国立国会図書館デジタルコレクション「北京籠城」(柴五郎 述)
 
 

「閣下が日本人ならば、多分、チャイ・ウー・ランを御存知じゃろうと思うが、どんなもんじゃろう」

「チャイ・ウー・ランなんて知らんねえ、そりゃ一体何かい」

 老翁は見るからに軽蔑した様子で、

「ああ何たることじゃ。あのチャイ・ウー・ランも、教育のない日本人の中では知られていないと見える」

 とため息まじりに嘆いた。そしてチャイ・ウー・ランがどういった人物なのか諭すように語りはじめる。

 

 チャイ・ウー・ランは北清事変のときに入城した日本軍の指揮官だった。その指揮官がいたことで、当時の北京市民はロシアやイギリスやフランスなど各国軍隊の蹂躙から逃れて日本軍の守備区域である北城に集まり、ようやく生命財産の危機から救われたのである。日本軍はもともと軍紀の厳しい軍隊であったが、あのときは特に厳しかった。北京市民の老若男女を問わずみんな日本軍に慣れ親しんだのも、彼らが市民を困らせたり虐げたりせずに保護してくれたからだ。それには深い理由がある。指揮官のチャイ・ウー・ランは、実は中国人なのだ。彼は若くして志を立てて日本に渡り、軍籍に身を置いていたが、事変によって部下を率いて母国へ向かうことになった。そのとき彼が部下に言い聞かせたことで、他国の兵が狼藉を働いても、日本軍だけはそれをやらなかったのだ。

 

 老翁の話を聞いていた法本は、はたと思い当たることがあって、思わず大きな声で叫んだ。

「アッ! 知ってる! チャイ・ウー・ランか、なるほど……」

「えッ、知って居られるか、あのチャイ・ウー・ランを」

「知っているとも、柴閣下ならば、日本で最も有名な将軍の一人であられる、これは三尺の童子と(いえど)も、その英名を欽慕(きんぼ)している位である」 

 

 柴閣下とは陸軍大将柴五郎のことだった。中国語で「柴」は「チャイ」と発音する。「五」は「ウー」で、「郎」は「ラン」となる。柴という姓は中国にもあるので、老翁は「柴五郎」を中国語で読み、中国人だと思っていたのだ。

 

 法本からチャイ・ウー・ランが陸軍大将まで昇進していたことを知らされた老翁は、中々普通のことではなれまいと感慨深げにしていた。法本は笑いながら、

「それにしても、あの柴閣下がお国の人とは知らなかったな」

 とからかうように話すと、老翁はまじめな顔になり、先ほど声をひそめてチャイ・ウー・ランは中国人なのだと話したように、

「実はなあ、チャイ・ウー・ラン西直門裡頭(シーチメンリートウ)の人ですわい」

 と言った。

「閣下も何れ日本に帰るじゃろうから、チャイ・ウー・ランに会ったら自分がよろしく言って居ったと言ってくれ」

「あんたの名前は」

老翁は「趙徳明」と地面に大きく書いてから、

(わし)も西直門裡頭の人ですわい」

と言って、カラカラと笑いながら去って行った。(つづく)