【小説】黒色の彼女
俺んちは貸家だ。
たぶん勘違いするだろうから先に言っておくけど、俺が現在住んでいる家は貸家ではない。
法的には俺の所有物だし、部屋数も結構ある立派な一軒家だ。
けれど貸家。俺が人に貸しているから貸屋だ。間違ってないだろ、たぶん。
つまり俺は大家ってことだ。家に住んでる店子から毎月家賃も貰っている。
………月二千円だけど。
なんで俺が普通の一軒家で、しかも格安で貸家なんてしてるのか。
ただの趣味?違うね、俺はそんなに酔狂ではない。
かといって深い理由もないけど。ただのなりゆきだ。主体性がない人間だと死んだ父親にもよく言われたものだ。
だけど
だけど一つだけ理由があるとしたら
俺はきっと家族が欲しかったのだ。
※※※※※
「ココア、飲む?」
その日は曇りだった。
どんよりとした気持ち良くない天気。2月半ばの冬まっただ中でこの天気だ。寒がりの俺には何枚着込んでも殺人的な寒さを感じる。指先がかじかんで感覚がない。手袋してくればよかった。二枚重ねした軍手でも可。
鬼のように何枚も重ね着している俺でも凍えそうなのだ。
俺の目の前にいる少女が寒くないはずがないだろう。
たとえ、俺が人より寒がりだということを考慮しても、だ。
その少女はセーラー服を着ていた。マフラーやコートなどの防寒具は一切身につけていない。
短いスカートから覗く素足は病的に真っ白で、寒さのためだろう赤く色づいた膝小僧だけが痛々しく浮いていた。
この子は何時間も何してんだろう……
駅前の小さな広場。冬場は水の張ってない噴水にその女の子は腰かけていた
かれこれ2時間はそこにいるのだ。あんな格好で寒くないのだろうか。寒がりの俺には全く理解できないね。
え?なんでその子が2時間も座っているってわかるかだって?
そりゃ、ずっと見てたからさ。
別に俺はこのセーラー少女のストーカーなわけじゃない。少しかわいいから鼻の下を伸ばしてずっと見ていたわけでもない。あくまでもチラ見してただけだからな。
俺は広場の前のドトールに二時間ほどいたのだ。だから彼女が少なくとも二時間は噴水前に座っていたってわかるわけ。
俺が席についた時にはもういたから、もしかしたら二時間以上座っているのかもしれない。
大学が終わって地元の駅に着いた俺は、今日出された音声学の課題を片付けるために駅前のドトールに寄ったのだ。家じゃ騒がしくてなかなか手に付かないんだ。
最初はまったく彼女のことを気にしていなかった。
一番安いティー(210円)を買い、灰皿を取ってきた俺はいつもの窓際の席に座る。
窓の向こうには駅前の公園が広がり、真正面に噴水が見えた。
この時初めてその少女を発見したのだが、彼氏と待ち合わせしてんのかなぐらいに考えて、すぐに視界から外してしまった。
今日配られたレジュメとにらめっこすること三十分。一息つくために残り二本のセブンスターに火をつけた俺はなんとなしに窓際に目を向けた。
もう、わかるだろ?その女の子はまだ噴水前に座っていたわけだ。
季節は真冬。さっきも言った通り今日はかなり寒い。セーラー服一枚であんな場所に長時間もいたらあきらかに凍えちまうだろう。俺だったら確実に死ぬね。10分でも手足の細胞が壊死しちまう。
あ、別に俺に女子用の制服で外を歩く趣味があるわけじゃないからあしからず。
それから俺は彼女が気になってしまった。俺の脳内CPUは女の子70パーセント、課題30パーセントの割合に変化。明らかに作業効率の低下だ。
よく見てみると彼女はぼーっと曇り空を見つめていた。その瞳には何も映していないように思える。むしろ何かを吸いこもうとしているかのように真っ黒だった。
腰まである長い黒髪は、風に揺られてぱらぱらと揺れている。彼女の細い体はそのまま風に攫われてしまいそうなほど頼りなかったし、そこらのカラスよりも黒い髪の包まれて消えてしまいそうな儚い雰囲気を持っていた。
何もない黒。存在しているだけで全てを飲み込んでしまう漆黒。けれどそのまま自分さえものみこんでしまいそうな黒色。
俺も課題を忘れて、吸い込まれるように彼女を見つめてしまった。
それから、十分経ち、二十分経ち、ドトールに入ってから二時間経った頃、俺は荷物を片付け席を立った。
課題はまだ完成してないし、少ししか吸わなかったタバコも灰皿の上で真っ白な灰に変わっている。
俺はレジで持ち帰りのココアを買って、店を出たのだった。
そのまま自然と足は噴水前に向かう。ブラックホールに吸い込まれるようにふらふらと黒い彼女に引き寄せられていく。
気づくと俺はショートサイズのココアを掲げ、女の子に声をかけていた。
「ココア、飲む?」
※※※※※