいた、
夏休みの宿題をやってこない子
です。私にしてみたら全く同じレヴェル。どんな絵でもいいですから描いてきてください、どんな本でも良いですから読書感想文を書いてきて下さいと言われているのに、やってこなかった小中学生と全く同じです。
先に私は、「新商品の提出」を軽く考えているなぁと言いました。夏休みの宿題をしてこなかった小学生や中学生も含めて課題を出さない人たちは、
出しても出さなくてもどっちでもいいって、軽く考えているのです。
絶対に出さなければいけないと心に決めているあるいは誓っている人とそこまでも思っていない人
その差です。言ってみればたったそれだけの差なんです。それを私は
「執念の差」
と言っています。
「執念の差」がどうして生じるのか?!
それには様々な理由がありますが、その内の1つは、
悲しいかな大人になれば、やるやらないを自由に決められるからです。大人になれば全て自分で勝手に決めることができます。例えば・・・
この会社に入ろうと決めるのも辞めるのも、今週末、友達と遊ぼうと決めるのも断るのも自由。頼まれた仕事あるいは目標とする勉強をどんなスケジュールでいつまでにやるかも自由。そして提出物を出す出さないも・・・
全て自由。
だからこそ、そこに、やる人とやらない人、上手にやる人と上手に出来ない人、といった差が生まれてしまう。だから私は、自由に決められて幸せにもかかわらず「悲しいかな」という言葉を使いました。つまり自由に決められるからこそ、そこには
自分を律する強い心(それを執念と言う)
が必要だということです。
必要なのは執念だけではありません。宿題を提出するのに執念は大前提ですが、忙しい中でそれをやるにはテクニックも必要になってきます。
まず、新商品を絶対に出すんだと心に誓った次にすることは、提出日(ゴール)から逆算して小さな旗(マイルストーン)をスケジュールすることです。提出が遅れたり、出来なかったり為る人の特長は、ゴールしか手帳に書かないことです。これではゴール日はイメージ出来ても、その為に何をすればいいか行動に落とし込めません。
ゴールである目標を達成するために個別具体的な作業をブレークダウンして、小刻みに小さな目標を手帳に立てる
これがマイルスートン。この日までにこれをやって、この日までにこれをやる。その一つ1つのポイントをクリアしていけば、自ずとゴール(目標)は達成される!
そうは思いませんか?
しかしながら、このフェーズでも強い心すなわち執念が必要になってきます。マイルスーンすなわち一つ一つのポイントでやるべきことはどんなことがあっても実行するということです。それこそ、雨が降ろうが槍が降ろうが、どんなことがあってもやり切る気持ちすなわち執念が必要です。
これが一般に言う、目標達成のメカニズムです。
「言うは易し行うは難し」
そう思いますか?
確かに、私もその言葉がぴったり合うように思います。だからこそ、成功に必要な要素は
▼願望・熱意・決断力・向上心・忍耐力・積極心・・・53%
なのです。これ、覚えていますか?覚えていますよね?今、このブログでずっと続いている努力シリーズで、戦略や戦術、テクニックじゃない、気持ちなんだと披露させて頂きましたよね?
強い願望と熱意、そして向上心で運命を切り開け!
https://ameblo.jp/hakuromark/entry-12515246499.html
先日も「事業承継セミナー」で教わってきたところです。
後継者にはやえもすると資質すなわち経営能力やスキル(簡単にいうと頭がいいかどうか)が備わっているかどうかが判断基準になったりしますが、そんなものは後からいくらでも身につけることが出来る。そんなものより最も大事なのは(特に我々のような小さな会社は)、
① 年中無休
② 24時間営業
③ ハードワーク
④ 情熱熱意執念
⑤ バイタリティ
⑥ 事業と共に死ぬ覚悟
これらがあるかどうか、だと。
全く同感です。嬉しかったくらいです。
私自身、いつも言っていますしいつも思っています。自分は素頭は悪く、全くもって凡人であると。だからこそ自分にはハードワークしかない、気持ちしかないと。
幸い私の息子も、私の姿を子どもの頃からずっと見ていますから、自営業とはこんなに働かなくてはならないものと知って育ってますし、頭は別にして(先に書いたように頭は関係ないので)上の6つの心構えは備えていると感じています。
新商品だけではありませんよ。感想文を出すと目標に書いている君。全然出せて無いのも、同じ理由からです。つまり執念が足りない。
君が、別に出さなくて良いと勝手に決めているだけ!
だから、
絶対に出すと今日から心に決めて下さい。
心が変わば行動が変わります
行動が変われば習慣が変わります
習慣が変われば人格が変わります
人格が変われば運命が変わります
これはもとはウィリアム・ジェイムズ(心理学者、哲学者)の言葉ですが、松井秀喜の座右の銘としても有名な言葉です。
私は最近、桜のジャージから凄く勇気を貰っています。私だけではないでしょう、たくさんの日本国民が彼らから勇気を貰っています。不可能ってないんやなって。死ぬほど努力したら不可能が可能になる世界があるやんなって。だったら自分ももっとガンバらなあかんなって。
彼らのやってきた死ぬような努力に比べたら、我々のやるべき努力なんて・・・屁みたいなもんです。
では最後に、あの9月28日、アイルランドに勝利したインタビューで、スタンドオフで14点をたたき出したプレースキッカーの田村がカメラの前で語り、それを聞いていた私の涙を誘った言葉を紹介して今回は終わりします。それは、ジョセフヘッドコーチが試合前の選手に語った次のようなメッセージ。田村はそれを聞いていたく感動し、あのプレーにつながったそう。
だれも勝つと思っていない
だれも接戦になるとも思ってない
だれも僕らがどれだけ犠牲にしたか分からない
勝利を信じているのは自分たちだけ
残り、5日のサモア戦と13日のスコットランド戦。ぜひ勝利して悲願のベスト8を勝ち取って欲しい。そして僕たちに
不可能はない、努力は報われる
ってことを見せて欲しい。だから・・・
がんばれ桜の戦士!
がんばれONE TEAM!
(つづく)
1 鶴岡(山本)一人 11回(南海)
1 川上哲治 11回(巨人)
3 藤本定義 9回(巨人、阪神)
3 水原茂(円裕) 9回(巨人、東映)
5 西本幸雄 8回(大毎、阪急、近鉄)
5 森祗晶 8回(西武)
5 原辰徳 8回(巨人)
6 三原脩 6回(巨人、西鉄、大洋)
6 野村克也 5回(南海、ヤクルト)
6 上田利治 5回(阪急)
6 長嶋茂雄 5回(巨人)
これは、監督としてのリーグ優勝回数ランキングです。
若い皆さんは、この中で恐らく原監督と長嶋監督以外知らないのではないかと思います。他は皆、かつての重鎮ばかり。だからこそ、原監督の5位がより輝いて見えます。光って見えます。こう見ると原さんのすごさが分りますね。まさに名将の名にふさわしい実績。
ただ今年の巨人は、確かにリーグ優勝はしたものの、昨年、一昨年、その前と三連覇していた頃の広島のような圧倒的な強さはありませんでした。
2番坂本、3番丸、4番岡本は不動でしたが、重要な1番と5番は決らなかったし、セカンドも若林 晃弘、山本 泰寛、増田 大輝、田中 俊太、ファーストも大城 卓三、岡本 和真、亀井 善行、阿部 慎之助と、それこそ日替わりで固定出来ませんでした。ゲレーロ、ビヤヌエバといった、いわゆる助っ人外国人選手は、ここぞという場面で打ちませんでした。
肝心のピッチャーも、いわゆる安定した3本柱がいたかというとそうでもありません。今年は山口俊だけと言っても過言ではないでしょう。2年連続沢村賞を取り、かつてのダルビッシュのような完璧なピッチングで、見てて全く打たれそうな気がしなかった菅野の姿は今シーズンはありませんでした。
だからこそ最後まで混戦になりました。私は、あの10.8決戦の再来を覚悟したくらいです。10.8決戦とは、ご存じ、長嶋監督時代の1994年10月8日、日本プロ野球史上初の「リーグ最終戦時の勝率が同率首位で並んだチーム同士の直接対決」という、文字通りの優勝決定戦。相手は中日で、勝った方が優勝。結果、巨人が勝利したわけですが、今回のブログを書くに当たって調べていたところ、当時を回想したコメントがネットに載っていて、私も当時の事が思い起こされてとても懐かしかったです。
長嶋茂雄
「監督として一番印象に残る試合と言われれば、この10.8以外にない。1ゲームを勝った負けたで1年の優劣が決まる。これほど過酷な試合はない。敗者になれば地獄へ落とされる怖さがあった」
落合博満
「泣くまいと思っていたが、自然に涙が出てしまった」
原辰徳
「正直、あの心境は二度と味わいたくないですね。(中略)巨人軍5000勝という枠を超えた、最も印象に残る、しかし二度と経験したくはない1勝でした」
少し余談になってしまいましたが、今回は中日ではなくDeNA横浜ベイスターズと最後の最後までもつれそうな雰囲気が漂っていました。と言うのも、それまでは10ゲームくらい差が開いていて楽観ムードでしたが、後半戦の重要な時期になって巨人は2回も6連敗したからです。
しかし結果的には、ベイスターズとの直接対決を制したために優勝することができました。過去、原監督の優勝シーンは何度も見てきましたが、あんな目を真っ赤にして泣いている姿を私は見たことがありません。歳のせいだと言っていましたが、今年は苦しかったのかもしれません。誰もが原監督に対し優勝を期待したから、相当なプレッシャーを感じていたかもしれません。そんな中でもきっちりと結果を出すあたりが名将たる所以です。見事というしかありません。
采配を見ていても、凡人の私では想像も出来ないことをしたりします。坂本でも丸でもゲレーロでも(いわゆるどんな主力選手でも)関係なくさせる送りバントはその1つですが、これなどは私的にはあんまり驚きはしませんでした。それよりもカウントの途中でも代打を送るのには本当にびっくりしました。これに関して象徴的なシーンは、8月24日の東京ドームでの対DeNA戦。9回に相手チームの守護神、山崎から1点を取って追いついた延長11回裏、ノーアウト一塁でピッチャー田口に打順が回ってきます。そのまま送りバントかそれとも代打か?!そのまま田口が打席に立ちますが、その2球目にファーストランナーの重信がスチールを試みて成功します。すると原監督は田口の打席の途中にも関わらず石川を代打に送ります。ここからはもうファンにとっては今シーズン一番のエキサイティングなシーンなので解説は不要だと思いますが、サヨナラホームランを石川が打って優勝へのマジックナンバーが初点灯するわけです。たとえカウントの途中でも躊躇なく作戦を断行する決断力。しかもそれが大胆ときます。もう見事と言うしかありません。1つ目の原監督の凄いところ、それは
大胆さと決断力です。
重信が出たついでに言っておくと、足のスペシャリストを用意して、ここぞという場面で代走に起用するのも原監督の得意技です。前の監督時代は鈴木尚広という選手がいました(このブログでも書きましたね)。今季は重信の他に、増田大輝というプチブレイクした選手がいます。そしてその彼らを、往年の足のスペシャリストである鈴木コーチが一塁コーチャーズボックスから後押しするのですから、選手にとってこんな心強いことはないでしょう。
そのプチブレイクした増田選手は、優勝を決めた対DeNA戦勝利の立役者、ヒーローです。本来は足のスペシャリストですから打撃は期待されてはいません。しかし延長10回、ツーアウト、ランナー一、三塁で一打勝ち越しの場面で回ってきます。相手投手は球も速いし、変化球もいい三嶋。私は期待はしていましたが、難しいだろうなぁ~とみていたら・・・なんとピッチャーの頭を越えてしぶとくセンター前ヒットで勝ち越し。これが決勝点となって優勝を決めました。
増田選手の経歴をざっと振り返っておきましょう。
徳島の小松島高校(野球部主将を務めた)を卒業後、近畿大学に入学するも2013年(2年次)に中退。いったん帰郷し鳶職につきますが、高校のコーチの薦めで四国アイランドリーグplusのトライアウトを受験し、徳島インディゴソックスから3位指名を受け入団します。その後、2015年10月22日に行われたプロ野球ドラフト会議において、育成ドラフト1巡目で読売ジャイアンツから指名を受け入団。2016年は支配下登録はなりませんでしたが、翌2017年に支配下登録を勝ち取り背番号98を貰います。今季は原監督に俊足を買われて終盤の緊迫した場面で代走に起用。二盗三盗を決めたり、3塁ランナーの時に、ゴロでもギャンブルスタートでホームに返ったりして勝ちに貢献するシーンが目立ちました。巨人入団前に結婚、一男をもうけていますが、入団後は阿波市に妻子を残し、球団の寮で単身赴任の生活を送っているとのこと。
苦労人なんですね、増田は。だからなんでしょう、決勝のヒットを打った際、一塁ランナーだった坂本勇人が二塁ベースで目を潤ませながら一塁の増田の方を見て拍手を送っていたのを私は見逃しませんでした。私も感動しました。
そうやって
適材適所の人材配置を行う
のも原監督の特長です。まだまだあります。
選手をこれでもかと投入して戦う、いわゆる総力戦も原監督の真骨頂です。
総力戦と言えば・・・・かつて巨人に木村拓也という選手がいました。広島カープから来た選手で、内野も外野も守れるユーティリティープレーヤーでした。プロ野球史上まれに見るその事件は、2009年9月4日の巨人-ヤクルト戦で起きます。
この試合で巨人のベンチ捕手は3人。しかし延長11回に3人目の捕手だった加藤が頭部に死球を受け緊急事態になります。つまりもうベンチには受ける捕手がいない。この時、急遽マスクをかぶったのが木村氏だったのです。広島在籍時の99年、4試合に捕手として出場。10年ぶりの捕手体験でした。
当然、ミットは持っておらず、同僚の鶴岡のものを借ります。ブルペン捕手のマスク、ヘルメット、プロテクター、レガーズで出動。そんな状態ですからベンチの西山バッテリーコーチが捕手・木村にサインを出すことになっていましたが、無我夢中でベンチを見る余裕もなし。投手陣には状況に応じて、木村捕手が捕球しやすいストレートだけでいいという指示も出されていたようですが、木村氏は経験を信じ、自分でサインを出していたそう。変化球も見事に処理し、無得点に終わった相手打者は「リードが意外でした」と脱帽したほど。3投手を無事リードし、最後は、2アウト一、二塁のピンチの場面で、野間口の151キロのストレートで空振り三振。延長12回を無失点で切り抜け執念のドロー。勝ちに等しいこの引き分けで巨人はリーグ優勝に大きく前進することになります。当時の原監督も彼の働きを称賛しました。その木村氏。惜しくも2010年、若くして「くも膜下出血」で帰らぬ人となりました。
実は、今シーズン、かつてのこのシーンがフラッシュバックする試合がありました。それは、7―6で勝った、7月3日の東京ドームでの対中日戦です。
1点リードで迎えた9回に、守護神・中川の投入と同時に捕手を小林に入れ替えます。代わって退いたのは5番手で登板した田口と主砲でファーストの岡本。7回に一塁から捕手に回っていた大城は、再び一塁へ回す形で試合に残したのです。すでに先発マスクをかぶった炭谷は7回に代打を送られていただけに、ベンチには捕手はいない状況でした。原監督は「やっぱり(小林に有事の際に)捕手を守れる人がいなくなる。ゲームを中断させるわけにはいかないので、あそこはああいう形に」と説明。その上で「キムタクがいればね。拓也、聞いてるか」と、09年9月4日のヤクルト戦(東京D)で3人目の捕手・加藤が頭部に死球を受けて負傷交代したことで延長12回にマスクをかぶった二塁手の木村拓也さん(享年37)に思いをはせ、天を見上げた。と報じられていました。
今期、私が見ている試合で、あとベンチで控えの選手は小林(捕手)だけというのが最低でも2回はあったように思います。特に分が悪いカープ戦(9月27日時点で10勝14敗で唯一負け越している相手)は原監督も必死になって勝ちに行っている感が出ていて総力戦になりがちでした。しかし、
なりふり構わず勝ちにこだわる姿勢。
何が何でも勝つんだという強い気持ち。
言わば勝利に対する執念がこうしてあるからこそ、結果ペナントレースを勝ち取ることが出来たのだと私は思います。最後は
勝ちたい気持ちが強い方が勝つ!
