今回は私自身についての記事をお届けします。持病の関節リウマチに関しては別記事[☆自分のこと(リウマチ編)☆」がありますので、そちらをご覧ください。
私は、小学生の頃から20代半ばまで自殺願望がありました。
自分の父親(私が20歳の時に病死)が殴る蹴るの暴力をふるう人だったからか、母親が父の悪口を私にずっと言い聞かせていたからか、あるいは他の原因があったのか、自分ではよく分かりませんけど。
小学校に入学する前、保育園に一年間だけ通ったんですが、一度、頬に父親の手形がついたまま(平手打ちされた)登園しなくてはならず、随分恥ずかしかった記憶があります。
いま思えば、父も母も人間的に未熟な人たちで、特に父は物心ついた時には両親とも戦争や病気で亡くし、兄弟もいなかったため、親として子供にどう接すればいいか分からなかったのかもしれないな、と思います。
とにかく、私は死ぬ勇気も出せず、生き長らえてきました。
自殺しなくても、たとえ結婚して子供が出来ても、38歳ぐらいには死にたいな、と本気で思っていました。(なぜ「38歳」と思っていたのかは謎です)
そんな私が25歳の時、恋も仕事も健康も失うという、私的には「泣きっ面に蜂」の状態に陥ったわけです。
当時付き合っていた彼氏は大学院生で、「どんなに遅くても28歳までには結婚を」と話していたし、お互いの親にも挨拶してたんですが、彼が浮気してたんですよね。結局、私のほうが捨てられた形となり、それから半年もしないうちに彼は学生結婚しました。お相手は、私が一番信用していた女性でした。
彼氏との別れ話が出始めた頃、手術を初めて受けました。仕事を続けるつもりで早く退院させてもらったら、それが体調を崩す一因になってしまいました。結局、仕事も辞めることになり、食事を出されても一口か二口食べたぐらいで箸を置くような日々が続き、体重がみるみるうちに落ちて行きました。
このままだったら本当に死ぬだろうな、と思った私は、なぜか自己改革に取り組むわけです。
高校時代に本嫌いになり、一番本を読まなきゃいけなかった時期にほとんど本を読まなかったんですが、この時期、自己啓発の本を何冊も読み漁りました。
日木流奈くん、斎藤一人さん、中村天風さん、浅見帆帆子さん等々。
幸い、その本の中の言葉たちと、そんな私を好きになってくれた人、温かく導いてくれた人のおかげで、徐々に自殺願望がなくなっていきました。
その後も、折に触れて、「自分には価値がない」「生きる意味があるのか」と思うことはあります。
けれど、これは、命を諦めかけている人たちがどんなツライ、苦しい思いでいるのかを私自身が忘れないよう、体験させられているのだと思っています。
もともと、「自分のように寂しい思いをしている子が一人でも少なくなるように」との思いから学校教員を目指した経緯もあり(身体的事情で断念)、叔母が自死したり、身近な人が精神的に病んで退職したり、自分自身もまた病気や障害等で周囲の人たちに理解されづらい状況にあったりするため、「生きづらさ」を感じている人たちが少しでも生きやすくなるお手伝いをしたくて、心理カウンセラーになりました。
大学で心理学を専攻したわけでもないし、心理カウンセラーとしてはまだまだ未熟で、学ぶべきことがたくさんありますが。
ツライ、苦しい、悲しい思いをしている人たちの味方でありたいです。
そんなこんなで。心の闇編は以上です。