力抜きの力 | 八光流 道場記

八光流 道場記

京都で約30年、師範をやっております。
つれづれなるままに書き綴ってまいります。

八光流の極意の一つ「力抜き」とは、無駄な力を抜く事により必要な部位に力を集中させる事だが、簡単なようで会得するには、それ相応の修業が必要だ。


師匠公山先生は、元々力が強く握力は80Kg以上ある。


ある日 おれと師匠は、滋賀県の寺に行った。

その寺の住職は、おれより大分年上の弟弟子だった。


そこで久しぶりに八光流の練習をし帰る時 師匠が鐘を突くと言い出した。


師匠は、片手で人差し指を立てて綱を握り何気なく鐘を突いたと思ったら「カッキーン!!」と寺の鐘とも思えない甲高い音を発して鳴り響いた。


おれは、両耳を押さえて「加減して下さい 鐘が割れるじゃないですか」と呆れて言ったが師匠は「大丈夫じゃ」と笑っていた。


他にもこんな話がある。


おれが師匠を車に乗せて走っていると運悪くパンクしてしまった。

スペアタイヤに換えてナットを足で踏んで絞めていると師匠が「やってやろう」と言うので何か嫌な予感がしたが、せっかくなので任せる事にした。


後日 ディーラーで本のタイヤを修理してスペアタイヤと交換してもらったら作業員が「スペアタイヤを着ける時ナット絞める力が異常に強過ぎてねじ山が全部駄目になってます」と言う。

おれが「エエッ?」と驚いていると作業員が「像に踏んでもらったんですか?」と苦笑していた。


おれは、当時これらのエピソードを師匠の大柄な体格と怪力の成せる技だと思っていた。


しかし おれ自身八光流の師範になり技が上達した事であれは「力抜き」から発する力だった事が解る。


今にして思えば この二つのエピソードは、師匠が「力抜き」の極意と威力をおれに無言で示してくれていたような気がする。