今開催中のワールドカップラグビーもこの気持ちで是非一次リーグを突破してして初の決勝トーナメントに進出して欲しいと祈っています。
実は私もプロ野球やラグビーの監督のように、従業員を自由自在、適材適所に使うのが夢でありました。勝つための戦略として、人事配転やローテーションを行う。社長ならむしろそれは当然の仕事でありやるべき業務。人事戦略は重要な社長の専権事項です。
ですが、残念ながらハクロマークはまだそんなレベルではありません。「10年早い!」は、こういう時に使うんだと思うくらい、まだまだ先の話です。だからあえて、「夢でありました。」と過去形にしました。私には10年も時間が残されていないからです。人事配転や異動、ローテンションは潤沢に人がいてこそなせる技です。私にはその力がなかった。私の力不足によって叶わなかった夢は、次世代に託すことにします。
最後に、原監督のすごさ、名将たる所以が垣間見える記事を新聞から抜粋、引用して、【特別号】巨人軍セリーグペナントレース優勝記念 「原監督は何が凄いのか」を終わります。
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神戸新聞 9月22日 日曜日 朝刊より
巨人の原監督は涙を流し、横浜の夜空に8度、宙を舞った。チームにとっても自身にとっても5年ぶりの胴上げ。涙を拭いながら選手、コーチと喜びを分かち合い「非常に新鮮。チームワークが今までになく素晴らしいチーム」と表情を崩した。
今季を象徴するように若手を起用し、勝ちきった。優勝の懸かっ た一戦で、高校出のドラフト6位ルーキー戸郷を先発でプロ初登板させた。戸郷は抜てきに応え、速球で押して五回途中を2失点と好投し、競った展開に持ち込んだ。2ー2の延長十回2死一、三塁では今季、原督が見いだした増田大輝が中前へ勝ち越し打を運んだ。
実績にとらわれず、光るものがある選手は積極的に起用した。育てながら「勝つ」という目的にまい進した。非情に見える采配もあったが「実績は意味を持たない。勝つためにやっている、そういうふうに思ってない選手は誰ひとりいない」と言い切った。
後半戦に入り2度、6連敗を喫した。優勝を目前にした9月は負けが込んだが、「選手を疑うことはしない」と言い続け、選手には「のびのび野球をしよう」と訴えた。信じて歓喜の瞬間を迎えた。だが、求めるのは2012年以来の日本シリーズ制覇だ。「大きな目標を持っております。それを忘れず、勝ち残り、目標を達成した い」と宣言した。
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変化を恐れずつかみ取った。長い球団の歴史の中、5年連続で優勝を逃したことがない常勝チームを2014年以来のセ・リーグ制覇に導き、歓喜の輪に加わった。4年ぶりに復帰し、監督として通算13年目。誰が見ても実績十分だが「キャリアは全て捨て、 原点に戻りゼロからのスタート。キャリアというものを盾に持ったとしても、もろいものに なる」と言う。初心を忘れないために背番号は初めて監督に就任した2002年に背負った「83」を 選択した。指導法を時代に合わせて変え た。「選手一人一人のコンディショニングが一番大事」と連戦や移動が続くときには、試合前の全体練習を取りやめ、選手に調整を一任。プレーボール直前のシートノックを行わないこともあった。シーズン中でも不振に悩む選手がいれば、マンツーマンで指導する。「言葉の使い方、接し方は変わった」と話すように、 特定の選手を批判することはなくなり、打撃練習中の若手選手にも笑顔で話し掛け、積極的にコミュニケーションを取った。
還暦で3度目の監督就任を要請され、引き受けた。お酒は好きだが「ビールを控えて、ノンアルコールビールにしているよ」と体調に気を配る。7月の誕生日に報道陣から前回優勝した14年に製造されたカリフォルニアワインを受け取り「勝って乾杯だ」と声を上げた。「野球を通じて明るいニュースをたく さん出せるように頑張っていきたい」。
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スポーツや結果を出し続ける指導者からこうして学ぶことはたくさんあります。だから私はスポーツが好きなんです。
偉大な監督の足下にも及びませんが、その域に一歩でも近づけるよう、また近づきたいという強い気持ちを持って努力していきたい。
(終わり)
1 川上哲治 11回(巨人)
3 藤本定義 9回(巨人、阪神)
3 水原茂(円裕) 9回(巨人、東映)
5 西本幸雄 8回(大毎、阪急、近鉄)
5 森祗晶 8回(西武)
5 原辰徳 8回(巨人)
6 三原脩 6回(巨人、西鉄、大洋)
6 野村克也 5回(南海、ヤクルト)
6 上田利治 5回(阪急)
6 長嶋茂雄 5回(巨人)
これは、監督としてのリーグ優勝回数ランキングです。
若い皆さんは、この中で恐らく原監督と長嶋監督以外知らないのではないかと思います。他は皆、かつての重鎮ばかり。だからこそ、原監督の5位がより輝いて見えます。光って見えます。こう見ると原さんのすごさが分りますね。まさに名将の名にふさわしい実績。
ただ今年の巨人は、確かにリーグ優勝はしたものの、昨年、一昨年、その前と三連覇していた頃の広島のような圧倒的な強さはありませんでした。
2番坂本、3番丸、4番岡本は不動でしたが、重要な1番と5番は決らなかったし、セカンドも若林 晃弘、山本 泰寛、増田 大輝、田中 俊太、ファーストも大城 卓三、岡本 和真、亀井 善行、阿部 慎之助と、それこそ日替わりで固定出来ませんでした。ゲレーロ、ビヤヌエバといった、いわゆる助っ人外国人選手は、ここぞという場面で打ちませんでした。
肝心のピッチャーも、いわゆる安定した3本柱がいたかというとそうでもありません。今年は山口俊だけと言っても過言ではないでしょう。2年連続沢村賞を取り、かつてのダルビッシュのような完璧なピッチングで、見てて全く打たれそうな気がしなかった菅野の姿は今シーズンはありませんでした。
だからこそ最後まで混戦になりました。私は、あの10.8決戦の再来を覚悟したくらいです。10.8決戦とは、ご存じ、長嶋監督時代の1994年10月8日、日本プロ野球史上初の「リーグ最終戦時の勝率が同率首位で並んだチーム同士の直接対決」という、文字通りの優勝決定戦。相手は中日で、勝った方が優勝。結果、巨人が勝利したわけですが、今回のブログを書くに当たって調べていたところ、当時を回想したコメントがネットに載っていて、私も当時の事が思い起こされてとても懐かしかったです。
長嶋茂雄
「監督として一番印象に残る試合と言われれば、この10.8以外にない。1ゲームを勝った負けたで1年の優劣が決まる。これほど過酷な試合はない。敗者になれば地獄へ落とされる怖さがあった」
落合博満
「泣くまいと思っていたが、自然に涙が出てしまった」
原辰徳
「正直、あの心境は二度と味わいたくないですね。(中略)巨人軍5000勝という枠を超えた、最も印象に残る、しかし二度と経験したくはない1勝でした」
少し余談になってしまいましたが、今回は中日ではなくDeNA横浜ベイスターズと最後の最後までもつれそうな雰囲気が漂っていました。と言うのも、それまでは10ゲームくらい差が開いていて楽観ムードでしたが、後半戦の重要な時期になって巨人は2回も6連敗したからです。
しかし結果的には、ベイスターズとの直接対決を制したために優勝することができました。過去、原監督の優勝シーンは何度も見てきましたが、あんな目を真っ赤にして泣いている姿を私は見たことがありません。歳のせいだと言っていましたが、今年は苦しかったのかもしれません。誰もが原監督に対し優勝を期待したから、相当なプレッシャーを感じていたかもしれません。そんな中でもきっちりと結果を出すあたりが名将たる所以です。見事というしかありません。
采配を見ていても、凡人の私では想像も出来ないことをしたりします。坂本でも丸でもゲレーロでも(いわゆるどんな主力選手でも)関係なくさせる送りバントはその1つですが、これなどは私的にはあんまり驚きはしませんでした。それよりもカウントの途中でも代打を送るのには本当にびっくりしました。これに関して象徴的なシーンは、8月24日の東京ドームでの対DeNA戦。9回に相手チームの守護神、山崎から1点を取って追いついた延長11回裏、ノーアウト一塁でピッチャー田口に打順が回ってきます。そのまま送りバントかそれとも代打か?!そのまま田口が打席に立ちますが、その2球目にファーストランナーの重信がスチールを試みて成功します。すると原監督は田口の打席の途中にも関わらず石川を代打に送ります。ここからはもうファンにとっては今シーズン一番のエキサイティングなシーンなので解説は不要だと思いますが、サヨナラホームランを石川が打って優勝へのマジックナンバーが初点灯するわけです。たとえカウントの途中でも躊躇なく作戦を断行する決断力。しかもそれが大胆ときます。もう見事と言うしかありません。1つ目の原監督の凄いところ、それは
大胆さと決断力です。
重信が出たついでに言っておくと、足のスペシャリストを用意して、ここぞという場面で代走に起用するのも原監督の得意技です。前の監督時代は鈴木尚広という選手がいました(このブログでも書きましたね)。今季は重信の他に、増田大輝というプチブレイクした選手がいます。そしてその彼らを、往年の足のスペシャリストである鈴木コーチが一塁コーチャーズボックスから後押しするのですから、選手にとってこんな心強いことはないでしょう。
そのプチブレイクした増田選手は、優勝を決めた対DeNA戦勝利の立役者、ヒーローです。本来は足のスペシャリストですから打撃は期待されてはいません。しかし延長10回、ツーアウト、ランナー一、三塁で一打勝ち越しの場面で回ってきます。相手投手は球も速いし、変化球もいい三嶋。私は期待はしていましたが、難しいだろうなぁ~とみていたら・・・なんとピッチャーの頭を越えてしぶとくセンター前ヒットで勝ち越し。これが決勝点となって優勝を決めました。
増田選手の経歴をざっと振り返っておきましょう。
徳島の小松島高校(野球部主将を務めた)を卒業後、近畿大学に入学するも2013年(2年次)に中退。いったん帰郷し鳶職につきますが、高校のコーチの薦めで四国アイランドリーグplusのトライアウトを受験し、徳島インディゴソックスから3位指名を受け入団します。その後、2015年10月22日に行われたプロ野球ドラフト会議において、育成ドラフト1巡目で読売ジャイアンツから指名を受け入団。2016年は支配下登録はなりませんでしたが、翌2017年に支配下登録を勝ち取り背番号98を貰います。今季は原監督に俊足を買われて終盤の緊迫した場面で代走に起用。二盗三盗を決めたり、3塁ランナーの時に、ゴロでもギャンブルスタートでホームに返ったりして勝ちに貢献するシーンが目立ちました。巨人入団前に結婚、一男をもうけていますが、入団後は阿波市に妻子を残し、球団の寮で単身赴任の生活を送っているとのこと。
苦労人なんですね、増田は。だからなんでしょう、決勝のヒットを打った際、一塁ランナーだった坂本勇人が二塁ベースで目を潤ませながら一塁の増田の方を見て拍手を送っていたのを私は見逃しませんでした。私も感動しました。
そうやって
適材適所の人材配置を行う
のも原監督の特長です。まだまだあります。
選手をこれでもかと投入して戦う、いわゆる総力戦も原監督の真骨頂です。
総力戦と言えば・・・・かつて巨人に木村拓也という選手がいました。広島カープから来た選手で、内野も外野も守れるユーティリティープレーヤーでした。プロ野球史上まれに見るその事件は、2009年9月4日の巨人-ヤクルト戦で起きます。
