幸畑村は、「村居は山に倚り、土地中之下、炭薪を余業とす……家四十二軒」

と、『新撰陸奥国誌』にある。

路傍には茶店があった。

部隊は約10分間の休憩をとった。隊員は両便を済ませ、服装や装備の不具合を直した。

伊藤中尉は自らの小隊にカンジキをつけさせた。

「幸畑より先は積雪が深いので先頭小隊はカンジキを履き、三人二人三人二人の縦列を以って行進し、もって後続部隊の及び大行李の道を踏開きしつつ行進しました」

橇の輸送員は防寒外とうを脱ぎ、普通外とうを着た。この3.2キロで汗びっしょりとなっていたのだ。

橇を曳く輸送員が列中で行軍している隊員よりもはるかに体力を消費しているのは明らかだった。

 

7時50分頃

部隊は幸畑を出発し、3.4キロ先の田茂木野をめざした。

ここ幸畑から登りが始まり、田茂木野までは標高が140メートル高くなる。

前進を開始してから0.5キロほど進むと右手に陸軍墓地が見える。

 

 

部隊は途中から右折して0.7キロほど奥にある田茂木野の集落を通った。

まっすぐ進む経路もあったが、休憩地点として既知の場所とした方が何かと都合が良かった。

それにここから先は田代新湯まで人家がない。

『新撰陸奥国誌』には、

「八耕田山の山脚荒野の中にあり、田なく畑あり、夏日は薪炭冬日は山猟を業とし……」

と記載されている。

 

(来週に続く)