SNS等で、小岩川の独特な習俗・岩川大工・寺史(西光寺)の発信に注力している現在。
話の結論から申し上げますと..
①檀家制度の見直し
②郷土史の生き証人として在り続ける寺
本日の記事は、
①→②の順で展開していきます
①.檀家(寺檀)制度の見直し
けれど現実は、
綺麗事ばかりではありません。
寺院と業者の癒着..。
集客まがいの宣伝も見かけます。
と社会から軽蔑される始末..
僧侶本来の務めより、
寺院管理に追われる実態..。
まるで、
新規の顧客獲得を目指すような布教..。
以前の記事↓でも触れましたが..
私は、小岩川の僧侶になるため・西光寺を継ぐためのキャリアを歩んできた人間です。
しかし..現実に違和感、
将来に不安を感じることばかりでした。
そんな中..
檀家制度は、
過去の記事でも触れました↓
(厳密に言えば、手形は"寺請制度"によりますが..)
『檀家制度』を大雑把に言うと..
江戸時代に、戸籍の把握・叛乱分子の摘発を意図し、確立されたのが始まり。
(間違ってたらスミマセン🙇)
そして、
檀家制度により定着した"檀家数"の概念。
檀家数は、その軒数に応じて寺院の"格"を示す指標の一つにもなっています。
西光寺は、類稀な歴史があっても
小さな寺院には違いありません。
まして、
小岩川は一歩ずつ限界集落へ向かっています。
檀家数の減少→各家の負担僧
檀家数の激減→寺院消滅
または、
集落の消滅=寺院消滅
檀家制度に縛られ、
檀家制度によって追い詰められる。
これが、
想定される西光寺の末路です。
↑だいぶ苦労されたようです。
「裏切り者」..ですか。
どっちが裏切り者なんだか..。
それが寺院のみならず、
社会にとって良いことでも、
出る杭は打つ諸先輩方。
注意点は、見性院さまと私が目指す寺院像は異なっていること。
ただ..寺院にもランニングコストはあります。
寺の維持に必要な資金の確保、集落の状況に西光寺が左右されない仕組みを作りたいです。
かといって..
過去・現在の檀家さん達が、バカをみるような仕組みはダメ。
先人たちは間違っていた..と、否定から始まるような仕組みは虚しくなるだけ。
現住職が健在なうちに..。副住職のうちに..。
学べる場所へ赴き、学んで参ります。
②郷土史の生き証人として在り続ける寺
(↑桁下に単体で掲げられた力士像)
目指す寺院像..。
①でも触れた檀家制度は、
大きな障害になります。
(↑善寶寺羅漢堂と一対の彫刻)
いずれ小岩川が消滅しても、
「昔..ここには小岩川という集落があって、こんな人たちが生きていたんだよ?」
と後世へ伝わるように。
100年後..
どんな姿になっているのでしょうか
森供養も、即身仏の供養も、
法要前の本堂の賑わいも、
遠い昔の話になっているのでしょうか..。
誰にもわかりません。
私の代で寺を潰してしまうのではないか?
方向性は間違っていないか?
と、修行寺で聞いた言葉を思い出しつつ
(↑旧西光寺の僅かな痕跡)