母の手作り
母は独身時代から自分でお洋服を作ったり、セーターを編んだり、なんでも作っていた人。
きっかけは家が貧しかったからで、そのおかげで何でも工夫して作る技術が身についたとか。
私、子供のころ、買ったお洋服をほとんど着たことがないんです。
帽子もバッグも手作りでした。
左から、30年ぐらい前の私、弟、妹の写真です。 妹は2学年下、弟は6学年下です。
髪が長い私は赤いヘアーバンド、妹は首にスカーフでした。
色違いやデザイン違いのお洋服をたくさん作ってもらっていたのを覚えています。
父がカメラに凝っていたので、子供の頃の写真がたくさん残っています。引き伸ばした大きなパネルもいっぱいあるんですよ。
妹も弟も、母が選ぶ服を何も言わずに着るのですが、私は 「今日はそれは着たくない」 などなど、はっきり意見を持っていたんですね。
私の好みが細かくてうるさかったので、母は私を連れてよくお買い物に出かけました。
「どれが欲しい?」と聞かれて、「あれ」と指差すと、そのままその商品をしっかりと母は観察して、(時にはセーターの編み目を数えてメモして)その足で手芸店へ。
そのときに、私も参加します。こっちの色がいいとか、あのセーターの何段目の色はこっちのほうがいいなどなど、希望を伝えて、私のオリジナルを母にオーダーします。
生地や編み糸を買って帰ると、数日後には私が指差した服をちょっとアレンジしたものが出来上がっているんです。
今、世の中では激安の競争は激しくなる一方。 なんでも安く買うことができます。
でもそれは作り手の愛を感じるものではないことが多いように思うのです。
世界にひとつの手作りの服やバッグに触れて育つことができたことは、とてもラッキーだったと思います。
一緒に買いに行った布や毛糸が、身につける形あるものに変わるマジック。
自分で選んだ布が、服やバッグになっていく楽しさ。
お友達やお友達のお母さん達に誉められると、「生地は私が選んだの」 と自慢しちゃったりして。
なんでも作れるということをわかっていると、自由度が増します。
創ればいい。 そういう風に人生のことも思って行けたら、もっともっと自由ですね。