戦艦「笠置」の副長山下中佐は陸戦隊を率いて天津にいた。その山下中佐が6月 12日に発信した電報が山本海軍大臣に届く。

「北京行連合兵昨夜廊坊(ろうぼう)落伐(らくばつ)間暴徒二千と戦い七十を殺し十余を(いけどり)にす我軍死傷なし同地付近鉄道線電線大破損」

 これを受けて同大臣は大沽にいる艦長に対し、清軍と衝突する場合もあると予想されるので艦の働きに支障のないよう準備せよと命じている。日本政府としても義和団による北京・天津の外国人に対する襲撃は当然のこと、清軍による攻撃も予想された。

 

 大阪朝日新聞特派員・法学士の村井啓太郎は密使を立てて天津の鄭領事に杉山書記生の事件を伝えていた。そして事件の一報が外務省に届く。

「在清公使館杉山書記生は六月十一日午後三時公使館護衛兵出迎えの為め停車場へ向える途中永定門外に於いて董福祥の率いたる騎兵の為めに殺害せられたり」

 杉山書記生の事件に清軍が関与していたことから、北京が非常に危険な状況にあることを知らされる。また鄭領事は別の電報で、

「機あらば何時にても外国人居留地を襲撃するとの状あり……天津市のみにても五千以上の義和団徒あり」

 と伝えた。

 

 翌14日には、西公使の報告も届く。

「本電信は特使を以て天津まで送達したものなり……北京天津間の電信は六月十日より恰克図(キャフタ)線は六月十一日より不通となれり……杉山書記生は六月十一日停車場へ向える途中に於て董福祥将軍の部下騎兵の拿捕する所となり多分殺害せられたるならん。直ちに強勢なる艦隊を派遣せられたし」

 また鄭領事も切迫する状況を発信する。

「群衆の中に抜剣を(ふる)って市街を横行す。然れども地方官吏は恬然として之を黙過し何等鎮圧の手段を執らず。外国人居留地は匪徒の襲撃に備えんが為め厳重に防御せられあり。事態益々危殆(きたい)にして容易ならざるの状あり」

 

 北京と天津から緊急の救助を求める信号が発せられていた。

それはそうと、西公使の報告は特使によって天津領事館に届けられている。その特使というのが、中国人に化けて杉山書記生が殺された現場に向かった依田猪三二であった。その日に西公使の命を受けて北京から約130キロ先の天津を目指した。その間の要所には清軍や義和団が溢れていた。実際、途中で義和団に呼び止められて命の危機にさらされるようなこともあったらしいが、何とか逃げ切り助かる。やっとのことで天津に到着し鄭領事に西公使の文書を届けていたのだった。(つづく)