大臣報告は「大隊長の採りたる雪中行軍計画」、「歩兵伍長後藤房之助の口述」、「在田茂木野木村少佐報告」等から成る。

 

 三十一聯隊福島大尉率いる教育隊は29日未明に田茂木野へ到着した。

 田茂木野には五聯隊の捜索隊本部が設置され、その長は木村少佐だった。

 福島大尉は木村少佐に呼び出され、事情を聞かれる。

 そこで福島大尉が供述した内容を書いたものが 「在田茂木野木村少佐報告」である。

 その内容には銃を拾ったことや兵士の遺体を見たことが語られていた。

 

(「陸軍省明治三十五年大日記附録 歩兵第五聯隊雪中行軍遭難事件書類 報告の部 共三其二」 防衛研究所)

 

 銃を拾ったことや兵士の遺体を見たことは、三十一聯隊の教育隊、従軍した新聞記者、道案内人も証言している。

 だが、平成14年に「在田茂木野木村少佐報告」が日の目を見るまで、「五聯隊との遭遇はない」という説が押し通されていた。

 

 つまり根拠のない説が現場を見たとする証言より信じられていたのだ。

 

 この遭難事故等に関しては、事実でないことや俗説がたくさんあった。

 それに対して、事実と真実を努めて根拠とともに書き表わしたのが 『八甲田山 消された真実』なのです。