今まで言えんかった本当の事。博多Life、木元 | 博多Lifeの人のブログ

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もしかしたら書かん方が良かったかも知れんけど、本当の事を書いた。

長文やけど時間がある人、最後まで読んで欲しい。


2年ちょい前、

高校を卒業して

BIGになるという馬鹿げた夢をみて福岡から一人で上京した。
友達に「BIGになって帰ってくるから見とけようんこ」
とかありきたりな言葉を言って東京に飛び立った。笑


人生初の東京だから
お金も、友達も、人脈も何もなかった。

実際、
東京に来たものの
何から始めればいいのか、何をすればいいのか
全然分からんかった。


そんな俺に出来るものはイベントぐらいしかなかった。



周りにイベントをやっている人がおらんかったけん
わけもわからず自分なりに最初のイベントをやってみた。

結果は大失敗。
お客さんなんて50人もこなかった。

めっちゃ悔しかったのを今でも覚えてる。

15万円も赤字になった。


でも負けず嫌いな俺は
その後も諦めずに何度も何度もイベントに挑戦した。

けど何回も何回も失敗した、

毎回のように失敗した。

借金もした。

怖い人からお金を借りないといけない状態まで追いつめられた時もあった。

気がつけば130万円も借金してた。

今だから言えるけど、
正直、家賃や光熱費を払えないなんてもんじゃなかった。
1本のタバコを3回に分けて吸ってたり、
白ご飯にマヨネーズをかけて食ってたりしてた、、


メンタルが強い自身があったけど
さすがに
飯が食えなかったり、
ガスを止められたりした時には、

「なんでこんな事になったんだろう」とか
「もうダメかもしれない」とか
思う日もあった。

そんな情けない姿をみんなには見せられず、
必死に隠していた。
「調子どお?」って聞かれても
『もちろん絶好調だよ』と無理矢理答えてた。

もうただの意地でしかなかった。

何の為に東京に来たのか
このまま負けっぱなしでいいのか
たった一度でも勝たないと。

そう自分を奮い立たせ、
ガムシャラにがんばり続けた、

失敗しても「次こそは、次こそは、、、」と自分に言い聞かせた。


諦めずにイベントをやってもやっても、


地元の友達には
「くだらない」と笑われ

家族には
「もっとまともな事をしろ」と言われ

仲間にも
「まだやるの?」と言われてた。



それでもやり続けた。


みんなが遊んでる時に行動し

みんなが寝てる時間にビジネスの勉強し続けた。


そうやって頑張り続けて上京から一年間がたった。

失敗したら闇金に行く覚悟で
総経費500万円かけて
ゼップ東京でイベントに挑戦してみた。


結果は大成功、

上京してたった一年しかたってない田舎者の俺が東京で当時一番のイベントを作った。

気がついたらたくさんの仲間や先輩、後輩がまわりにいて、

応援者が増えるにつれ、
有名になり、いつの間にか日本1とまで言われるようになった。


気がついたら
俺が、今までしてきた数々の
「失敗」は
「経験」と呼ばれるようになっていた。


たった1度でも上手くいけば
今までの全ての失敗や努力が報われる事を感じた。

それと同時にあらゆる人に感謝した。


失敗ばかりしていた時は
誰かに感謝する気持ちなんて芽生えなかったけど

成功すると「あの人のおかげで」
「あいつがいてくれたから」とそういった気持ちが自然に出て来た。

そう感じたとき

東京には刺激を与えてくれる人や、
キッカケを作ってくれる人、
いろんなことを教えてくれる先輩、
いつも張り合ってくるライバル、
支えてくれる仲間達がたくさんいたと思った。


