メトロノーム(後編) | 八光流 道場記

八光流 道場記

京都で約30年、師範をやっております。
つれづれなるままに書き綴ってまいります。

練習初日 附いてない女先生に おれが、保育士試験を受ける動機を説明すると「出来る限り協力しますから頑張って下さい」と言ってくれた。

国家試験1年目おれは、受験申し込み期限ギリギリに受験する事を思い立ったので ほとんど受験勉強無しで受験した為1教科しかパスしなかった。
と言う事は、残り11教科と実技試験を2年以内 チャンスは2回で全てパスしなければならない。

おれは、2年目に向けて必死に11教科の勉強とピアノの練習をして2回目の試験を受けた。
結果 残り11教科の内10教科はパスしたが 保育実習の学科試験を落とした為 実技試験を受けられなかった。

その事を先生に伝えると 自分の楽典の教え方が足りなかったと おれ以上に悔しがった。
おれに残されたのは、あと1回になった。先生は、練習時間内に学科試験対策に楽典の問題集も取り入れた。

週1回30分のマンツーマンの練習時間内に 毎回必ず童謡を1曲マスターし 自分で選んだ課題曲バイエル89番を練習し 問題集を数ページ解く。

この濃密な練習時間にメトロノームが使われ おれ達は、メトロノームに合わせて歌ったり演奏したりした。

やがて1年が過ぎ 最終決戦の時が来た。
そしておれは、遂に保育士資格を取得した。

おれが、附いてない女先生に合格を報告すると「ヤッター!良かった」と喜んでくれた。そしてもう一度小さな声で「本当に良かった」と言うと彼女の目からポロポロ涙が零れ落ちた。

目標を達成したおれは、その2週間後 音楽教室を辞めた。
先生が「私みたいな頼りない新米でも お役に立ちましたか?」と聞いた。おれは「お役に立つどころか 先生じゃなかったらおれは、滑ってたかも知れませんよ」と言い「既に先生は、立派なピアノ教師ですぜ」と付け足した。
彼女は、涙声で何か一言言ったが、よく聞き取れなかった。

「ありがとう お元気で」とおれは、教室を後にした。
外に出て夜空を見上げると細い月が、やけに滲んで見えた。

あれから長い年月が流れ おれは、今ではピアノを弾く事は無いしメトロノームの使用目的も変わったが メトロノームにまつわる思い出は、いつまでも消える事は無い。

そう言えば 最後の練習の時 彼女が言っていた「私は、バイエル89番を弾く時 必ず初めての生徒さんの事を思い出すでしょうね」と・・・。