この試合で巨人のベンチ捕手は3人。しかし延長11回に3人目の捕手だった加藤が頭部に死球を受け緊急事態になります。つまりもうベンチには受ける捕手がいない。この時、急遽マスクをかぶったのが木村氏だったのです。広島在籍時の99年、4試合に捕手として出場。10年ぶりの捕手体験でした。
当然、ミットは持っておらず、同僚の鶴岡のものを借ります。ブルペン捕手のマスク、ヘルメット、プロテクター、レガーズで出動。そんな状態ですからベンチの西山バッテリーコーチが捕手・木村にサインを出すことになっていましたが、無我夢中でベンチを見る余裕もなし。投手陣には状況に応じて、木村捕手が捕球しやすいストレートだけでいいという指示も出されていたようですが、木村氏は経験を信じ、自分でサインを出していたそう。変化球も見事に処理し、無得点に終わった相手打者は「リードが意外でした」と脱帽したほど。3投手を無事リードし、最後は、2アウト一、二塁のピンチの場面で、野間口の151キロのストレートで空振り三振。延長12回を無失点で切り抜け執念のドロー。勝ちに等しいこの引き分けで巨人はリーグ優勝に大きく前進することになります。当時の原監督も彼の働きを称賛しました。その木村氏。惜しくも2010年、若くして「くも膜下出血」で帰らぬ人となりました。
実は、今シーズン、かつてのこのシーンがフラッシュバックする試合がありました。それは、7―6で勝った、7月3日の東京ドームでの対中日戦です。
1点リードで迎えた9回に、守護神・中川の投入と同時に捕手を小林に入れ替えます。代わって退いたのは5番手で登板した田口と主砲でファーストの岡本。7回に一塁から捕手に回っていた大城は、再び一塁へ回す形で試合に残したのです。すでに先発マスクをかぶった炭谷は7回に代打を送られていただけに、ベンチには捕手はいない状況でした。原監督は「やっぱり(小林に有事の際に)捕手を守れる人がいなくなる。ゲームを中断させるわけにはいかないので、あそこはああいう形に」と説明。その上で「キムタクがいればね。拓也、聞いてるか」と、09年9月4日のヤクルト戦(東京D)で3人目の捕手・加藤が頭部に死球を受けて負傷交代したことで延長12回にマスクをかぶった二塁手の木村拓也さん(享年37)に思いをはせ、天を見上げた。と報じられていました。
今期、私が見ている試合で、あとベンチで控えの選手は小林(捕手)だけというのが最低でも2回はあったように思います。特に分が悪いカープ戦(9月27日時点で10勝14敗で唯一負け越している相手)は原監督も必死になって勝ちに行っている感が出ていて総力戦になりがちでした。しかし、
なりふり構わず勝ちにこだわる姿勢。
何が何でも勝つんだという強い気持ち。
言わば勝利に対する執念がこうしてあるからこそ、結果ペナントレースを勝ち取ることが出来たのだと私は思います。最後は
勝ちたい気持ちが強い方が勝つ!
今開催中のワールドカップラグビーもこの気持ちで是非一次リーグを突破してして初の決勝トーナメントに進出して欲しいと祈っています。
実は私もプロ野球やラグビーの監督のように、従業員を自由自在、適材適所に使うのが夢でありました。勝つための戦略として、人事配転やローテーションを行う。社長ならむしろそれは当然の仕事でありやるべき業務。人事戦略は重要な社長の専権事項です。
ですが、残念ながらハクロマークはまだそんなレベルではありません。「10年早い!」は、こういう時に使うんだと思うくらい、まだまだ先の話です。だからあえて、「夢でありました。」と過去形にしました。私には10年も時間が残されていないからです。人事配転や異動、ローテンションは潤沢に人がいてこそなせる技です。私にはその力がなかった。私の力不足によって叶わなかった夢は、次世代に託すことにします。
最後に、原監督のすごさ、名将たる所以が垣間見える記事を新聞から抜粋、引用して、【特別号】巨人軍セリーグペナントレース優勝記念 「原監督は何が凄いのか」を終わります。
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神戸新聞 9月22日 日曜日 朝刊より
巨人の原監督は涙を流し、横浜の夜空に8度、宙を舞った。チームにとっても自身にとっても5年ぶりの胴上げ。涙を拭いながら選手、コーチと喜びを分かち合い「非常に新鮮。チームワークが今までになく素晴らしいチーム」と表情を崩した。
今季を象徴するように若手を起用し、勝ちきった。優勝の懸かっ た一戦で、高校出のドラフト6位ルーキー戸郷を先発でプロ初登板させた。戸郷は抜てきに応え、速球で押して五回途中を2失点と好投し、競った展開に持ち込んだ。2ー2の延長十回2死一、三塁では今季、原督が見いだした増田大輝が中前へ勝ち越し打を運んだ。
実績にとらわれず、光るものがある選手は積極的に起用した。育てながら「勝つ」という目的にまい進した。非情に見える采配もあったが「実績は意味を持たない。勝つためにやっている、そういうふうに思ってない選手は誰ひとりいない」と言い切った。
後半戦に入り2度、6連敗を喫した。優勝を目前にした9月は負けが込んだが、「選手を疑うことはしない」と言い続け、選手には「のびのび野球をしよう」と訴えた。信じて歓喜の瞬間を迎えた。だが、求めるのは2012年以来の日本シリーズ制覇だ。「大きな目標を持っております。それを忘れず、勝ち残り、目標を達成した い」と宣言した。
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変化を恐れずつかみ取った。長い球団の歴史の中、5年連続で優勝を逃したことがない常勝チームを2014年以来のセ・リーグ制覇に導き、歓喜の輪に加わった。4年ぶりに復帰し、監督として通算13年目。誰が見ても実績十分だが「キャリアは全て捨て、 原点に戻りゼロからのスタート。キャリアというものを盾に持ったとしても、もろいものに なる」と言う。初心を忘れないために背番号は初めて監督に就任した2002年に背負った「83」を 選択した。指導法を時代に合わせて変え た。「選手一人一人のコンディショニングが一番大事」と連戦や移動が続くときには、試合前の全体練習を取りやめ、選手に調整を一任。プレーボール直前のシートノックを行わないこともあった。シーズン中でも不振に悩む選手がいれば、マンツーマンで指導する。「言葉の使い方、接し方は変わった」と話すように、 特定の選手を批判することはなくなり、打撃練習中の若手選手にも笑顔で話し掛け、積極的にコミュニケーションを取った。
還暦で3度目の監督就任を要請され、引き受けた。お酒は好きだが「ビールを控えて、ノンアルコールビールにしているよ」と体調に気を配る。7月の誕生日に報道陣から前回優勝した14年に製造されたカリフォルニアワインを受け取り「勝って乾杯だ」と声を上げた。「野球を通じて明るいニュースをたく さん出せるように頑張っていきたい」。
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スポーツや結果を出し続ける指導者からこうして学ぶことはたくさんあります。だから私はスポーツが好きなんです。
偉大な監督の足下にも及びませんが、その域に一歩でも近づけるよう、また近づきたいという強い気持ちを持って努力していきたい。
(終わり)
前回は、子どものころ童話で読んで以来?の懐かしい偉人、エジソンやキューリー夫人が出てきました。
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エジソンは年間6500時間で、それを10年間。
キューリー夫人も5000時間を5年はやってますね。
本田宗一郎さんは一代で世界のホンダを作った人ですが、
あの方も5500時間を6年やってます。
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本田さんのエピソードは豪快でしたね。稲盛さんも5000時間を30年以上。
でも、偉人とか伝説とかって呼ばれる人だけじゃないんです、長時間労働は。
今回は、もっと身近な人たちの例を紹介します。
引き続き、小さな会社☆儲けのルール(竹田陽一・栢野克己共著 フォレスト出版刊)から引用します。
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277P
【時間戦略成功例】現役の成功起業家の場合
成功者はみんな結果的に長時間労働をしている
企業調査会社のサラリーマン時代を含め、わたしはいままで1万社くらいの企業を見てきました。 この会社はすごいなあと思ったら、その会社の社長に「朝何時に来てますか?」「日曜、祭日はどうしてますか?」と1000社は聞きましたね。いまでは、社長の労働時間を訊けば経営内容を想定することができるくらいです。
結果は、2代で成功した会社は全部朝が早い。ほとんどが朝7時半までには出社しています。そして例外なく長時間労働です。
福岡に「福岡クボタ」という会社がありますが、ここは農機のクボタの代理店で日本一です。この大橋会長は朝6時半出勤を50年くらい継続。ボロ会社をナンバーワンに育てました。
第二地銀トップクラスの「福岡シティ銀行」(現・西日本シティ銀行)を創業した四島一二三さんは朝5時の始発電車で出勤。「四島の一番電車」は地元でも有名でした。ハードディスク用小型モーター世界一の「日本電産」の永守さんも朝6時代出勤をもう30年間。
「カレーココ壱番屋」の創業者・宗次さんは朝6時に出社してお客のアンケートハガキを読むのが日課。 29歳で株式上場、インターネットの企画営業会社「サイバーエージェント」の藤田社長も創業期は週110時間労働でいまも休みなし。
香酢や青汁でグループ年商300億円を上げる栄養補助食品通販「やずや」も課長以上は毎週4日は7時過ぎから会議。
ホワイトデーを考案した「石村萬盛堂」の石村社長も毎朝6時頃から会社のトイレ掃除を10年以上継続。
38歳の若さで美容外科業界トップクラスになった「聖心美容外科(初代)」の山川院長も3日連続の徹夜を含めて休みなし(ただし、39歳で事業売却、30億長者になってからは、月の半分はトライアスロンをやっています)。
福岡で自己資本比率が90%を超える警備会社「日本ガードサービス」の市川社長も 創業10年間は休みなしで徹夜はあたりまえ。
ラーメン業界のカリスマ「博多一風堂」の河原社長も、創業期は3年間休みなしで、その後も年間5000時間を25年。
シロアリ駆除などの環境衛生大手「サニックス」の宗政社長も創業以来休みなし。以前は毎日、いまも毎週、朝4時から社員と共に山登り研修。
住宅リフォームの「ホームテック」小笠原社長も創業時は事務所や店舗に泊まり込みなんてあたりまえで、休みは年に3日くらい。
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私も朝は早いほうで、毎日4時~5時に起床します。休みの日も変わりません。
29歳のころ、一念発起して4時起きをしはじめたのがきっかけで、それからずっと続いています。このブログでも、そのあたりのエピソードを書いたことがあるので引用しますね。
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その後日本の製造業がこぞって海外に生産拠点を移す時代に入っていき、親会社もまた中国へスイッチしていきます。仕事は激減、私は止む無く、1961年(昭31年)から約34年に渡って父親の代からやってきた金属プレス加工業を止める決断をします。1995年7月4日、私が事業を継いでから4年後のことでした。
