本当の望みなんてものは、自分の「意識」では分からないものだった話。 | しあわせって何だっけ?

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お久しぶりです。

爽やかな陽気が平和な季節となりました。

 

今回は、書こうと思ってて2年が経過してしまった話。

 

 

 

それまで興味があったもの好きだったものに興味が無くなった

引っ越して家具やら家電やらひと段落した天気の良い春頃。

陽射しが明るく差し込むリビングでぼんやりしていた時に、ふと気づいた。

 

あれ?

欲しいもんなんもないな。うーん

 

それまでめっちゃ興味ありありだったこと

・・・自己啓発系とか啓発系スピリチュアルとか恋愛とか美容とか本当の自分とか自分探しとかそういったそれまで私がブログで発信したりなんやとしていた様々。

それらに一切の興味が無くなってしまってることに気づいた。

 

それと同時に気づいた、

私は本当に欲しいものを手に入れたんだ。

 

本当に欲しいものって

広い空間と明るい陽射しと穏やかな風

だったのだよ

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↑庭に侵入した外猫に網戸破られてる。

 

今までずーっと、「本当の望み」とか「本当の自分」とか本来の何たらとか魂の何たらとか色々とやってきまいたけどね。

そんなん全然なんもなかった。

ただ金と時間を無駄にしただけだった。

それ故に、金と時間をかけた割に何一つ満足したものもなかった。

 

よくよく考えたらそらそうだ。

自分が「本当に」欲しいものなんて、自分の意識下で分かろうハズもないのだ。

そういった「本当の」「真実の」「魂からの」というのはヒトが意識できる顕在的なものではなく、

まったく意識の箸にも棒にも掛からぬ、要するに

自分で見つけようとしても解らないものなんだよね。

 

そして、私が「これぞ私だ」と思っていたことすら興味を無くした。

自分は恋愛体質だと思ってたのに、それにも何とも思わなくなった。

自分で言うのもなんだが、手のひらを返したかのように解らなくなった。

 

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それまでは2DKの狭いアパートで、東向きだったものの1階だったから日差しも限定的。

しかも内緒で猫もいたから窓を堂々開けることもあまりできなかったし。

モノが多かったから部屋も狭苦しかったし、何より独りになれる部屋がなかった。

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独りになる為に近所の喫茶店に行ったりしてたなぁ~。

今は近所にコメダあるけど。

コメダ高いし、そこの店舗はPayPayのキャンペーン参加してなかったりするしな。

今はあっしゅがリビングにいても、私は2階寝室へ行けばいいし、ともすればあっしゅが2階の

自分の部屋へ行ったりする。

(ていうか、もともと私がアトリエにしようとしていた部屋を取られた。

そして私が部屋として取ってある部屋は諸事情あって部屋として使えず荷物を置いたままになってる)

 

 

結局薬局、私が欲しかったもの・望みって物質的なものではなくて環境だったのね。

 

そしてその環境が、その後、それまで定番だった私を自然と変えていった。

その話はまた今度。