やさしさ | 忘れちゃうひととき

忘れちゃうひととき

青臭い駄目人間の、イカ臭い日常を、小便臭い文章で、つらつらつらと書き綴っていく予定です。それ以上でもそれ以下でもそれだけでもありません。

photo:01


「そう、いつでも君を最優先に考えてた。ぼくにはこれ以上の優しさって何かわからない」

小市民的ダメ男を描かせたら当代随一のシンガーソングライターKANによる失恋ナンバー『涙の夕焼け』の一節だ。

僕は、この歌詞に象徴される「自分の気持ち、そしてそれに基づいた行動」について、いつもいつも悩んで迷っている愚かなオトコである。

相手に優しくすること、思いやることとは一体何なのだろうか。
相手の為を思った行動とは、どうすれば正解なのだろうか。
KANが歌うように、僕にも相手を最優先にすることが優しさであると考えている節があって、殊に恋愛においてはこの歌詞のまんまである。

相手が望むもの、欲しいもの、求めるものに対して、極力応えたいと思うし、期待されたいと思う。
もしも仮に、相手を優先することで自分の気持ちを犠牲にしなくてはならないのであれば、それは致し方ないとも思う。

でもこれって、要するに「都合のいい男」なのだ。
僕が女性だったら、こんな退屈な男は願い下げだね。
自分の言い成りにしかならないなんて、ペットを飼った方がまだマシである。
ペットには癒しがある故。

ただ、相手の望みが僕の望みとして同期され、相手のしたいことが僕のしたいこととしてイコールで結ばれる、それが僕の恋愛観の一つの重要なファクターでもあるのだ。
綺麗事かもしれないが、確かにそういう気持ちになることが、結構あるのだ。
そこには「自分の感情を押し殺している」意識は微塵もなく、自己犠牲の精神に酔うような自己陶酔性もない。

乙女チックな言葉で言い表すと「だって、好きなんだもん」だ。
その一言で全て説明がつく。

「好き」に理由は要らない。何故ならば、「好き」という気持ちそのものが、既に立派な理由であるからだ。

ただ、優しいのは必ずしも良いことではないようにも思える。
「優しいだけの男」なんて、其処此処に掃いて捨てる程いるからだ。
退屈であり陳腐であり、唾棄すべき存在である。

そもそも、「あなたはどんな男性がタイプ?」などというan•an的アンケートで、常にトップ3に食い込む「優しい男性」ってやつ。
あれは一体何なんであるか。
世の男性は大抵優しいと思う。
いや、男性だけではない。
少なくとも、この日の出づる国に住む人間は、大抵優しいじゃないか。
それてもあれか、そういう「最低限の優しさ」以上のものを求めているとでもいうのか。

話が逸れに逸れた。
優しさとは何であるかと、そういう話である。

結論から云おう。
さっぱり分からない。

だから、もし僕に奇跡が起きて彼女なる存在が出来たならば、僕はその人に尋ねてみようと思っている。
「君を最優先に考える以上の優しさって何か分からないのだ。僕はどうしたらいいのだろう」と。
きっと彼女は、微笑を携えて僕にこう言うだろう。
「そのままでいいよ」と。
僕はおもむろに彼女の唇に自分の唇を重ねる。
夜が更けていき、朧月が柔らかなスポットライトを浴びせ、夜風が僕らの横を申し訳なさそうに通り過ぎていく。
やれやれ。僕は射精した。

おっと、急に村上春樹的展開になってしまった。

優しさとは何であるか。
依然として解は出ないが、そんなことより先に、まずは彼女を作ろう。
フレッシュネスバーガーの、氷が溶けて薄くなってしまったアイスコーヒーをズルズルとすすりながら、僕はそんなことを考えている。


♪今の気分的一曲
涙の夕焼け / KAN