<中略>
その後は、それまでの事業の合間に新規事業として少しずつやり始めていたシルク印刷業に本格的に切り替え、昼は外回り、夜は昼間にとってきた印刷の仕事をやるといったような感じで7年を過ごすことになります。生まれたばかりの長男をクーハンに入れて傍らに置いて、夫婦二人で夜通し印刷していたことは、当時の思い出の一つです。
今の家庭倫理の会の「おはよう倫理塾」、当時は「朝の集い」という名称でしたが、早朝5時からのそれに毎日通い出したのもこの頃です。
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家庭倫理の会の「朝の集い」とは、何をやるところなのかというと、なかなか説明しづらいのですが、強いで言えば
幸せになる法則の勉強
です。家庭人であればそうで、企業人であれば
成功する為の法則の勉強
になります。私は後者の勉強をするために約5年間、朝4時に起きて毎日それに通いました。
教科書は「万人幸福の栞」という本で、序文にはこう書いてあります。
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序
苦しみを喜んで迎え、病気になれば「おめでとう」という時代が来た。それは、苦難は幸福の門であり、万人が必ず幸福になれる絶対倫理が現れたからである。
それは、宗教でも、主義でも、学説でもない。実行によって直ちに正しさが証明できる生活の法則である。
本書はその栞となる十七箇条を説明し、前後に人生の意義を述べた。
ここに再建の基がきずかれた。日々、明朗愛和の世が開けてくる。
昭和二十四年七月二十五日
著者
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文中に出てくる十七箇条とは以下のものです。
1.今日は最良の一日、今は無二の好機 【日々好日】
寒い日、暑い日、雨の日といろいろあるけれど、どの日がよくて、どの日が悪いということはない。今日がいちばんよい日である。その今日は、今この一秒の集積なのだから、「今がいちばんよいときだ」と、気づいたことを直ちに行なって、テキパキと処理していこう。
2.苦難は幸福の門 【苦難福門】
病気や災難、貧苦、家庭不和といった苦難が人生には多くあるが、これらは生活の不自然さ、心のゆがみを自分に教えてくれている。したがって、苦難に直面したときは、嫌がったり逃げたりせずに、堂々と喜んでこれを迎えよう。苦難の原因を取り除くべく自分を改めれば、そこに幸福の世界が開けていく。
3.運命は自らまねき、境遇は自ら造る 【運命自招】
人の一生や日々の生活は運命という不可抗力で左右されるものではない。自分の力で切り開くことが出来る。境遇も、自分の心の通りに変わっていくものだから、喜び勇んでことにあたってゆけばよい。
4.人は鏡、万象はわが師 【万象我師】
人は人、自分は自分だと考えるところに不幸が生じる。人はみな見えない次元でつながっていて、他人は自分の心やふるまいを反映する鏡なのだ。人を変えようとする前にまず自分を変えよう。身の回りに起きてくることは、自分を教え導く師匠でもある。心を空にしてその教えを聞き、心のゆがみや偏りを正したとき、周囲もおのずと変わってくる。
5.夫婦は一対の反射鏡 【夫婦対鏡】
夫婦とは一組の合わせ鏡のようなもの。互いに照らしあい、お互いを映し合っている。ならば相手を直そうとするよりも、まず自分をよくしていこう。そうして夫婦がぴったりと合一すると、一家の健康・発展はもとよりすべての幸福が生み出される。
6.子は親の心を実演する名優である 【子女名優】
子は親の顔形から立ち居ふるまい、クセにいたるまでよく似ている。のみならず、親の心や行為をそのまま映し出し、身代わりに実演する。子供が悪くて困るというとき、子供を責めずに、原因は親にあると自覚し、親自身が改めることが先決であろう。
7.肉体は精神の象徴、病気は生活の赤信号 【疾病信号】
肉体は心の容れ物であり、心のあらわれ。また、病気は一般に知られている原因の奥に、真の原因がある。それは心の不自然なゆがみや偏りが、自分の肉体に赤信号としてあらわれたものだ。朗らかな豊かなうるおいのある心は、病気を治癒するほどの力をもつ。
8.明朗は健康の父、愛和は幸福の母 【明朗愛和】
ひとりの人が朗らかだと、そのまわりまで明るくなる。明朗な心は、肉体の健康、家庭の健康、事業の健康のもと。また、愛によって和がなりたち、すべてが成就する。明朗と愛和の精神こそ、日常生活でもっとも心がけるべきことである。
9.約束を違えれば、己の幸を捨て他人の福を奪う 【破約失福】
大自然の決まりや人間同士で決めた約束を破ると、破った人が不幸となる。破られた相手の方も不幸になる。約束はどんなことでも守り抜こう。まずは時間を守ることから始めよう。
10.働きは最上の喜び 【勤労歓喜】
人はただ生きているだけでは何の意味もない。働いてはじめて生きがいがある。人は真心で働くときに、必ず「喜び」という報酬が得られ、肉体の健康も、物質の恵みも、地位も、名誉もついてくる。喜んで進んで自分の仕事に邁進しよう。
11.物はこれを生かす人に集まる 【万物生々】
物は死んでいるのではなく、人と同じように生きている。だから大切に使うと持ち主のために喜んで働き、粗末に扱えば反抗したり、ときには喰ってかかる。とりわけ物を象徴し、すべての財を具象した金銭は、もっとも敏感な生き物である。金銭はその人の努力に比例し、欲心に反比例して集まってくる。
12.得るは捨つるにあり 【捨我得全】
物事がいつも順調に運ぶとはかぎらない。どうにもならない絶体絶命のときは、思い切って欲心を捨ててしまおう。ときには命すら投げ出す覚悟を決める。そうすると、思いもよらぬ好結果が生じる。私情雑念をさっぱりと捨てて、明朗な心に達したとき、必ず危難から逃れられる。
13.本を忘れず、末を乱さず 【反始慎終】
枝葉のことには気をつけるが、何事につけても本を忘れがちだ。初心を忘れ、受けた恩を忘れるから、いつしか怠け、過ちをおかす。常に本を忘れず、また後始末をきちんとすること。とりわけわが命の本である両親の恩を思い、祖先を敬う心を培おう。
14.希望は心の太陽である 【心即太陽】
都合がよいから希望をもつのではない。一度しかない人生、二度と出くわすことのない仕事だから、前途に燃えるような希望をもつのだ。希望はいくら灯しても尽きることのない永遠の光である。
15.信ずれば成り、憂えれば崩れる 【信成万事】
自信のないことは失敗する。憂え心を抱いて弱気になると、物事はうまくいかない。きっとできるという信念が、そのことを成就させる。信は力である。
16.己を尊び人に及ぼす 【尊己及人】
世の中にたった一つしかない宝というべき自分の個性をできるだけ伸ばして、人のために働き、身をささげよう。それが自分を尊ぶことになる。己を尊ぶ極みはささげること。ささげつくして己がなくなったとき、一切が己となる。
17.人生は神の演劇、その主役は己自身である 【人生神劇】
人生は、人間だけの小さな知恵や力などを超えた、もっと大きなものによって動かされ、つくられてゆく。これは神の演劇というべきである。私たちはその演劇の主人公であるから、演出の作法である純粋倫理に則して、力いっぱい生き抜いていこう。
(広島県倫理法人会のHPより引用)
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今から思うと、よくあんな時間に毎朝起きて行けてたなって、自分でも信じられないくらいです。でも、それがなぜ出来たかっていうと、答えは明白!まさに、
『溺れる者は藁をも掴む』思いだった からです。
火事場の馬鹿力ってという言葉、ありますよね?
人間、死にそうなくらいピンチになるとなんでもできる、ということです。と言うのも、私の妻の話を持ち出して恐縮ですが、実は真子さんも朝の集いに数ヶ月間だけ通ったことがあるんです。
えっ!あんな、会社に来るのが遅い、朝の苦手な真子さんが、そんな早い時間に起きて5時からの朝の集いに?って驚くでしょう?
でもそれをやったんです。やれたんですよ。
辛くて、どうしようもなくて、でもいても立ってもいられなくてなんとかしたくて、何かにすがりたくて・・・
あの真子さんでさえも真に困ったことがあって、それを解決したいと思ったら・・・できるんです、やれるんです。とんでもないことが。
だから私はいっつも思うんです。努力ができない人は、今幸せな証拠だって。何にも困っていない人がどうして朝の4時に起きるなんてきちがいじみたことができますか?できませんよ、そんなこと。
でも、それを私がやれたってことは・・・当時自分がどんな状況だったのか、容易に推察できますね。
お陰で今4時に起きるなんてことはもう習慣になっていますので、文字通り朝飯前で、努力なんていりません。目覚ましも必要ありません。
でもさすがにそれくらいの時間に起きると、夜になるに連れてパワーがなくなります。充電切れ寸前のシェーバーみたいにだんだんだん弱くなってそのうちに・・・眠くなってきて頭が働きません。だから22時台にはご臨終です。
でも逆に朝の2時間は、なかなかの集中力が発揮できます。なんてったって滅茶苦茶静かですから。
それよりも何よりも、すがすがしいのが一番です。実は今の季節が一番いいです。夏は朝でも暑いから。でも今の気候は、もう最高ですよ。良かったら一度起きてみてっ。
小さな会社☆儲けのルール(竹田陽一・栢野克己共著 フォレスト出版刊)
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280P
「長時間労働は時代に合わない」か?
日本一とか九州一など、すごい人たちばかりの例を並べましたがね。成功者はほぼ例外なく朝が早くて長時間労働。実際に成功した人がやっていることが正しいですね。
最近は起業ブームとか言って、雑誌なんか読むと簡単にだれでも独立できるように書かれています。とんでもないですね。 技の才能が100人中3位以内ならいいですよ。天才はいいんです、長い時間働かなくても。でも、凡人は働く時間が年間3200時間以上でないとダメです。独立する場合、とくに最初の5年間は年間3700時間以上必要です。
「だれでも簡単にラクに成功」はウソ。絶対そういうことはありません。「長時間労働しなさい」というのはね、ウケが悪いです。イメージも悪いし、カッコ悪い。汗水垂らして働くなんてね。
でも、一つの分野で考えて考えて、一つの狭い分野でものすごい時間を投入しないと、人のできないものを身につけることはできません。
いまは大企業でも定年まで勤めるのは至難の業だし、ましてや独立起業する人はゼロからのスタートになります。
軌道に乗っても、遊んでいればすぐに環境の変化やライバルに抜かれる。
とにかく、天才以外の凡人が人より抜きん出て豊かな人生、経済的に豊かになるには 長時間労働が不可欠なんです。これを正直に書いているビジネス書や経営書は非常に少ない。いかに時間を効率的に使うかなんて本はたくさんありますが、それは質の分野。普通の人は、まず時間の絶対量を増やさねば質も上がりません。
ポイント!
天才でないあなたは(天才だったら話は別ですが)長時間労働以外に豊かになる道はない。それがイヤならサラリーマンに戻ればいい。
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昔に比べて本当に休みが多くなりました。今月も3連休が2回、来月も一回あります。
加えて働き方改革。働き方改革は「ゆっくり休みなさい、遊びなさい改革」なのでしょうか?
そんなことで人は本当に幸せになれるのでしょうか?
