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皆さま、
おは・こんにち・ばんは。

ここ数ヶ月、地域外の方々とのやり取りが増えています。

今のところ、好意的なメッセージのやり取りばかり。
くぅぅ〜(笑)  この綱渡り感..(笑)





SNS等で、小岩川の独特な習俗・岩川大工・寺史(西光寺)の発信に注力している現在。





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私は副住のポジションですが..代を継いだら、実現させたい寺院の姿があります。

(私が生きている間に実現できるかわかりませんが)

目指しているのは、僧侶が生きるための寺院ではありません。





話の結論から申し上げますと..

①檀家制度の見直し

②郷土史の生き証人として在り続ける寺





本日の記事は、

①→②の順で展開していきますウインク




(↑2019年まで存在した秋葉堂)





 ​①.檀家(寺檀)制度の見直し




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書籍やPC・スマホ..。

誰もが一定の知恵を付けることが出来る時代です。

このような時代において、寺院の在るべき姿とは?




けれど現実は、

綺麗事ばかりではありません。





寺院と業者の癒着..。

集客まがいの宣伝も見かけます。





僧侶は職業化してるよ。

仏事にお金を掛けるなんてアホらしい..。意味を感じない。

永代供養しといて、さっさとお終いにしよっと。

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と社会から軽蔑される始末..ショボーン






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仕方のない事情はあります。
寺院を護る"責任"があるから。

ただ..度を越してないか?

寺院はセレモニーホールなのか?






僧侶本来の務めより、

寺院管理に追われる実態..。






まるで、

新規の顧客獲得を目指すような布教..。


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問題の根本から目を背け、理想ばかりを言い続けるのか?







以前の記事↓でも触れましたが..






私は、小岩川の僧侶になるため・西光寺を継ぐためのキャリアを歩んできた人間です。







しかし..現実に違和感、

将来に不安を感じることばかりでした。







そんな中..






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ネットサーフィンしていたら、↑の無料記事が..。

檀家制度の廃止へ舵を切った、曹洞宗寺院があるというのです。






檀家制度は、

過去の記事でも触れました↓

(厳密に言えば、手形は"寺請制度"によりますが..)






『檀家制度』を大雑把に言うと..






江戸時代に、戸籍の把握叛乱分子の摘発を意図し、確立されたのが始まり。

(間違ってたらスミマセン🙇)






そして、

檀家制度により定着した"檀家数"の概念。






檀家数は、その軒数に応じて寺院の"格"を示す指標の一つにもなっています。






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生臭い話ですが、檀家数の増減は寺院存続の判断基準となっています。

寺院の安定的な運営を可能にした制度でありましたが..

同時に、寺院は"持病"を抱えたのだと思います。




(↑西光寺.龍王殿)






西光寺は、類稀な歴史があっても

小さな寺院には違いありません。





まして、

小岩川は一歩ずつ限界集落へ向かっています。





檀家数の減少→各家の負担僧


檀家数の激減→寺院消滅





または、

集落の消滅=寺院消滅





檀家制度に縛られ、

檀家制度によって追い詰められる。





これが、

想定される西光寺の末路です。





↑だいぶ苦労されたようです






「裏切り者」..ですか。

どっちが裏切り者なんだか..。




それが寺院のみならず、

社会にとって良いことでも、

出る杭は打つ諸先輩方。





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叶うなら..話をお聞きしたいです。

注意点は、見性院さまと私が目指す寺院像は異なっていること。

ただ..寺院にもランニングコストはあります。

寺の維持に必要な資金の確保、集落の状況に西光寺が左右されない仕組みを作りたいです。





かといって..

過去・現在の檀家さん達が、バカをみるような仕組みはダメ。












先人たちは間違っていた..と、否定から始まるような仕組みは虚しくなるだけ。







現住職が健在なうちに..。副住職のうちに..。

学べる場所へ赴き、学んで参ります。









 ​②郷土史の生き証人として在り続ける寺



(↑桁下に単体で掲げられた力士像)





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知る人ぞ知る..岩川大工の遺産、
『西光寺本堂(1832再建)

仮に..集落が消滅しても、郷土史の生き証人として在り続ける寺。



目指す寺院像..。




①でも触れた檀家制度は、

大きな障害になります。




(↑善寶寺羅漢堂と一対の彫刻)





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先人たちが、どのような想いで西光寺をつくり上げていったのか。

調べ上げた過程で、先人の気持ちに触れました。

知りながら無視できるほど、私は強くありません。






いずれ小岩川が消滅しても、





「昔..ここには小岩川という集落があって、こんな人たちが生きていたんだよ?」





と後世へ伝わるように。



(↑記録にない旧西光寺の推定地)




100年後..

どんな姿になっているのでしょうかショボーン





森供養も、即身仏の供養も、

法要前の本堂の賑わいも、




遠い昔の話になっているのでしょうか..。

誰にもわかりません。







私の代で寺を潰してしまうのではないか?

方向性は間違っていないか?






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「判断に困ったときは、僧侶として残された最善の実行を取るように」..だっけかキョロキョロ

独りよがりはダメだな。





と、修行寺で聞いた言葉を思い出しつつキョロキョロ




(↑旧西光寺の僅かな痕跡)