―8月13日 晴 34.4℃

 公使館地区は昨夜から籠城以来非常に激しい銃砲撃を受けていたが、夜が明ける頃には清兵の射撃はほとんど止み、時々どこかで銃声がするだけになる。

 列国公使は昨日の約束どおり親王らが来るのを待っていたが、午前11時を過ぎても一向に来る気配がない。午後2時になると英公使館に手紙が届く。

 かねてから相方に射撃しないと、あれほど度々固く約束したにもかかわらず、外国兵及び教民は昨日またまた清兵を攻撃して、将校1名と兵24名の死傷を発生させた。かような有様では到底和睦の談判が出来る見込みもないから、なお厳重に取り締まられたい。今日11時にでかけるお約束であったが公務多忙にて行けないので、さらに時期を選んでご相談いたそうという内容であった。

「自分で戦を仕掛けておいて、それで死傷者が出るのは当然ではないか」と小川は呆れ、杉は、「清兵自ら攻撃を始め置きながら、負くれば即ち攻撃されたりと云う其無耻(むち)笑うに堪えたり」と皮肉った。

 

 午前11時半ごろから20分間ほど、はるか東方より砲撃と銃声が聞こえていた。籠城するみんなが、明日には援軍が来るものと判断し、日本兵らは国旗を急造して高所に掲げる準備をしていた。

 

 午後から清兵の射撃が始まり戦闘の再興となる。夜になると稲妻が走り雷がしきりに轟く。どしゃぶりの雨が大地を池のようにし、濁流が血に染まった地面を洗い流した。暗闇のなか叩きつける雨を避けようと兵士らは胸壁によりかかるものの、たちまちびしょ濡れになってしまう。それでも銃の機能保持のために銃口を手でおおっていた。

 

 午後7時半過ぎ、清兵は全方向から公使館地区に対して一斉に猛烈な射撃を浴びせ、宮城内と哈達門(はたつもん)からは大砲で砲撃も加えた。特に粛親王府と英国方面が最も激しい。小川の日記にこうある。

「敵の射撃は猛烈であって、弾はどこともなく飛んで来て足下に落ちるが『プツ』『プツ』と音がするだけで、どこに落ちたのかわからない、今にもこの身に当るだろうと思った。大砲は黒雲を破って頭上に轟き渡り、時々砲弾が破裂する様は凄まじかった……敵は今にも突入して来そうな気配であるから、ここまで持ち(こた)えて来た籠城も哀れここに至って破れるのかと、口惜しさいっぱいであった」

 午後10時になるとその射撃は極度となり、辺り一帯は硝煙で濛々となっていた。

(つづく)