森は海の恋人 川はその仲人 | hakko1019のブログ

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「発酵水」
母なる海の恵みの日本在来の天然海藻(緑藻類・褐藻類・紅藻類)
およそ30種類を独自製法で長期自然発酵させて、手づくりで原液づくりをしています。






南アルプス山脈の豊かな森 ※奥静(おくしず)にて


南アルプスの豊かな恵みを駿河湾に運ぶ大井川 ※大井川河原にて


駿河湾で漁をする漁船 背景は伊豆半島 ※焼津和田浜にて


森は海の恋人 川はその仲人
2020年07月9日 14時7分投稿分の再投稿

今日は、「海の母さん 森をつくる」をお伝えいたします。
先日のブログ「森が消えれば海も死ぬ」の関連記事になります。

森・川・海は切っても切れないひと繋がりの生態系ということをお話しました。
過去の行政はそれを寸断し、またそれらにかかわる業種の従事者も自分たちの持分だけを考えて仕事をしてきました。

しかし、漁獲量や海藻の収穫が激減し、また水害や海洋汚染などに見舞われることになりました。
今から66年ほど前の1954年頃、北海道日高町えりもの漁業者の母さんたちが立ち上がり、壊滅的な収穫減を強いられていた日高コンブを蘇らせようと、森に木を植え始めたのが森と海との復興の始まりと言われています。

その後、今日ご紹介する北海道全般でこの取り組みを始めて、「100年かけて100年前の自然の浜を」という壮大な海の母さんたちのドラマが始まったのです。
森のため、川のため、海のため、地球のために、みんなで応援しましょう。

それでは4人の方の共著、『海からの贈り物』の中から、柳沼武彦さんの「海の母さん 森をつくる」をご紹介します。

『海からの贈り物』柳沼武彦・松永勝彦・中村征夫・小島正美共著 天野礼子編著 東京書籍

海の母さん 森をつくる
浜の母さんが、山に出かけ「魚と森」を掲げコツコツと木を植え続けて、既に昨年の春植えで9年目(1988年6月から)全道一斉に始めて、これまでに植えた木は30万本を超えた(1996年5月現在)。

いつも春になると、あちらこちらの浜で植樹が始まる。
例年は4月から5月にかけて一斉に行われる。
今年もあと3ヶ月すると、母さんたちは山に出かけ一生懸命植える。

昨年(1996年)の例を紹介しよう。
昨年は全道で68の漁協婦人部が参加し、山に出かけ思い思いに植えた。
樹種はカシワ、ミズナラ、ハンノキ、サクラ、ブナ、トドマツ、アカエゾマツ、ツツジなど、37,350本をそれぞれの地域に植えることができた。

そして、これには2,289人の母さんが参加した。
これは前年より参加婦人部が増えている。
未だこのエネルギーは衰えておらず、むしろ量も質も向上し、燎原の火のように燃え、力強く変化し発展し続けている。
この行為が、やがて巡り来て、豊かな海の幸を人々に贈ることにつながる。

これが「海からの贈り物」と言えるのかもしれない。

“生命(いのち)の海は、森の生命(いのち)”
この言葉は、ひたむきに植樹を続ける浜の母さんの姿は「生命を育む母」そのものであり、どんな言葉をもってしても一言の表現は難しい、と今も思っている。

要するに“海は、幾千万の生命を育んでいる。
もともと、地球の生命は海から誕生した。
生命は豊かな森の命によって生まれ支えられ育まれている。
豊かな海は森によって育まれている”のような熱い想いがある。

そして、浜の母さんから一貫して強く伝わってくるのは、”大自然に対する畏敬の念、生に対する慈しみの心”そのものである、と。
それと、この運動の大切なポイントは、「私たち自身が変わること」、そして漁業の実態を「人々に知ってもらうこと」にあった。

私たち自身どう変わらねばならないか。
私たちは縄文の頃に生きているのではないが、その心は今、あまりにも生産至上主義に走り、経済効率、利潤追求にあけくれていないか。

その結果、浜の自然(資源)はどうなっているか。
私たちは、本当に新鮮で安全な食べ物を生産しているのか。
協同組合が本来掲げている「人に対する思いやり」「自らつくり、運営、利用する」はずの組織に、他人ごとのような非協力、権利のみを主張し義務を果たさない風潮、そして利己主義などが蔓延している。
いったい、これは何からきているのか。

私たちの漁業は他の多くの人々には案外知られていない。
魚を毎日食べている人も、店で魚を毎日売っている人も、魚は「美味しい」、健康に「大切」と知っていても、こと日本の漁業が産業として今その現場はどうなっているのか、非常に困難を抱えているとはいえ実は逆にそれが将来の大きな展望を意味しているのだ、といったところまでは知られていないだろう。
私たちも、その努力を怠ってきた。

植樹をせっせとやっている当の母さんたちに聞くと、実に屈託なく「なにもそんなに肩ひじなんか張ってないよ」「こうして山に来ると気持ちいいっしょっね」とポンポンと笑顔の言葉が返ってくる。
この明るさが長続きの秘訣かも知れない。

