伊藤中尉は露営地で天気が回復するまで待とうとしたのだが、それが具現されることはなかった。
「空腹と寒気と吹雪で引返す途中既に歩けぬもの、斃れるもの続出で、最後にいる私等が介抱し切れなくなり、前の小隊の応援を頼んだが一人も来なかった。私は最後にいたから、この間の消息を知っていて到底このまま前進することは凍傷及び死亡者が多数出ると思い、倉石大尉と相談して、山口少佐にこの状況を報告せんと伝令を出したが一向通じない。二回三回出したが通じないから私自身行くことにした」
部隊は一列縦隊で進んでいた。ほとんどの将兵は歩くことに精一杯で,他の人を構う余裕などなかったのだ。
「先頭の山口少佐に会い、具に凍傷及び斃れるものの続出することを申述べ、このまま継続する場合位は死者が出るから、再度露営することを提言したが聞かなかった。実は山口大隊長はそのとき、寒さのため頭脳の明瞭を欠いていたようであった」
将兵の多くは低体温症になっていた。そのため、動けなくなったりしていたのだった。
それにしても、伊藤中尉以外にこの行軍を誰も止めようとしなかったのは不思議である。訓練中に死者が出ているという緊急事態にもかかわらず、神成大尉、倉石大尉らは何をしていたのか……。
「涙をのんで行軍を続けたが、風雪が益々ひどくなる。落伍者が出る、かくするうちに水野子爵の子息水野少尉が歩行困難となってきたので、私が側に行って何うしたかと問うてみたが、何も云わずにそのまま斃れた。……将校中で一番早く死亡したので、山口少佐も驚いて鳴沢西南の窪地に露営することにした。」(郷土誌「うとう」第十三号)
2日目(24日)夜の露営地は、未明に歩き始めた第1露営地から0.7キロしか離れていない。ムダに歩きまわる彷徨をやめていれば、多くの者が助かったものと思われた。(来週に続く)
具に:つぶさに
何うした:どうした