少なくとも、上記の文章にはそうは書いてませんでしたよね?私も同感です(もちろん、そう思ってこれまでやってきましたので)
大事なことは、世間がそうであったとしても(遊んでいても)自分は今後の自己実現のために、目標や目的を持って休みを、時間をムダにしない生き方をすることだと思います。
老婆心ながらそう忠告させていただきたい。
ハクロマークに勤める皆さんは私より一回りも二回りも若いので、時間はたんまりある!そう思っているかもしれませんが、私くらいの年齢になると時間が貴重で貴重でなりません。
(つづく)
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エジソンは年間6500時間で、それを10年間。
キューリー夫人も5000時間を5年はやってますね。
本田宗一郎さんは一代で世界のホンダを作った人ですが、
あの方も5500時間を6年やってます。
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本田さんのエピソードは豪快でしたね。稲盛さんも5000時間を30年以上。
でも、偉人とか伝説とかって呼ばれる人だけじゃないんです、長時間労働は。
今回は、もっと身近な人たちの例を紹介します。
引き続き、小さな会社☆儲けのルール(竹田陽一・栢野克己共著 フォレスト出版刊)から引用します。
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【時間戦略成功例】現役の成功起業家の場合
成功者はみんな結果的に長時間労働をしている
企業調査会社のサラリーマン時代を含め、わたしはいままで1万社くらいの企業を見てきました。 この会社はすごいなあと思ったら、その会社の社長に「朝何時に来てますか?」「日曜、祭日はどうしてますか?」と1000社は聞きましたね。いまでは、社長の労働時間を訊けば経営内容を想定することができるくらいです。
結果は、2代で成功した会社は全部朝が早い。ほとんどが朝7時半までには出社しています。そして例外なく長時間労働です。
福岡に「福岡クボタ」という会社がありますが、ここは農機のクボタの代理店で日本一です。この大橋会長は朝6時半出勤を50年くらい継続。ボロ会社をナンバーワンに育てました。
第二地銀トップクラスの「福岡シティ銀行」(現・西日本シティ銀行)を創業した四島一二三さんは朝5時の始発電車で出勤。「四島の一番電車」は地元でも有名でした。ハードディスク用小型モーター世界一の「日本電産」の永守さんも朝6時代出勤をもう30年間。
「カレーココ壱番屋」の創業者・宗次さんは朝6時に出社してお客のアンケートハガキを読むのが日課。 29歳で株式上場、インターネットの企画営業会社「サイバーエージェント」の藤田社長も創業期は週110時間労働でいまも休みなし。
香酢や青汁でグループ年商300億円を上げる栄養補助食品通販「やずや」も課長以上は毎週4日は7時過ぎから会議。
ホワイトデーを考案した「石村萬盛堂」の石村社長も毎朝6時頃から会社のトイレ掃除を10年以上継続。
38歳の若さで美容外科業界トップクラスになった「聖心美容外科(初代)」の山川院長も3日連続の徹夜を含めて休みなし(ただし、39歳で事業売却、30億長者になってからは、月の半分はトライアスロンをやっています)。
福岡で自己資本比率が90%を超える警備会社「日本ガードサービス」の市川社長も 創業10年間は休みなしで徹夜はあたりまえ。
ラーメン業界のカリスマ「博多一風堂」の河原社長も、創業期は3年間休みなしで、その後も年間5000時間を25年。
シロアリ駆除などの環境衛生大手「サニックス」の宗政社長も創業以来休みなし。以前は毎日、いまも毎週、朝4時から社員と共に山登り研修。
住宅リフォームの「ホームテック」小笠原社長も創業時は事務所や店舗に泊まり込みなんてあたりまえで、休みは年に3日くらい。
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私も朝は早いほうで、毎日4時~5時に起床します。休みの日も変わりません。
29歳のころ、一念発起して4時起きをしはじめたのがきっかけで、それからずっと続いています。このブログでも、そのあたりのエピソードを書いたことがあるので引用しますね。
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その後日本の製造業がこぞって海外に生産拠点を移す時代に入っていき、親会社もまた中国へスイッチしていきます。仕事は激減、私は止む無く、1961年(昭31年)から約34年に渡って父親の代からやってきた金属プレス加工業を止める決断をします。1995年7月4日、私が事業を継いでから4年後のことでした。
<中略>
その後は、それまでの事業の合間に新規事業として少しずつやり始めていたシルク印刷業に本格的に切り替え、昼は外回り、夜は昼間にとってきた印刷の仕事をやるといったような感じで7年を過ごすことになります。生まれたばかりの長男をクーハンに入れて傍らに置いて、夫婦二人で夜通し印刷していたことは、当時の思い出の一つです。
今の家庭倫理の会の「おはよう倫理塾」、当時は「朝の集い」という名称でしたが、早朝5時からのそれに毎日通い出したのもこの頃です。
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家庭倫理の会の「朝の集い」とは、何をやるところなのかというと、なかなか説明しづらいのですが、強いで言えば
幸せになる法則の勉強
です。家庭人であればそうで、企業人であれば
成功する為の法則の勉強
になります。私は後者の勉強をするために約5年間、朝4時に起きて毎日それに通いました。
教科書は「万人幸福の栞」という本で、序文にはこう書いてあります。
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序
苦しみを喜んで迎え、病気になれば「おめでとう」という時代が来た。それは、苦難は幸福の門であり、万人が必ず幸福になれる絶対倫理が現れたからである。
それは、宗教でも、主義でも、学説でもない。実行によって直ちに正しさが証明できる生活の法則である。
本書はその栞となる十七箇条を説明し、前後に人生の意義を述べた。
ここに再建の基がきずかれた。日々、明朗愛和の世が開けてくる。
昭和二十四年七月二十五日
著者
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文中に出てくる十七箇条とは以下のものです。
1.今日は最良の一日、今は無二の好機 【日々好日】
寒い日、暑い日、雨の日といろいろあるけれど、どの日がよくて、どの日が悪いということはない。今日がいちばんよい日である。その今日は、今この一秒の集積なのだから、「今がいちばんよいときだ」と、気づいたことを直ちに行なって、テキパキと処理していこう。
2.苦難は幸福の門 【苦難福門】
病気や災難、貧苦、家庭不和といった苦難が人生には多くあるが、これらは生活の不自然さ、心のゆがみを自分に教えてくれている。したがって、苦難に直面したときは、嫌がったり逃げたりせずに、堂々と喜んでこれを迎えよう。苦難の原因を取り除くべく自分を改めれば、そこに幸福の世界が開けていく。
3.運命は自らまねき、境遇は自ら造る 【運命自招】
人の一生や日々の生活は運命という不可抗力で左右されるものではない。自分の力で切り開くことが出来る。境遇も、自分の心の通りに変わっていくものだから、喜び勇んでことにあたってゆけばよい。
4.人は鏡、万象はわが師 【万象我師】
人は人、自分は自分だと考えるところに不幸が生じる。人はみな見えない次元でつながっていて、他人は自分の心やふるまいを反映する鏡なのだ。人を変えようとする前にまず自分を変えよう。身の回りに起きてくることは、自分を教え導く師匠でもある。心を空にしてその教えを聞き、心のゆがみや偏りを正したとき、周囲もおのずと変わってくる。
5.夫婦は一対の反射鏡 【夫婦対鏡】
夫婦とは一組の合わせ鏡のようなもの。互いに照らしあい、お互いを映し合っている。ならば相手を直そうとするよりも、まず自分をよくしていこう。そうして夫婦がぴったりと合一すると、一家の健康・発展はもとよりすべての幸福が生み出される。
6.子は親の心を実演する名優である 【子女名優】
子は親の顔形から立ち居ふるまい、クセにいたるまでよく似ている。のみならず、親の心や行為をそのまま映し出し、身代わりに実演する。子供が悪くて困るというとき、子供を責めずに、原因は親にあると自覚し、親自身が改めることが先決であろう。
7.肉体は精神の象徴、病気は生活の赤信号 【疾病信号】
肉体は心の容れ物であり、心のあらわれ。また、病気は一般に知られている原因の奥に、真の原因がある。それは心の不自然なゆがみや偏りが、自分の肉体に赤信号としてあらわれたものだ。朗らかな豊かなうるおいのある心は、病気を治癒するほどの力をもつ。
8.明朗は健康の父、愛和は幸福の母 【明朗愛和】
ひとりの人が朗らかだと、そのまわりまで明るくなる。明朗な心は、肉体の健康、家庭の健康、事業の健康のもと。また、愛によって和がなりたち、すべてが成就する。明朗と愛和の精神こそ、日常生活でもっとも心がけるべきことである。
9.約束を違えれば、己の幸を捨て他人の福を奪う 【破約失福】
大自然の決まりや人間同士で決めた約束を破ると、破った人が不幸となる。破られた相手の方も不幸になる。約束はどんなことでも守り抜こう。まずは時間を守ることから始めよう。
10.働きは最上の喜び 【勤労歓喜】
人はただ生きているだけでは何の意味もない。働いてはじめて生きがいがある。人は真心で働くときに、必ず「喜び」という報酬が得られ、肉体の健康も、物質の恵みも、地位も、名誉もついてくる。喜んで進んで自分の仕事に邁進しよう。
11.物はこれを生かす人に集まる 【万物生々】
物は死んでいるのではなく、人と同じように生きている。だから大切に使うと持ち主のために喜んで働き、粗末に扱えば反抗したり、ときには喰ってかかる。とりわけ物を象徴し、すべての財を具象した金銭は、もっとも敏感な生き物である。金銭はその人の努力に比例し、欲心に反比例して集まってくる。
12.得るは捨つるにあり 【捨我得全】
物事がいつも順調に運ぶとはかぎらない。どうにもならない絶体絶命のときは、思い切って欲心を捨ててしまおう。ときには命すら投げ出す覚悟を決める。そうすると、思いもよらぬ好結果が生じる。私情雑念をさっぱりと捨てて、明朗な心に達したとき、必ず危難から逃れられる。
13.本を忘れず、末を乱さず 【反始慎終】
枝葉のことには気をつけるが、何事につけても本を忘れがちだ。初心を忘れ、受けた恩を忘れるから、いつしか怠け、過ちをおかす。常に本を忘れず、また後始末をきちんとすること。とりわけわが命の本である両親の恩を思い、祖先を敬う心を培おう。
14.希望は心の太陽である 【心即太陽】
都合がよいから希望をもつのではない。一度しかない人生、二度と出くわすことのない仕事だから、前途に燃えるような希望をもつのだ。希望はいくら灯しても尽きることのない永遠の光である。
15.信ずれば成り、憂えれば崩れる 【信成万事】
自信のないことは失敗する。憂え心を抱いて弱気になると、物事はうまくいかない。きっとできるという信念が、そのことを成就させる。信は力である。
16.己を尊び人に及ぼす 【尊己及人】
世の中にたった一つしかない宝というべき自分の個性をできるだけ伸ばして、人のために働き、身をささげよう。それが自分を尊ぶことになる。己を尊ぶ極みはささげること。ささげつくして己がなくなったとき、一切が己となる。
17.人生は神の演劇、その主役は己自身である 【人生神劇】
人生は、人間だけの小さな知恵や力などを超えた、もっと大きなものによって動かされ、つくられてゆく。これは神の演劇というべきである。私たちはその演劇の主人公であるから、演出の作法である純粋倫理に則して、力いっぱい生き抜いていこう。
(広島県倫理法人会のHPより引用)
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今から思うと、よくあんな時間に毎朝起きて行けてたなって、自分でも信じられないくらいです。でも、それがなぜ出来たかっていうと、答えは明白!まさに、
『溺れる者は藁をも掴む』思いだった からです。
火事場の馬鹿力ってという言葉、ありますよね?
人間、死にそうなくらいピンチになるとなんでもできる、ということです。と言うのも、私の妻の話を持ち出して恐縮ですが、実は真子さんも朝の集いに数ヶ月間だけ通ったことがあるんです。
えっ!あんな、会社に来るのが遅い、朝の苦手な真子さんが、そんな早い時間に起きて5時からの朝の集いに?って驚くでしょう?
でもそれをやったんです。やれたんですよ。
辛くて、どうしようもなくて、でもいても立ってもいられなくてなんとかしたくて、何かにすがりたくて・・・
あの真子さんでさえも真に困ったことがあって、それを解決したいと思ったら・・・できるんです、やれるんです。とんでもないことが。
だから私はいっつも思うんです。努力ができない人は、今幸せな証拠だって。何にも困っていない人がどうして朝の4時に起きるなんてきちがいじみたことができますか?できませんよ、そんなこと。
でも、それを私がやれたってことは・・・当時自分がどんな状況だったのか、容易に推察できますね。
お陰で今4時に起きるなんてことはもう習慣になっていますので、文字通り朝飯前で、努力なんていりません。目覚ましも必要ありません。
でもさすがにそれくらいの時間に起きると、夜になるに連れてパワーがなくなります。充電切れ寸前のシェーバーみたいにだんだんだん弱くなってそのうちに・・・眠くなってきて頭が働きません。だから22時台にはご臨終です。
でも逆に朝の2時間は、なかなかの集中力が発揮できます。なんてったって滅茶苦茶静かですから。
それよりも何よりも、すがすがしいのが一番です。実は今の季節が一番いいです。夏は朝でも暑いから。でも今の気候は、もう最高ですよ。良かったら一度起きてみてっ。
小さな会社☆儲けのルール(竹田陽一・栢野克己共著 フォレスト出版刊)
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280P
「長時間労働は時代に合わない」か?
日本一とか九州一など、すごい人たちばかりの例を並べましたがね。成功者はほぼ例外なく朝が早くて長時間労働。実際に成功した人がやっていることが正しいですね。
最近は起業ブームとか言って、雑誌なんか読むと簡単にだれでも独立できるように書かれています。とんでもないですね。 技の才能が100人中3位以内ならいいですよ。天才はいいんです、長い時間働かなくても。でも、凡人は働く時間が年間3200時間以上でないとダメです。独立する場合、とくに最初の5年間は年間3700時間以上必要です。
「だれでも簡単にラクに成功」はウソ。絶対そういうことはありません。「長時間労働しなさい」というのはね、ウケが悪いです。イメージも悪いし、カッコ悪い。汗水垂らして働くなんてね。
でも、一つの分野で考えて考えて、一つの狭い分野でものすごい時間を投入しないと、人のできないものを身につけることはできません。
いまは大企業でも定年まで勤めるのは至難の業だし、ましてや独立起業する人はゼロからのスタートになります。
軌道に乗っても、遊んでいればすぐに環境の変化やライバルに抜かれる。
とにかく、天才以外の凡人が人より抜きん出て豊かな人生、経済的に豊かになるには 長時間労働が不可欠なんです。これを正直に書いているビジネス書や経営書は非常に少ない。いかに時間を効率的に使うかなんて本はたくさんありますが、それは質の分野。普通の人は、まず時間の絶対量を増やさねば質も上がりません。
ポイント!
天才でないあなたは(天才だったら話は別ですが)長時間労働以外に豊かになる道はない。それがイヤならサラリーマンに戻ればいい。
------------------------------------------------------
昔に比べて本当に休みが多くなりました。今月も3連休が2回、来月も一回あります。
加えて働き方改革。働き方改革は「ゆっくり休みなさい、遊びなさい改革」なのでしょうか?
そんなことで人は本当に幸せになれるのでしょうか?