最初、これを始める前年(1987年)の全道各地区で行った学習会、準備の打ち合わせでは、かなり現実的なやりとりがあった。
「漁師がなぜ山に木を植えるの」「どうして森と魚が関係あるの」「ニシンが消えたのは木を切ったからというのは本当かい」・・・・・「とにかく、やってみればわかるんでないの」といった具合であった。

「百年かけて百年前の自然の浜を」というキャッチフレーズもここから生まれた。
この運動は、私たちが知ろうと思っていたことを次第に明らかにしてくれた。
わからないこと、訴えたいこと、これはすべて走りながらやってきたことだ。

私たちは、山に出かけ、木を植えることによって、これを知り、そして知ってもらう。
そして「森」「川」「海」が固く手をつなぐ。
この三者がひとつにならなければならない。

編集者:天野礼子コメント
1988年に柳沼さんと海の母さんたちの「百年かけて百年前の自然の浜を」という運動が始まった。
海に元気になってもらうためには、海にそそぎ込む川の源流部の森に元気になってもらうことが肝心だと柳沼武彦さんは考え、飲むことが好きな父さんたちより、地道で辛抱強い母さんたちを教育することが近道と考えたのだ。
柳沼さんのすごいところはここだ。

母さんたちは、素直に柳沼さんの話を聞いた。
そして、小さな動きが始まった。コツコツと、母さんたちは始めた。
そして、最初はたかをくくって見ていた父さんたちを少しずつ少しずつその輪に巻き込んでいった。
輪は、次第に北海道全道へ広まり、そして漁業者以外のサークルへも広がっていった。

これに科学的な裏づけを与えたのが、北海道大学の松永勝彦先生である。
森でつくられるどのような養分が、どのようにして海の生き物たちの生きる力になるかを、解き明かしてみせたのだ。

哲学者の梅原猛氏は、「森は海の恋人」という発想に共感し、「森は海の恋人、川はその仲人」との言葉を、長良川河口堰に反対する運動に贈られた。
長良川の生命線である汽水域(川の水と海の水の交わるところ)を巨大なダムにしてしまえば、森・川・海と連なる生命体が断ち切られてしまう。
長良川が全国の川の「象徴」として問われているならば、”森の哲学者”が応援しようと思われてのことだった。

今、北海道から始まった漁業従事者の植林運動は、全国の漁業者へ飛び火すると共に、様々な展開を広げている。
例えば、漁業者だけではなく、河口の市民や都市生活者も、「海のため森への植林」という視点で森へ向かうようになったし、また漁業者は、森へ向かうだけでなく川へも目を向けだした。

森へいくら木を植えても、川が健康でなければ森の養分は海まで届かないからだ。
まだまだ少ないが、ダムや河口堰など川にとってはマイナス要素となっている人工建造物へも、漁師さんたちの目は向き始めている。

私は「海」は「自らの力で生き延びた」と思っている。
中山間地域から都市への長年の人口流出で林業はもう後のないところまで追いつめられ、水質汚染とダムの出現で川漁師もほとんど廃業に追い込まれた中で、「海」だけはなんとか「残った」。
それは、「海」が、外海への広がりを持っていたからだろう。

そして、「海」が「森」を守る時代へ、いまや突入している。
我が国が、四方を海に囲まれる国であるからこそ、このことは重要であろう。

すべての市民、代議士、行政、第三次産業従事者、ジャーナリズムは、21世紀を目前にした今こそ、海の第一次産業従事者のこの壮大な闘いを応援しよう。

私は次のようなくくりのネットワークを、森・川・海にかかわるすべての人々に提案したい。
1つめは、海への養分供給と治水の要である森の第一次産業従事者たる林業家(それはすなわち里の農家でもある)と森林組合、遊水池としての機能を持つ田んぼを守る農家とそれにかかわる農協、川漁師とその組合、海の漁師とその組合の、総合的なネットワーク。

2つめは、1本の川を流域とする行政のネットワーク。
3つめは、これらにかかわる官庁、すなわち林野庁、農林水産省、水産省、環境庁、建設省などのネットワーク。
4つめは、林業、農業、(川と海の)漁業からの恵みを受け取る流域および流域外の消費者たる都市生活者の「安全な食を提供してくれる第一次産業への応援」のネットワーク。
そして5つめが、これらの横断的なネットワークだ。

私たちは、すべてに優先して、このネットワークづくりを急ごう。
これこそが私たちの「21世紀の子供たちへの、森・川・海からの贈り物」だからだ。
あなたの愛する人に、ぜひこの提案を広めてほしい。

執筆者:柳沼武彦(やぎぬまたけひこ)
1940年、福島県船引町に生まれ、北海道で育つ。北海道学園大学経済学部卒業。現在、北海道指導漁業協同組合連合会環境部長。
1988年、北海道漁婦連が始めた「お魚を殖やす植樹運動」の仕掛け人的存在として、最初からこの運動を指導。
北の海に再びニシンが群来(くきる)のを夢見て「百年かけて百年前の自然の浜を」掲げ植樹運動を続ける。
/著書に「木を植えて魚を殖やす」家の光協会/共著に「森と海とマチを結ぶ」北斗出版などがある。
※1997年共著『海からの贈り物』発刊当時のデータです。

 

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