またまたブログに書くことが溜まってきました
本当にいつも思う、お金が貯まればいいのに
さて、先日またまた早稲田へ
目的は杉浦千畝の展示を見る事と、ドラード和世蛇という梵寿綱氏が設計した建物を見ようと思って行ってきました
しかし、ドラード和世蛇はメンテ中なのか、足場こそありませんでしたがネットのようなものに覆われておりました
残念また来る事に致しましょう
杉浦千畝の展示は早稲田大学歴史館の中の企画展示室でありました
杉浦千畝を知ったのは30年以上前に、テレビのドキュメンタリーか何かで知ったのが初めてでした
ユダヤ人難民の為に自らの判断でビザを発給した人です
自らの判断というのは、日本の外務省に一応お伺いを立てたものの、杓子定規に却下されたからです
シンプルに千畝がした事は服務規程違反になるので、一般企業なら解雇相当
こんな自分の事より、他国の人の為に動ける日本人がいた事に驚きと感動です
自分だけならまだしも、家族も巻き添えになるかもしれないと思ったら、そうそう決断できることではありませんよね
千畝夫人も、目の前にいる人を助けないという選択肢はなかったとキッパリ
当然戦後抑留生活を強いられ、帰国した時に外務省からは自主退職を迫られたのだとか
(本当は免官扱い)
その後色々な職場を転々としたものの、日本の企業の体質に合わなくて、貿易会社に就職して20年近く海外で単身赴任していたそうです
ご家族も本当に大変だったでしょうね
でも、助けられた人たちはずっと千畝の恩を忘れなくて、ビザを発給され、後年イスラエルの参事官となったニシュリが日本の外部省に問い合わせたり(その時は該当者なしの返信)なんとか千畝と再会を果たしました
日本はずーーーっとお役所仕事
もっと人命を重視した仕事をしていただきたいものです
千畝が名誉を回復できたのはなんと、2000年の10月、わたくしが初めて千畝を知った時はまだ名誉回復されていなかったんです!
なんだか、無駄に腹が立ちましたフン!
さて、こちらの歴史館で撮影許可があったのが、こちらの大隈重信像のみ
一方、早稲田大学内の象徴的な大隈重信像は相変わらず逆光で今ひとつ顔が分かりませんでした
反対側ですと、大隈講堂と一緒に撮れて
いかにも早稲田らしい
次に来れるのはいつになることでしょうか?
その時はドラード和世蛇の姿を見ることができますように