少なくとも、上記の文章にはそうは書いてませんでしたよね?私も同感です(もちろん、そう思ってこれまでやってきましたので)
大事なことは、世間がそうであったとしても(遊んでいても)自分は今後の自己実現のために、目標や目的を持って休みを、時間をムダにしない生き方をすることだと思います。
老婆心ながらそう忠告させていただきたい。
ハクロマークに勤める皆さんは私より一回りも二回りも若いので、時間はたんまりある!そう思っているかもしれませんが、私くらいの年齢になると時間が貴重で貴重でなりません。
(つづく)
昨日の夕刊で
「ヤフー、4000億でZOZO買収へ」
を知りました。
このニュース自体に興味が沸いたわけではありません。むしろ、そんなことはどうでも良いって感じ。
そこに載ってあった、ヤフーとZOZOの企業規模の表に目が留まったのです。
ZOZOに関して言うと、
設立:1998年
授業内容:ファッション通販サイト
通販取扱高:約3200億円
純利益:159億円
従業員:約550人
設立からわずか20年でこの規模。
これに比べたら、うちなんてクソみたいな会社だなぁ~と。
前回ブログでこんなくだりがあります。
今のハクロマークがここまでくるのに25年以上かかっていますが・・・・
自分は30年近く死に物狂いで働いて・・・・未だこんな感じ。恥ずかしい話やなぁ~と。前沢さんや孫さん、三木谷さんがハクロマークの社長なら、2~3年で今のような状態にするかもしれません。いやきっとするでしょう。
でも、恥ずかしいけど、情けなくはありません。なぜなら、なにせ私は彼らと違って凡人だから。
彼らが2~3年でやってしまうことも、凡人の私がやれば25年以上かかってしまう。それは能力の差だから致し方ないこと。仕方がないのです。
他人のブログやメルマガ、書籍を読んでもそうです。この人たち凄いなぁって、よくこんな上手に書くなぁって。そんな人と比べたら俺なんてクソみたいやなぁ~って、いっつも自己嫌悪に陥りそうになりますが・・・これも仕方ありません。
私には彼らほどの能力が無いのですから。
でも・・・でも、そこで諦めてはいけない、そう思います。
能力が無いことを言い訳に、逃げてはいけない、と。
能力が無いから努力しない
この論理は、やはりおかしいのです。
むしろ、
能力が無いから努力するほか無い
これが正しい論理です。
大事なことは「忍耐力」を持って、諦めずコツコツ続けること。
これしか凡人が生き残っていく道はないような気がします。
いや、これをやれば凡人でも必ず生き残ることができる!
そう確信しています。
それを証明しているのが、今シリーズで紹介してきた以下の成功公式です。
実力=素質×教材の質×学習回数
y=ax2+b
成果=考え方×熱意×能力
特に、時間に2乗作用が働く「y=ax2+b」は、私たちにチャレンジする勇気を与えてくれます。
人の3倍働けば「必勝」できる。でも3倍は√3倍だから、労働時間にして1.7倍でいい。
人の4倍働けば「圧勝」できる。でも4倍は√4倍だから、労働時間にして2倍でいい。
そんな話をしてきました。
https://ameblo.jp/hakuromark/entry-12510683122.html
では引き続き、小さな会社☆儲けのルール(竹田陽一・栢野克己共著 フォレスト出版刊)を見ていきます。
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275P
「思いは実現する」に必要なこと
こういう話をすると大体「いやー、そんなに働かなくてもいいでしょう」と言われます。でも、一代でなにかを成し遂げた人たちがどのくらい働いていたか知っていますか?
世界の偉人伝などを読んで概算すると、エジソンは年間6500時間で、それを10年間。キューリー夫人も5000時間を5年はやってますね。本田宗一郎さんは一代で世界のホンダを作った人ですが、あの方も5500時間を6年やってます。
以前、ラジオを聞いていたら、ホンダ元副社長の入交さんが出演していて、本田宗一郎さんの話をしていました。あるとき、本田さんが仕事をしていて、嫁さんが昼飯を持って来たら、「おい、かあちゃんよ。今日はだれも出てこないがね。従業員はみんな辞めたんかね」と。すると、「なに言ってるの、今日は正月よ」と。 それで本田さんは「ああそうか」と言って、また仕事を始めたそうです。それくらい休みなく働いていたそうです。京セラ創業者の稲盛さん。もう第一線は引退しましたが、あの方も、5000時間を30年以上やってますよ。
そんな天才や偉人でもやっぱり長時間労働なんです。 ですから、才能にどうも自信がない人は長時間労働をやらない限り自己実現は難しいでしょう。
人生をどうするかという目標を立て、ほんとうにそれを実現するには、まず自分の「a・才能」を測定する。100人中あるいは1000人中自分は何番目くらいか。
それを考えて「b・過去の蓄積」を考え、それから、どれくらい働けばそれが実現するかを考える。前項で述べたとおりです。
アメリカの自己啓発の本はどれも「思いは実現する」と書いています。でも、思って願って紙に書いて眺めれば夢は実現するなんてウソですよ。神社のお札じゃないんだから。もちろん、夢や目標を明確にするのは大事ですが、問題はその後の行動計画と実行です。それも身の丈にあったもの。才能も過去の蓄積もなく、願うだけじゃ神様も大変ですよ。あなた自身の努力が不可欠なんです。
ある分野で1000人中3番以内、かつ、強力な営業力があるなら、独立して年収3000万円はいけます。1万人の1位なら億万長者も夢じゃない。まあ、めったにいませんけどね。だからこういうのを万が一と言うんです。
------------------------------------------------------
以前のブログで、
完全週休2日の場合、土日の休みが105日。それ以外に、祝日や盆正月休みが25日として、年間の休日が130日の場合、年間労働時間は、
(365-130)×8時間=1,880時間
と試算しましたが、これに照らし合わせてみると、いかにエジソンやキューリー夫人、本田さんの労働時間が凄いかが分ります(本田さんのエピソードは豪快すぎです)。
驚いたのは稲盛さん。5000時間を30年以上だなんて・・・・
これを読んで、私は自分が少し勘違いしていたことを反省しました。
と言うのも先に私は、
前沢さんや孫さん、三木谷さんがハクロマークの社長なら2~3年で今のような状態に為るかもしれません。いやきっとするでしょう。
<中略>
彼らが2~3年でやってしまうことも凡人の私がやれば25年かかってしまう。それは能力の差だから致し方ないこと。仕方がないのです。
と、能力に恵まれた人はあたかも努力していないかの如く書いてしまったからです。
そうではないのですね。天才や偉人でもやっぱり長時間労働なんです。
いや、むしろ長時間労働をして努力してきたから、天才や偉人になった。これが正解。
スポーツ選手にしてもそうです。
松井秀喜にしても錦織圭にしても大野将平にしても瀬戸大也にしても張本智和にしても、多くの時間を犠牲にして競技に打ち込んできたはず。だからこそ今の彼らのポジションがある。
それを、彼らが人並み外れた能力があったからと言って片付けるのは余りにも失礼であり早計です。冷静に考えても、彼らが人一倍努力したことは誰でも分かります。
松井秀喜に関して書いた過去のブログに、松井のお父さんのこんな言葉があります。
「中学、高校と素振りをしないで寝たことは一度もなかった」
簡単なことのようですが、これって凄くないですか?
私たちは、とかく「明日にしよう」ってなりませんか?
一日一回、あなたは何か決めてやっていることがありますか?
あれば大したものです。
なければ?
まずはそれを決めることです。どんなことであっても、たとえそれが些細なことであっても、毎日一回積み重ねれば、間違いなくそのことに関しては力がついていきます。
------------------------------------------------------
ハクロイズム第十五条:【ローマは一日にして成らず】
10年間コツコツ努力を続ければ、そうでない人と思いっきり差が開くこと。
(解説)
「日々の努力が大切なこと」はもはや説明不要で、子供でも知っていることである。しかし、知っていることと出来ることは全く別物。もしみんながみんな、サボりたいとか楽したいというような欲求や誘惑に負けず、なりたいものに向かって、あるいは叶えたい夢に向かってひたすら努力することが出来れば、プロ野球選手やサッカー選手、音楽家が続出するだろう。でも「分かっちゃいるけど・・・」なのだ。
そう、人間とは、すぐに効果や結果が出ると分かっていることなら努力できても、数年経たないと結果が出ないこと、やったところで良い結果が出るかどうかさえ分からないようなことはやらない、やりたくない生き物なのだ。そんな意思の弱い我々凡人は、こんな数字を見せられると、いやがうえにも努力したくならないだろうか?それは・・・・
前向きに、積極的に仕事に取り組むAさんは、毎日0.1%成長する。それに比べ、漫然と毎日を過ごすBさんは、毎日0.01%しか成長しない。
この2人が、最初のスタート時の能力は同じ「100」だとして、3ヵ月後、1年後、3年後、5年後、10年後には、いったい、どのくらい差がついていくものなのだろうか?
3ヵ月後: Aさんは「109」、Bさんは「101」、3ヶ月くらいの努力では差はつかない。1年後はどうか? Aさんは「144」、Bさんは「104」で、1年くらいでもまだ大して差はつかない。
3年後: Aさんは「298」、Bさんは「112」で、そろそろ差が見えてくる。
5年後: Aさん「619」、Bさんは「120」、5年で勝負あったかな、という感じになるが、驚くのは次の10年後である。
10年後: Aさん「3,837」、Bさん「144」
嘘だと思う方は、エクセルで計算してみてください。10年も経つと、これだけの差がついてしまうのである。まさに微差が大差を生む、何よりの証明である。しかし、もっと怖い事実に、お気づきだろうか?そう、コツコツ努力したAさんの1年後と、漫然と過ごすBさんの10年後の能力は、同じ「144」という事実である。
さて、あなたは、分かっちゃいるけど、いつも欲求に負けてしまっていませんか?それは私も同じです。我々は意思の弱い凡人ですから、「よし、やろう!」と決めた事でもつい、三日坊主に終わってしまいます。でもそれでもいいのです、やらないよりは。三日坊主でも五日目に気を取り直してまた続ければいいのですから。そうして三日坊主を何回も何回も続ければいつか習慣になり、結果、間違いなく成長します。
------------------------------------------------------
「天才とは、努力を続けられる人のこと」
とは、松井のお父さんが、息子の松井に言い続けてきた言葉。であれば、私たちも天才になれるかもしれませんね。
だって、努力するのに能力はいらないのですから。
(つづく)
【関連記事】
プロならば、どんなことがあっても・・・
https://ameblo.jp/hakuromark/entry-12345761375.html
「ヤフー、4000億でZOZO買収へ」
を知りました。
このニュース自体に興味が沸いたわけではありません。むしろ、そんなことはどうでも良いって感じ。
そこに載ってあった、ヤフーとZOZOの企業規模の表に目が留まったのです。
ZOZOに関して言うと、
設立:1998年
授業内容:ファッション通販サイト
通販取扱高:約3200億円
純利益:159億円
従業員:約550人
設立からわずか20年でこの規模。
これに比べたら、うちなんてクソみたいな会社だなぁ~と。
前回ブログでこんなくだりがあります。
今のハクロマークがここまでくるのに25年以上かかっていますが・・・・
自分は30年近く死に物狂いで働いて・・・・未だこんな感じ。恥ずかしい話やなぁ~と。前沢さんや孫さん、三木谷さんがハクロマークの社長なら、2~3年で今のような状態にするかもしれません。いやきっとするでしょう。
でも、恥ずかしいけど、情けなくはありません。なぜなら、なにせ私は彼らと違って凡人だから。
彼らが2~3年でやってしまうことも、凡人の私がやれば25年以上かかってしまう。それは能力の差だから致し方ないこと。仕方がないのです。
他人のブログやメルマガ、書籍を読んでもそうです。この人たち凄いなぁって、よくこんな上手に書くなぁって。そんな人と比べたら俺なんてクソみたいやなぁ~って、いっつも自己嫌悪に陥りそうになりますが・・・これも仕方ありません。
私には彼らほどの能力が無いのですから。
でも・・・でも、そこで諦めてはいけない、そう思います。
能力が無いことを言い訳に、逃げてはいけない、と。
能力が無いから努力しない
この論理は、やはりおかしいのです。
むしろ、
能力が無いから努力するほか無い
これが正しい論理です。
大事なことは「忍耐力」を持って、諦めずコツコツ続けること。
これしか凡人が生き残っていく道はないような気がします。
いや、これをやれば凡人でも必ず生き残ることができる!
そう確信しています。
それを証明しているのが、今シリーズで紹介してきた以下の成功公式です。
実力=素質×教材の質×学習回数
y=ax2+b
成果=考え方×熱意×能力
特に、時間に2乗作用が働く「y=ax2+b」は、私たちにチャレンジする勇気を与えてくれます。
人の3倍働けば「必勝」できる。でも3倍は√3倍だから、労働時間にして1.7倍でいい。
人の4倍働けば「圧勝」できる。でも4倍は√4倍だから、労働時間にして2倍でいい。
そんな話をしてきました。
https://ameblo.jp/hakuromark/entry-12510683122.html
では引き続き、小さな会社☆儲けのルール(竹田陽一・栢野克己共著 フォレスト出版刊)を見ていきます。
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275P
「思いは実現する」に必要なこと
こういう話をすると大体「いやー、そんなに働かなくてもいいでしょう」と言われます。でも、一代でなにかを成し遂げた人たちがどのくらい働いていたか知っていますか?