俺の地元福岡には正直そういう人達は少ないじゃないか。

そういう人に、たった一人にでも
出会えただけで人生は大きく変わる、、、

おごりかも知れんけど、
今の俺なら少しは何か影響を与えられるんじゃないか。

そう思って岩田と文平で話しあってちょうど
去年の今頃、福岡に3人で帰ってきた。


福岡に帰ってきて
株式会社PARISTを立ち上げ、
「BAR PariS」を出店して
「博多Life」というイベントを立ち上げた。


「博多Life」という巨大なムーブメントを作り上げたい。
その思いで、仲間を集めて動きだした。

正直、最初は福岡の人達にめちゃくちゃ叩かれた。
「怪しい」だの「宗教団体」だの
「ネズミ講」だのTwitterに書かれていた。

その他にもいろんな人から
「福岡でそんなデカいイベント成功する訳ないよ」
「絶対に失敗するから関わらない方が、、、」

と言われていた。

でも今まで
もうさんざん失敗して来たから
そんな言葉を聞いてイヤな気持ちになんてならなかった。

そんな事を言っている人達を飛び上がらせる程、大成功させようとしか思わなかった。

そしてガムシャラに頑張り
去年の10月25日に博多Life、第一回目を大成功させた。

その調子でガンガンイベントをやり続けた。

福岡で記録を更新し続けた。
日に日に仲間が増えて
慕ってくれる人が増えて
みんなが独立していき
団体が増えて
きっと少しはいい影響を福岡に与えられたんじゃないかなって思っていた。


しかし、ある日気がついた。

今、俺は全力で戦っているのだろうか。

いつの間にか、成功する事が当たり前になっていた。

本当に今出来る限りの最大の挑戦をしてない、だから失敗もない。
という事に。


1人で東京に行って、誰も相手にしてくれない中、
毎日毎日自分を売る為に、
体が引きちぎれる程、頑張っていた頃の気持ちを忘れていた。


本当に凄まじいムーブメントを起こし、
いい影響をあたえたいなら、

俺自身がリスクを恐れずにもっともっと挑戦して
もっと自分を追いつめ、
もっともっとデカイことをしないといけないと思った。


その日からまた動きだした。

けれども出る杭は打たれた。

デカイ会場に話に行ってもこんな若造が何が出来るのだと
門前払いをくらった

何回も何回も話しにいった。
けど誰も話すらまともに聞いてくれなかった。

強い協力者がいないとデカいところでイベントは出来ないことを理解した。

その協力者を探すため、日本中を飛びまわった。

やっと強い協力者を見つけた、と思ったらその人はタダの詐欺師だったこともあった。
むしろそんな事の繰り返しだった。

自分のミスや詐欺などをあわせておそらく700万円近く失った。

自分の財産どころか会社の全財産まで失った。
というよりまた借金までした。

正直、
もうイベントすら出来ない状態まで経営困難になったこともあった。

そのせいで会社の人や付いてきてくれている人達に何回も何回も迷惑かけた。

給料をまともに払えない状態の時もあった。
最初6人で会社始めた会社だったが
結局は元の3人に戻ってしまった。


あの時、騙されさえしなければ、、、
あんなミスしなければ
と何度も何度も後悔した。


けど、やはりこのまま終われない。

どうしても諦められないからそれでも毎日毎日協力者を探し続けた、

お金がないから
東京に協力者が見つかりそうな時は
ヒッチハイクで東京まで行ったりしていた。

そして
ついに
やっと本当に本物の協力者達が見つかった。

こんなクソガキに協力してくれる事に感謝しかない。

この期待を絶対に裏切れない。


何回も何回も話し合いをして、

あの有名アーティストのライブや巨大ファッションショーが行われている
国際センターで「博多Life」を開催する事が決定した。

経費は何千万円とかかる。

いや、お金の問題ではなく、絶対に成功させなければならない。

本当に人生をかけた大勝負。

リスクを背負う価値があると思っている。

2年前、高校を卒業して
何もない、口だけのヤツが、

ここまできんだ。

一番最初はたった50人も呼べんかったようなやつでも
頑張り続けたら
ついに国際センターまでたどり着いたんだ。

やっと言っていた事が実現しつつある。

協力してくれる方々や
応援してくれる人達、
そして声をかけて集まってくれたオーガナイザーのみんな、、

1万人規模という西日本最大級のハロウィンパーティーを
若者で創り上げるという伝説を作り上げ

歴史に足跡を残したい。

体がはち切れるほど頑張れる事なんて人生で何度も来ない。

どんなことが起きても、絶対に諦めん。


全く関係ないかもしれないけど
これを見てくれている人も本当に応援して欲しい。



約2ヶ月後の10月25日。

博多Life@BIGハロウィン


この日、何かがおこる。




博多Life最高責任者、木元駿之介。