松本サリン事件があったとき、私は陸上自衛隊富士学校に入校していた。

 隊員食堂で昼食中、テレビのニュースでその報道を見た。すぐに「サリンだ、撒いたのは〇〇〇(国)か、テロ攻撃してきたのか」と思った。

 

 当時の松本市は蒸し暑い夜だったということから化学剤の使用には好条件だった。

 神経剤のサリンは無色、無臭、無味で殺傷力が高い。即効性があり数分で死に至る。

 あのニュースを見て「サリン」と思った自衛官は他にも多数いたのではないか。

 

 事は重大で軍事化学兵器が使用されたのである。もはや戦争なのだ。サリンを保有しているのは外国の軍隊しかない。

 外国の軍隊がどうして松本市のごく一部の地域に使用したのか。

 もし外国の軍隊でなかったらどうなるのか等々考えたらすぐに犯人は特定されただろう。

 そしてあの地下鉄サリン事件も防げたはずだった。

 

 だが、警察の動きは鈍かった。警察は第一通報者を容疑者として突き進む。マスコミも誤った報道を垂れ流した。

 そして政治家は国家の安全を揺るがすサリン事件に見向きもせず、いやその重大性を認識することなく政権獲得に奔走していた。

 翌年三月、オウム真理教は地下鉄サリン事件を起こし、それによって多数の死傷者が出た。

 最初の対処が悪くさらに大きな事件が発生するというようなことは今も繰り返されていて、それによって多くの人が犠牲となっている。

 

 遭難事故の前年となる明治34年2月26日、青森市郊外の孫内において五聯三大隊は雪中行軍を失敗している。その状況は地元の新聞に掲載された。

 

 この失敗を問題として適切に処置していたら、もしかすると翌年の遭難事故は起こらなかったかもしれない。