押し寄せる「高崎」vol.1 | アリスのStone Partyのあとで

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イラスト Keiko Nakabachi
※イラスト、画像の無断使用は堅くお断りさせて頂きます。


少し前のことになりますが
あまりにも繋がり、押し寄せてきたので
数回に分けて書きます
去年の4月、コロナが収束したら
「高崎に行く!」
とブログに書きました
その私と高崎について〜

しかしながらなかなかコロナは収束せず
私も半ば諦めというか
「仕方ないよね」
という気持ちで
忘れていることがほとんど


不意に先日、息子が
「高崎行きたいんだよね?」
と誘ってくれました
暫く迷いましたが
車で行くということ
お城は外、お寺もお参りするだけ
というところで
訪ねることに決めました


向かうにあたり
勉強しなくてはと
がむしゃらに調べまくり( ›_‹ )
当時の高崎城
現在の地図に当てはめた図など探し出し
(著作権などの問題で載せられませんが)
見てみると
私が産まれた、国立高崎病院は
(現在は、高崎総合医療センター)
高崎城の敷地内に入っておりました...

何故ここまで私が高崎城に拘るかというと
高崎城は私の遠縁の血筋である
井伊家、井伊直政が廃城になった
旧和田城を改修して築城した城だからです

大河の直虎が始まる少し前から
何かと驚く程に出てくる「井伊」に
驚きと怖さ、まさかーという気持ちがあり
耳を塞ぎたくなったりしましたが
浜松の井伊谷に行ったり
(井伊谷城址からの画像)
井伊直弼公が襲撃された
桜田門へ行ったり
お墓のある豪徳寺に行ったり

そうしたことをしているうちに
あれだけ頻発していた「井伊」は
本当に出てこなくなりました
ホッと胸を撫で下ろしたものです

ここで出る?とは
と思われるかも知れませんね
例えば
テレビをつけた途端に
井伊の特集のことを取り上げている
電車に乗り、たまたま立った目の前に
井伊の記事がある
書店でたまたま開いた雑誌のページに
井伊記述がある
桜田門では父の実家の
町内老人会の方々が見学にいらしていたり
巡る間にも様々な偶然や発見があったり
こうした所でしょうか
そんなことが頻繁に出てきます

計画していた工程を終え
これで終わりだと
安心しきっておりましたが
数年後に、「高崎」というワードが
出てくるようになり
高崎で産まれた私は、何かあるのか?
とぼんやり思い始めました
高崎には城がある!
それをググると
井伊がまたもや出てきました
井伊直政が築城した城であると...
その地で私は生まれたのかーーーと
核心には触れないようにか?
本当に分からなかったのか?
自分でも定かではありませんが
そんなぼんやり気味であったと思います
今思えば父方の血筋の繋がりの井伊家
母方の実家近くの高崎
これだけでも不思議な事なのですが


ある時、無性に気になり始めたのが
「私の産まれた病院
昔はどんな所だったのだろう?」
この疑問でした
本当に不意に突然に
この疑問が湧き上がる
何故ここに行き着いたのかはわかりません
調べると、国立高崎病院は
高崎城の敷地内であった
ということが分かりました
これを知った時には
「こんなことある?????」
ということと
「大変なことを知ってしまった」
ということでした

知ってしまったら
知らんぷり出来ないということは
学習してきました
いえ、させられました(笑)
「これは高崎に行かねばなるまいな」
という所に行き着き
息子がこのタイミングで
誘ってくれたのにも意味があるということ
また先日のブログにも書きましたが
夏至を境に運気が変わり
変化の時であるということも
高崎行きに拍車をかけました
私にとっては
「この機会を逃してはいけない」
という結論に至りました

今回は決意に至るまでの序章
次回は実際に訪れた高崎城など
ご紹介致します