(顚末書の要点)
2030頃 山口少佐(大隊長)は「此南側ニ於イテ露営セントス」と命令した。
行李(そり)の支援に15名差出す。
「露営地ハ粗散セル小樹林」
小隊はスコップ×2、携帯スコップ×8で雪壕(2×5×(深さ)2.5メートル)を掘った。
顚末書
(陸軍省大日記付録明治35年歩兵第五聯隊雪中行軍遭難事件書類報告の部其三其二 防衛研究所)
2100頃 行李到着。木炭を各小隊に分配。
炊事場は2.4メートルほど掘っても土が見えないので作業を中止し、雪上炊さん。
炊さんしたご飯は半熟で粘りがなく、多くの者は食欲がわかなかった。
「酒ハ氷結シ殆ンド飲用ニ堪エザリシ……」
1月24日
火は雪を融解し1.5メートルほど沈んだ。
将兵は酷寒の中、軍歌を歌い、足踏みなどをして寒さに耐えた。
0130 山口少佐は即時帰営の状況判断をする。
21時頃行李が到着したとなると、穴掘りの道具であるスコップと炊さん具の到着もその頃となる。
それから本格的な雪壕堀りとなると、雪壕ができあがるのは?
積雪は4メートルぐらいあったが地面を出すことなく作業をやめている。
雪上で炭をおこしたらどうなるか、わからなかった?
水はないので雪を溶かしてから米をとぐ?炊く?
燃えている薪は雪で火が消える…雪が解け釜が傾く…
それにしても演習中隊長である神成大尉の記述が全くない。
これら露営間の状況について、伊藤元中尉と小原元伍長は詳細に証言している。