迷走する北京政府

 

 ―8月2日 晴 32.2℃

 前日と変わらずに短時間の射撃と瓦石の投擲が繰り返されたが、清兵の射撃量は以前に比して少ない。ただ午後に英兵が英公使館の西側にあった韃子館に設けられた清兵の胸壁を破って一部を占領すると、清兵は激しく反撃してきた。

 

 清兵の統制が緩んだのか、また種々の物売りが密かにやって来た。彼らにとっては鶏卵などよりも弾薬の方が都合よく、またいい値段で買ってもらえるので、以降は弾薬の物売りが多くなる。弾薬は清兵が使用するモーゼル銃のものであったが、日々2、300発買っていた。また若干の銃も買うこともできた。

 この日、石井書記官らを以って英公使館から1週間分の麦粉を貰う。当初から糧食係長であった鄭通訳官は楢原書記官が負傷したときに教民使役の任に就き、代わりに石井書記官が糧食係長となっていた。

 小川はこう記している。

「我糧食は遂につきた。仕方なく英国公使館に交渉して、毎日いくらかの小麦粉をわけてもらい、夕食にはこれで饅頭(まんとう)を作り一人二つ宛と支那家から捜してきた砂糖とで餓を防ぎ、婦人は朝夕は『黒パン』、昼は粥を食べることになった」

 日本の食料は心細いこと限りなしであった。

 

 ―8月3日 晴 30.5℃

 午前中は多少の銃声があったものの、午後からはぴたりと銃声が止んだ。

この日届いた総理衙門の書面には昨日下された上諭が記されていた。栄禄に諸公使及びその他の外国人を安全に天津へ護送せよと命じたとしている。北京政府はこれまで総理衙門経由で外国公使館に北京から引揚げるよう要求していたが、今回はとうとう上諭を以ってせまって来たのだった。ただ列国の公使館からすれば上諭であろうが清兵が送り付ける脅しの文書と変わりなく全く意に介さない。

 柴中佐は、「虫の善いこと」とあきれていた。杉は、「今や援兵の天津を発せしこと知りながら、此かる敕諭を発して我を欺き、途中一撃のもとに斃さんとす。清人にあらざれば何人か此(おとしあな)に陥る者あらんや」としていた。(つづく)