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土砂降り上がりの太陽 そして瞑想 * 沢山の雨と風で自分の中では消化されたと思っていた感情が荒々しく出てくる * そのひとつひとつをなだめるのでもなく 掻き消すのでもなく * ただ自分がその時に感じた 堪え難い程辛いと思っていた その感情を同じように感じる時間は 理解というようなものを遥かに超えた 共感よりも更に深い これが"わたし"との統合なのかもしれない * そんなふうに感じ、苦しみからというよりは、 "自分を理解してもらえた" そう全く疑う余地もない 絶対なる安心感 深く慈愛に満ちた安らぎ * そんなことを感じる大切な時間だった * 誰にでも隠したい欠点はあるのではないかと思う * それは それをカバーする力をつければつけるほど抑圧され 見えにくくなり 一見してとても完璧になるのかもしれない * でもその抑圧されたその子は いつも心の中にヒッソリと 扉は開くのに "出てきてはダメよ!" 欠点がバレてしまう! * そうやって自分から寒くて暗い部屋に閉じこもり さみしそうな顔をしている * その扉は その子が開けるんじゃなくて その子を扉の向こうの暗い部屋に押し込んだ 自分が理解し開いてあげる必要がある * それがこの晴れやかで美しい太陽をわたしとあの子で見た時の なんとも言えない 胸に染み渡り "今日、こうやって生きていれて良かった" そう思う時間 * 瞑想は 集中力や安らぎを与えてくれるけど もっと深い部分ではそのメリットだけでは語れない位 あってくれて、有難い わたしの人生でとても大切な存在 * などと徒然なく描いてみる * #雨上がりの太陽#瞑想#洗い出し

千葉県瞑想&food school(@haku_ren)がシェアした投稿 -