世界の偉人伝などを読んで概算すると、エジソンは年間6500時間で、それを10年間。キューリー夫人も5000時間を5年はやってますね。本田宗一郎さんは一代で世界のホンダを作った人ですが、あの方も5500時間を6年やってます。
以前、ラジオを聞いていたら、ホンダ元副社長の入交さんが出演していて、本田宗一郎さんの話をしていました。あるとき、本田さんが仕事をしていて、嫁さんが昼飯を持って来たら、「おい、かあちゃんよ。今日はだれも出てこないがね。従業員はみんな辞めたんかね」と。すると、「なに言ってるの、今日は正月よ」と。 それで本田さんは「ああそうか」と言って、また仕事を始めたそうです。それくらい休みなく働いていたそうです。京セラ創業者の稲盛さん。もう第一線は引退しましたが、あの方も、5000時間を30年以上やってますよ。
そんな天才や偉人でもやっぱり長時間労働なんです。 ですから、才能にどうも自信がない人は長時間労働をやらない限り自己実現は難しいでしょう。
人生をどうするかという目標を立て、ほんとうにそれを実現するには、まず自分の「a・才能」を測定する。100人中あるいは1000人中自分は何番目くらいか。
それを考えて「b・過去の蓄積」を考え、それから、どれくらい働けばそれが実現するかを考える。前項で述べたとおりです。
アメリカの自己啓発の本はどれも「思いは実現する」と書いています。でも、思って願って紙に書いて眺めれば夢は実現するなんてウソですよ。神社のお札じゃないんだから。もちろん、夢や目標を明確にするのは大事ですが、問題はその後の行動計画と実行です。それも身の丈にあったもの。才能も過去の蓄積もなく、願うだけじゃ神様も大変ですよ。あなた自身の努力が不可欠なんです。
ある分野で1000人中3番以内、かつ、強力な営業力があるなら、独立して年収3000万円はいけます。1万人の1位なら億万長者も夢じゃない。まあ、めったにいませんけどね。だからこういうのを万が一と言うんです。
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以前のブログで、
完全週休2日の場合、土日の休みが105日。それ以外に、祝日や盆正月休みが25日として、年間の休日が130日の場合、年間労働時間は、
(365-130)×8時間=1,880時間
と試算しましたが、これに照らし合わせてみると、いかにエジソンやキューリー夫人、本田さんの労働時間が凄いかが分ります(本田さんのエピソードは豪快すぎです)。
驚いたのは稲盛さん。5000時間を30年以上だなんて・・・・
これを読んで、私は自分が少し勘違いしていたことを反省しました。
と言うのも先に私は、
前沢さんや孫さん、三木谷さんがハクロマークの社長なら2~3年で今のような状態に為るかもしれません。いやきっとするでしょう。
<中略>
彼らが2~3年でやってしまうことも凡人の私がやれば25年かかってしまう。それは能力の差だから致し方ないこと。仕方がないのです。
と、能力に恵まれた人はあたかも努力していないかの如く書いてしまったからです。
そうではないのですね。天才や偉人でもやっぱり長時間労働なんです。
いや、むしろ長時間労働をして努力してきたから、天才や偉人になった。これが正解。
スポーツ選手にしてもそうです。
松井秀喜にしても錦織圭にしても大野将平にしても瀬戸大也にしても張本智和にしても、多くの時間を犠牲にして競技に打ち込んできたはず。だからこそ今の彼らのポジションがある。
それを、彼らが人並み外れた能力があったからと言って片付けるのは余りにも失礼であり早計です。冷静に考えても、彼らが人一倍努力したことは誰でも分かります。
松井秀喜に関して書いた過去のブログに、松井のお父さんのこんな言葉があります。
「中学、高校と素振りをしないで寝たことは一度もなかった」
簡単なことのようですが、これって凄くないですか?
私たちは、とかく「明日にしよう」ってなりませんか?
一日一回、あなたは何か決めてやっていることがありますか?
あれば大したものです。
なければ?
まずはそれを決めることです。どんなことであっても、たとえそれが些細なことであっても、毎日一回積み重ねれば、間違いなくそのことに関しては力がついていきます。
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ハクロイズム第十五条:【ローマは一日にして成らず】
10年間コツコツ努力を続ければ、そうでない人と思いっきり差が開くこと。
(解説)
「日々の努力が大切なこと」はもはや説明不要で、子供でも知っていることである。しかし、知っていることと出来ることは全く別物。もしみんながみんな、サボりたいとか楽したいというような欲求や誘惑に負けず、なりたいものに向かって、あるいは叶えたい夢に向かってひたすら努力することが出来れば、プロ野球選手やサッカー選手、音楽家が続出するだろう。でも「分かっちゃいるけど・・・」なのだ。
そう、人間とは、すぐに効果や結果が出ると分かっていることなら努力できても、数年経たないと結果が出ないこと、やったところで良い結果が出るかどうかさえ分からないようなことはやらない、やりたくない生き物なのだ。そんな意思の弱い我々凡人は、こんな数字を見せられると、いやがうえにも努力したくならないだろうか?それは・・・・
前向きに、積極的に仕事に取り組むAさんは、毎日0.1%成長する。それに比べ、漫然と毎日を過ごすBさんは、毎日0.01%しか成長しない。
この2人が、最初のスタート時の能力は同じ「100」だとして、3ヵ月後、1年後、3年後、5年後、10年後には、いったい、どのくらい差がついていくものなのだろうか?
3ヵ月後: Aさんは「109」、Bさんは「101」、3ヶ月くらいの努力では差はつかない。1年後はどうか? Aさんは「144」、Bさんは「104」で、1年くらいでもまだ大して差はつかない。
3年後: Aさんは「298」、Bさんは「112」で、そろそろ差が見えてくる。
5年後: Aさん「619」、Bさんは「120」、5年で勝負あったかな、という感じになるが、驚くのは次の10年後である。
10年後: Aさん「3,837」、Bさん「144」
嘘だと思う方は、エクセルで計算してみてください。10年も経つと、これだけの差がついてしまうのである。まさに微差が大差を生む、何よりの証明である。しかし、もっと怖い事実に、お気づきだろうか?そう、コツコツ努力したAさんの1年後と、漫然と過ごすBさんの10年後の能力は、同じ「144」という事実である。
さて、あなたは、分かっちゃいるけど、いつも欲求に負けてしまっていませんか?それは私も同じです。我々は意思の弱い凡人ですから、「よし、やろう!」と決めた事でもつい、三日坊主に終わってしまいます。でもそれでもいいのです、やらないよりは。三日坊主でも五日目に気を取り直してまた続ければいいのですから。そうして三日坊主を何回も何回も続ければいつか習慣になり、結果、間違いなく成長します。
------------------------------------------------------
「天才とは、努力を続けられる人のこと」
とは、松井のお父さんが、息子の松井に言い続けてきた言葉。であれば、私たちも天才になれるかもしれませんね。
だって、努力するのに能力はいらないのですから。
(つづく)
【関連記事】
プロならば、どんなことがあっても・・・
https://ameblo.jp/hakuromark/entry-12345761375.html
毎月1日の日は、鹿島神社に参って、そして同じところでかしわ餅を買って帰ってきます。
そのかしわ餅やさん、80歳は超えている老夫婦がやっているお店なのですが、半年くらい前から奥さんの方が体調を崩されていて、その間、ご主人がひとりでやってたり、遠くに嫁いでおられる娘さんがわざわざ帰ってきて手伝ったりしていました。
それが9月1日に行ったとき、ご主人と娘さんがいらっしゃって、いよいよ商売を止められるとのこと。
そうなりそうなことは全く思ってもなかった、と言えば嘘になりますが、とうとうその日が来たかという感じ。
ご主人に
「この通りでかしわ餅屋さんは何軒あるんですか?」
と聞くと
「うちを入れて5件」
ということは、これであと4件か~。
ご主人曰く、
「跡継いでくれるもんがおらんのでね~」
その老夫婦に息子さんがいらっしゃるのかどうか、私は存じ上げません。もしいたとしても・・・・どうだろう、なかなか商売としては厳しそうなので、普通に考えたら継ごうとは思わないかぁ~、そうだよなぁ~
でもそれは、このお店、このご両親あるいはかしわ餅とは無縁の人生を生きてきた外野の私の考えであって、小さい頃から両親の働きを見てきた子どもがいたとしたら、もしかしたら・・・・継ごうって思わないことも無いかもしれません。
だって私が継いだときのハクロマークだって、この老夫婦が切り盛りしているかしわ餅屋さんと何ら変わらない状態だったのですから。
もっとも私の場合、魔が差したというか、あまり深く考えずに継いでしまったのですが・・・
ハクロマークの近くでも、私が小学生の頃からあった印鑑屋さん(小さい頃、そう言えばお金持ちそうだったなぁ~)が、この度とうとう店を閉めてしまいました。
こうした状況を見ると、立場的に他人事とは思えず、事業商売の厳しさを痛感すると共に不安な気持ちに押しつぶされそうになります。
けれど、経営者にとって、いえ一個人としても生きるうえで何より大切なのは、
強い願望、熱意、決断力、向上心、忍耐力、積極心
を持ち続けること。そう前回ブログで学んだばかりです。
強い願望と熱意、そして向上心で運命を切り開け!
https://ameblo.jp/hakuromark/entry-12515246499.html
希望を失ってはならないのです。
きっとできる、何とかなるはず
できないのはやってないから
やれば必ずできる
そう思うことが大切なのです。
後半の、1願望・熱意・決断力・向上心・忍耐力・積極心が実行の53%
のところで、
1▼強い「願望」と強い「熱意」が最重要
2▼必要なことはきちんと決める「決断力」が経営を進める
3▼立派な社長になりたいという「向上心」が会社を変える
4▼「忍耐力」を持って継続する
5▼「積極心」で「できるはず」と先に結論を出す
この5つを紹介しましたが、今回のブログは、
5▼「積極心」で「できるはず」と先に結論を出す
を詳しく見ていきます。
プロ社長(こちらのブログで既に紹介済み。中経出版 竹田陽一著 2006年刊)の文中から引用します。
---78ページ-----------------------------------------
5番目は「積極的な心構えを持つこと」です。
多数の競争相手がいる中で経営をしていると、思いどおりにならないことだらけです。さらに経営をしていると、予想外の出来事と度々出会います。このときに欠かせないのが社長の積極心です。
大脳生理学の研究から積極的な人は、次の思考プロセスになっていることが解ってきました。困難や予想外のことと出会ったとき、まず「これは解決できるはずだ」、「なんとかなるはずだ」と、先に結論を出します。このとき最も大事になるのが先入観や思い込みを捨て「できるはずだ、やれるはずだ」と「先に結論をだす」ことです。
次に、どうすればそれが解決できるか、140億個の脳細胞を総動員して「できる方法」や「やれそうな方法」を考え出します。そのあと人の命と会社の命に別状がなく、かつ最も有望と思われるものを試しにやってみます。しかし、たいがいうまくいきません。そこで再び「できるはずだ、やれるはずだ」と、先に結論を出します。そのあと再び140億個の脳細胞を総動員してやれる方法を考え、これも試してみます。なかなかうまくいきませんが、この試行錯誤を何回も繰り返します。
こうしているうちに「ひょうたんからコマ」というか、まったくの「偶然」から今までにない解決方法が見つかります。そればかりかこうしたことを続けていると、「経験法則」によって徐々に実力が高まるので、成功率も高くなるのです。ちなみに世界的大発明と言われるものの7割~8割は、このケースです。
では消極的な人はどうなんでしょうか?
