
いつものように、ベランダでタンブラーに入れた烏龍茶をちゅうちゅう飲みつつ煙草を吸っていたら、遠くから美しく澄んだ口笛の音色が響いてきた。
「何事かっ!」と思い、眼前に横たわる遊歩道に目を凝らすと、白いシャツに身を包んだ一人の青年が、柴犬を散歩させている。
耳元からは、iPodの白いイヤフォンのコードが伸びている。
どうやら音源は彼のようだ。
陽が落ちかけた曇天模様の住宅街に響くその口笛は、うっかり聴き入ってしまうほどに美しく、僕はニヤニヤしながらその青年の所作に目をやりながら、ゆっくりと煙草の煙を吸ったり吐いたりしていた。
しかしながら、見事な口笛である。屋外でここまでの音量を長時間響き渡らせるには、相当な技量が必要となる筈だ。
彼はもはや、口笛界のパバロッティ。世田谷の片隅の、この何てことない住宅街は、さながらメトロポリタン歌劇場である。
煙草を一本吸い終わった僕であったが、どうしてもパバロッティ青年の口笛から離れがたく、気が付けば予定外の二本目に火をつけていた。
ただ、パバロッティ青年の口から放たれるメロディーには、どこか聴き覚えがあった。
どうしても思い出せず、徒にヤキモキしていると、パバロッティ青年の口笛はサビ部分の旋律を奏で始めた。
僕の謎とヤキモキは氷解した。
なんてことはない、X JAPANの『Forever Love』だったのである。
そういえば、彼の白いシャツもどことなくYOSHKIっぽいではないか。
そうかそうか。
しかし、まぁ、いい曲だった。
何の曲か分かってしまった途端、僕はなんだか冷めてしまって、短くなった煙草を消すと、やれやれ気味な足取りでベランダを後にした。
背中から、パバロッティ青年の流麗な口笛が、今もなお高く高く響き続けていた。
もう、夏も終わりである。
♪今の気分的一曲
泡になった / Bonnie Pink