萬朝報によれば、「山の神の日」は、「市民も村民も互いに相警めて外出せざる……」としている。

だが、それは山を生業にした一部地域で行なわれている風習であり、ほとんどの市民には関係のないものだった。

実際、当時の地元の新聞で「山の神の日」に関する記事を見つけることはできなかった。

新聞には農家の厄日である「二百十日」の記事はあっても、「山の神の日」はないのだ。

「山の神の日」は軍隊に全く関係ないものといえる。

そもそも「山の神の日」は2日前だった。

 

 1週間前、5連隊は軍旗祝典を行なっている。

その軍旗は親授されたものであり、錦の御旗と同じようなものである。

だから、戦場において旗手らは命がけで軍旗を守る。

また、5連隊の連隊本部隊舎正面には菊の紋章がついている。

つまり、5連隊は、「天皇の軍隊」なのである。

 

当時、訓練している軍隊に対し、諫言する日本国民がいただろうか。

農民が、「山の神の日」をたてにとって軍隊に諫言するなど、普通では考えられない。

青森県知事、青森市長でもできなかっただろうし、するはずもなかった。

 

 小原元伍長は、「(案内人など)寄っていません、全然ないです」と否定している。

 

 おそらく、田茂木野での事件は萬朝報の記事に基づいたものだと思われる。

その根本となる「山の神の日」の日付や内容などが違っているのだから、記事はあてにならない。

結論として、

当時の世相(風土)と小原証言から、田茂木野で農民が軍隊に諫言するなどという事件はなかったものと考えられる。

(来週に続く)