経営や仕事をしていて困難や今までにない出来事とぶつかったとき、まず「それは無理」、「できない」「やれない」と、先に結論を出します。このとき根底にあるものの1つ目は「強い先入観や強い思い込み」、2つ目は「優柔不断な性格」、3つ目は「怠け心」です。そのあと140億個の脳細胞を総動員して「できない正当な理由」や「やれない正当な原因」を考えることになり、なかには短い間に何十項目も考え出す人もいます。そして、こういう人はできない理由を多く考え出すと「自分はなんと有能な人間だ」と変に自信を持つので本当に手に負えません。心理学ではこれを「消極的な心のクセ」と呼んでいます。
会社自体は固定給なしの完全歩合給で運営されており、業績が悪くなってもだれも助けてはくれません。次に多数の競争相手がいる中では今までにない商品を開発したり、今までにない営業方法を考え出したりして仕事のやり方を変えていかないと、他社より利益性を高めることができないという大原則があります。つまり経営そのものは、もともと積極心でなければ上手くいかないという大きな宿命にあるのです。
もしこうした現実がある中で、今までと同じ考えややり方で長く経営を続けていると、毎年数%ずつ経営効率が低下していきます。これではほどなく赤字となり、大きなピンチに直面することになります。そればかりか、社長がこういう心のクセが強い人なら、従業員も似たようになるばかりか積極性が強い人が社内にいた場合、その人は会社を辞めていきますから、会社は長く続かなくなるはずです。
以上、ここまで説明したことが社長の実力の53%を占めるのですから、多数の競争相手がいる中で電話帳から社名が消されないようにするには社長自身が、
日頃から「できる・やれる」と考える、積極的な心構えを持ち続ける必要があります。
---ここまで---------------------------------------------
この引用文の冒頭、
多数の競争相手がいる中で経営をしていると、思いどおりにならないことだらけです。さらに経営をしていると、予想外の出来事と度々出会います。
とありますが、私自身、一番思いどおりにならないと思うのは
「人の心」
です。
従業員に辞められる時もそうですし、モノ1つ買って貰うことだってそうです。私にはどうすることもできません。
特に従業員に辞められるなんていうのは予想外もいいとこですよ(もっとも私が鈍感でアホなのかもしれませんが)。
さすがにこのときばかりは右往左往します。このあとどうなるんだろう?やっていけるのだろうか?って正直弱気になります。こんな思いを何度経験したことでしょう。
でもそんな窮地も今となっては乗り換えてこられたわけですから、残った人たちの積極的な頑張りのお陰です。
「モノを買って貰う」ということに関していうと、今となってはタイムカードの上から1人か2人以外、つまり今いる人のほとんどは仕事がない辛さを味わったことはないと思います。だからその辛さを語り伝える事は私と真子さん以外にできる人はいないかもしれません。
ハクロマーク史上、営業マンを雇ったことは一度も無く営業経験者は私ひとりだけです。インターネットに出会うまで私は走り回っていました。西は岡山から、東は神戸まで、文字通り東奔西走。お陰でオーダーのぼりドットコムや不動産応援ドットコムの下地ができました。それ(営業活動)があったから、今こちらから営業せずにお客様の方から買いたいと言ってくださるビジネスができています。その辺りのことは11回にわたってこのブログで紹介した「ハクロマークの過去、現在そして未来」に詳しく書いていますので、まだの方は是非ご覧下さい。まさにハクロマークの歴史、沿革が手に取るように分かります。
ハクロマークの過去、現在そして未来
https://ameblo.jp/hakuromark/entry-12351420842.html
それから「積極的な心構えを持つこと」と言えば、思い起こされるのは、ある縫製パートさんのコメント。このブログでも紹介したことがありますが、趣旨としては、
納期の厳しい仕事がこれまでに何度もあったけど
不思議なことに、できなかったことは一度もない
それは縫製部門のチーム力の賜
みんなが力を合わせればできないことはない
がんばったらできる、きっとできる
そう全員が信じて、自分のできる事を精一杯やっているから
そんな内容でした。私はその人の顔を見る度に、いえ、縫製室を通る度にその言葉がいつも思い起こされます。
今のハクロマークがここまでくるのに25年以上かかっていますが、その間こうしたエピソードはたくさんあるはずです。タイムカードの、社員、パートタイマーそれぞれ上から4番目くらいの人は、次の真ん中の人たちに、真ん中の人たちはその下の人たちに、そうしたエピソードや武勇伝、伝説、これぞハクロイズムという体験談を語り伝えていって欲しいです。私が「ハクロマークの過去、現在そして未来」で語リ、伝え、残そうとしたみたいに。
それが、ハクロマークの思想や文化すなわち大切にしたい社風になっていきます。
ほんとのことを言うと、ハクロマークに入って6年に満たない人はこの社長ブログを最初から全部読んで欲しい。なぜなら、今言ったようなモノが全てこのブログには入っているから。何より、ハクロマークの魂、目指すべきものがこのブログには込められています。
さて、
あなたには、他のどこでもないハクロマークの社員として、後輩に語り、伝え、残していきたいと思うあなた自身の武勇伝や体験談はありますか?
そして、その中で後輩たちに何を伝えたいですか?
(つづく)
そのかしわ餅やさん、80歳は超えている老夫婦がやっているお店なのですが、半年くらい前から奥さんの方が体調を崩されていて、その間、ご主人がひとりでやってたり、遠くに嫁いでおられる娘さんがわざわざ帰ってきて手伝ったりしていました。
それが9月1日に行ったとき、ご主人と娘さんがいらっしゃって、いよいよ商売を止められるとのこと。
そうなりそうなことは全く思ってもなかった、と言えば嘘になりますが、とうとうその日が来たかという感じ。
ご主人に
「この通りでかしわ餅屋さんは何軒あるんですか?」
と聞くと
「うちを入れて5件」
ということは、これであと4件か~。
ご主人曰く、
「跡継いでくれるもんがおらんのでね~」
その老夫婦に息子さんがいらっしゃるのかどうか、私は存じ上げません。もしいたとしても・・・・どうだろう、なかなか商売としては厳しそうなので、普通に考えたら継ごうとは思わないかぁ~、そうだよなぁ~
でもそれは、このお店、このご両親あるいはかしわ餅とは無縁の人生を生きてきた外野の私の考えであって、小さい頃から両親の働きを見てきた子どもがいたとしたら、もしかしたら・・・・継ごうって思わないことも無いかもしれません。
だって私が継いだときのハクロマークだって、この老夫婦が切り盛りしているかしわ餅屋さんと何ら変わらない状態だったのですから。
もっとも私の場合、魔が差したというか、あまり深く考えずに継いでしまったのですが・・・
ハクロマークの近くでも、私が小学生の頃からあった印鑑屋さん(小さい頃、そう言えばお金持ちそうだったなぁ~)が、この度とうとう店を閉めてしまいました。
こうした状況を見ると、立場的に他人事とは思えず、事業商売の厳しさを痛感すると共に不安な気持ちに押しつぶされそうになります。
けれど、経営者にとって、いえ一個人としても生きるうえで何より大切なのは、
強い願望、熱意、決断力、向上心、忍耐力、積極心
を持ち続けること。そう前回ブログで学んだばかりです。
強い願望と熱意、そして向上心で運命を切り開け!
https://ameblo.jp/hakuromark/entry-12515246499.html
希望を失ってはならないのです。
きっとできる、何とかなるはず
できないのはやってないから
やれば必ずできる
そう思うことが大切なのです。
後半の、1願望・熱意・決断力・向上心・忍耐力・積極心が実行の53%
のところで、
1▼強い「願望」と強い「熱意」が最重要
2▼必要なことはきちんと決める「決断力」が経営を進める
3▼立派な社長になりたいという「向上心」が会社を変える
4▼「忍耐力」を持って継続する
5▼「積極心」で「できるはず」と先に結論を出す
この5つを紹介しましたが、今回のブログは、
5▼「積極心」で「できるはず」と先に結論を出す
を詳しく見ていきます。
プロ社長(こちらのブログで既に紹介済み。中経出版 竹田陽一著 2006年刊)の文中から引用します。
---78ページ-----------------------------------------
5番目は「積極的な心構えを持つこと」です。
多数の競争相手がいる中で経営をしていると、思いどおりにならないことだらけです。さらに経営をしていると、予想外の出来事と度々出会います。このときに欠かせないのが社長の積極心です。
大脳生理学の研究から積極的な人は、次の思考プロセスになっていることが解ってきました。困難や予想外のことと出会ったとき、まず「これは解決できるはずだ」、「なんとかなるはずだ」と、先に結論を出します。このとき最も大事になるのが先入観や思い込みを捨て「できるはずだ、やれるはずだ」と「先に結論をだす」ことです。
次に、どうすればそれが解決できるか、140億個の脳細胞を総動員して「できる方法」や「やれそうな方法」を考え出します。そのあと人の命と会社の命に別状がなく、かつ最も有望と思われるものを試しにやってみます。しかし、たいがいうまくいきません。そこで再び「できるはずだ、やれるはずだ」と、先に結論を出します。そのあと再び140億個の脳細胞を総動員してやれる方法を考え、これも試してみます。なかなかうまくいきませんが、この試行錯誤を何回も繰り返します。
こうしているうちに「ひょうたんからコマ」というか、まったくの「偶然」から今までにない解決方法が見つかります。そればかりかこうしたことを続けていると、「経験法則」によって徐々に実力が高まるので、成功率も高くなるのです。ちなみに世界的大発明と言われるものの7割~8割は、このケースです。
では消極的な人はどうなんでしょうか?
経営や仕事をしていて困難や今までにない出来事とぶつかったとき、まず「それは無理」、「できない」「やれない」と、先に結論を出します。このとき根底にあるものの1つ目は「強い先入観や強い思い込み」、2つ目は「優柔不断な性格」、3つ目は「怠け心」です。そのあと140億個の脳細胞を総動員して「できない正当な理由」や「やれない正当な原因」を考えることになり、なかには短い間に何十項目も考え出す人もいます。そして、こういう人はできない理由を多く考え出すと「自分はなんと有能な人間だ」と変に自信を持つので本当に手に負えません。心理学ではこれを「消極的な心のクセ」と呼んでいます。
会社自体は固定給なしの完全歩合給で運営されており、業績が悪くなってもだれも助けてはくれません。次に多数の競争相手がいる中では今までにない商品を開発したり、今までにない営業方法を考え出したりして仕事のやり方を変えていかないと、他社より利益性を高めることができないという大原則があります。つまり経営そのものは、もともと積極心でなければ上手くいかないという大きな宿命にあるのです。
もしこうした現実がある中で、今までと同じ考えややり方で長く経営を続けていると、毎年数%ずつ経営効率が低下していきます。これではほどなく赤字となり、大きなピンチに直面することになります。そればかりか、社長がこういう心のクセが強い人なら、従業員も似たようになるばかりか積極性が強い人が社内にいた場合、その人は会社を辞めていきますから、会社は長く続かなくなるはずです。
以上、ここまで説明したことが社長の実力の53%を占めるのですから、多数の競争相手がいる中で電話帳から社名が消されないようにするには社長自身が、
日頃から「できる・やれる」と考える、積極的な心構えを持ち続ける必要があります。
---ここまで---------------------------------------------
この引用文の冒頭、
多数の競争相手がいる中で経営をしていると、思いどおりにならないことだらけです。さらに経営をしていると、予想外の出来事と度々出会います。
とありますが、私自身、一番思いどおりにならないと思うのは
「人の心」
です。
従業員に辞められる時もそうですし、モノ1つ買って貰うことだってそうです。私にはどうすることもできません。
特に従業員に辞められるなんていうのは予想外もいいとこですよ(もっとも私が鈍感でアホなのかもしれませんが)。
さすがにこのときばかりは右往左往します。このあとどうなるんだろう?やっていけるのだろうか?って正直弱気になります。こんな思いを何度経験したことでしょう。
でもそんな窮地も今となっては乗り換えてこられたわけですから、残った人たちの積極的な頑張りのお陰です。
「モノを買って貰う」ということに関していうと、今となってはタイムカードの上から1人か2人以外、つまり今いる人のほとんどは仕事がない辛さを味わったことはないと思います。だからその辛さを語り伝える事は私と真子さん以外にできる人はいないかもしれません。
ハクロマーク史上、営業マンを雇ったことは一度も無く営業経験者は私ひとりだけです。インターネットに出会うまで私は走り回っていました。西は岡山から、東は神戸まで、文字通り東奔西走。お陰でオーダーのぼりドットコムや不動産応援ドットコムの下地ができました。それ(営業活動)があったから、今こちらから営業せずにお客様の方から買いたいと言ってくださるビジネスができています。その辺りのことは11回にわたってこのブログで紹介した「ハクロマークの過去、現在そして未来」に詳しく書いていますので、まだの方は是非ご覧下さい。まさにハクロマークの歴史、沿革が手に取るように分かります。
ハクロマークの過去、現在そして未来
https://ameblo.jp/hakuromark/entry-12351420842.html
それから「積極的な心構えを持つこと」と言えば、思い起こされるのは、ある縫製パートさんのコメント。このブログでも紹介したことがありますが、趣旨としては、
納期の厳しい仕事がこれまでに何度もあったけど
不思議なことに、できなかったことは一度もない
それは縫製部門のチーム力の賜
みんなが力を合わせればできないことはない
がんばったらできる、きっとできる
そう全員が信じて、自分のできる事を精一杯やっているから
そんな内容でした。私はその人の顔を見る度に、いえ、縫製室を通る度にその言葉がいつも思い起こされます。
今のハクロマークがここまでくるのに25年以上かかっていますが、その間こうしたエピソードはたくさんあるはずです。タイムカードの、社員、パートタイマーそれぞれ上から4番目くらいの人は、次の真ん中の人たちに、真ん中の人たちはその下の人たちに、そうしたエピソードや武勇伝、伝説、これぞハクロイズムという体験談を語り伝えていって欲しいです。私が「ハクロマークの過去、現在そして未来」で語リ、伝え、残そうとしたみたいに。
それが、ハクロマークの思想や文化すなわち大切にしたい社風になっていきます。
ほんとのことを言うと、ハクロマークに入って6年に満たない人はこの社長ブログを最初から全部読んで欲しい。なぜなら、今言ったようなモノが全てこのブログには入っているから。何より、ハクロマークの魂、目指すべきものがこのブログには込められています。
さて、
あなたには、他のどこでもないハクロマークの社員として、後輩に語り、伝え、残していきたいと思うあなた自身の武勇伝や体験談はありますか?
そして、その中で後輩たちに何を伝えたいですか?
(つづく)