私は豚となって楽しむより、人となって悲しみたい | ゆるゆるピアノ日記

ゆるゆるピアノ日記

しょうがいがあってもなくても音楽楽しもう♪
福岡県春日市在住。
ピアノ弾き花崎望のブログです。

俺は身分不相応の願望を持ちながらも努力を怠って安穏な日々を過ごそうとする奴らが嫌いだ。
あわよくば、という考えは好きじゃねえ



最近、大好きで大好きで何度も読み返している
某作家さんの作品中の言葉
くぅうう好き!!
もう何度も読んでいるのに情熱的に好き!!!


あいつら、くたばった方が良いっていう奴らと結構まともな奴の二種類らしいぜ。
それで、結構まともな奴っていうのは美男美女が多いんだって。
性格って顔に出るんだなぁって



これもこれも!!!同じ作家さんの言葉
あぁああ〜もうもう大好き!!
そうそう、生まれつきの美醜ではなくて
人間、性格って顔に出るよなぁ〜って
40すぎたら特に気をつけていかないと、と笑
この間も友人と話してたんだよねぇ


(美しい美猫♡ちふさま)


しょうがいがあろうとなかろうと
子どもを育てるということに
責任があるとされる親御さんは
色んな思いをお持ちだと思います

ちゃんと生きますように
人に迷惑をかけませんように
世間に嫌われませんように
ちゃんと、人に、世間に

それも確かに間違ってはないのでしょうけども

ただ個人的な感想を述べさせていただくとですね
長所は短所
短所は長所

例えばですが
私、個人的な特徴としまして
『声が大きい』というのがあります

幼少時から意識していないのですが
私は声がどうも大きすぎるらしいのです

ということは
良い方向で捉えると
元気がある、明るい
ですが
悪い方向で捉えると
うるさい、無駄に目立つ

だいたい、0か100かの生き方な私は
(それでも大人になって中庸を目指す
バランスをとる意識はしているのですよ)
幼少時からとーっても褒められるか
とーっても嫌われるかのどちらかでした

で、どうもこの存在感のうるささは
集団での仕事には向いていないと
学生の時分に悟るわけです
どう考えても
自分が学校のような集団の中で
これから先生きていく姿は想像がつかない

では自分に何があるのだろうと考えた時に
今思えばその時分、箸にも棒にも
かからない状態であったにもかかわらず
自分が続けてきたと言えるものは
ピアノしか音楽しかなかった
自然と目の前にあったもの
ただそれだけ
(余談ながらその時に私は生まれて初めて続けさせてくれていた親に感謝しました)

で、いざこの仕事が始まってみると
声が大きいのはなんという長所!!
ピアノの音がなる横で
子どもと歌い喋るこのお仕事は
私にとって今はもう天職


(声の大きい花太郎くん)


性格でいうと、私の特徴はおそらく
嘘をつかない、お腹とお口がつながっているので
はっきりとまっすぐに思ったことを言う


時に、言葉はナイフで気をつけなくては
と思っていても
人を思いもがけずに傷つけることがあります
ですが
決して嘘をつかない(つけない)私のことを
知ってくださった方たちからは
絶対的な信頼をいただけると自負しております


これも、きっと普通の大人の社会で生きていくなら
率直すぎることは時に仇になることでしょうが
正直まっすぐな子どもたちと過ごす
私のこのお仕事にとってはもう宝物のようなものです


『ちゃんとした』周囲の『大人』からはいつも
なぜ普通のことが『きちんと』できないのかと
心配され叱られ育ってきた私は
いつも自分が悪いのだろうか
そんなに自分には価値がないのだろうかと
不全感に苦しんだ時もありましたが
今になって思うことは
短所を消すということは
長所もなくなるということではないかと
それであれば
苦しんで矯正して整えていく努力よりも
自分がそのままでも輝ける場所を探し
どの場所に自分の特性を知って身を置くか
それだけのような気がします


海で生きる魚を陸にあげてどんなに頑張れと
呼吸の仕方を教えたところで生きてはいけないし
人間にどんなに頑張れとたとえ人工の翼を与えたとしても
鳥のようにはお空は飛べないのです


もしかしたら、いつまでも不平と不満と心配を
口にする日々を送っている人がいたとしたら
その人は、海に空に山に、もしかしたら宇宙に
自分のいるべき居場所を探すだけなのかもしれません


(朝起きたら横に寝ていた婆様ニャンコのまひさま)


大人ができることは
正しく子どもを矯正することではなく
その子のありのままをまっすぐ見つめ
そのままで輝ける場所を探し
その場所があることを伝え地図を渡すことだけ
(時に自分で地図を探す子もいることでしょう)
なんじゃあないかなぁと最近思います


地図を見て歩いて行くのは本人しかできないのですから


そして自分がそのままでも認められる場所に来れば
地図さえあれば目的地さえわかれば
人間、誰に強制されずとも
自然と勉強し学び頑張りたいと思うものです
そこには年齢や実力や財力や社会的地位は一切関係ない

もし地図を手に入れても気力体力がないくらいに
一時期の昔の私のように不全感で
ペチャンコになっているとしたら
それは前には進めないことでしょう
ですがそれはあまりにも勿体無い
せっかく神様から頂いた個性という宝があるのに
それこそ宝の持ち腐れというもの

そして、人生における宝は
良い悪いの判断ではなく
ある人にとっては金銀財宝でしょうが
ある人にとってはコップ一杯のお水でしょう

それすらも自分を知らないと
誰かが作り出したものを
幸せと勘違いさせられ
いつまでも手に入らない青い鳥を追い求めて
いつまでも手に入らないと嘆く人生となってしまうような・・・


うわぁああああそんな生き方いやや!!


私がいつも思う大人の役割は
子どもを信じ、時に子どもが何か
未熟な間違いを犯した時には
その子を責めずにその子の前で
頭をさげること

子どもの役割って
自分を信じ、何か困難なことが起こった時や
失敗した時に、一瞬落ち込んだとしても
また情熱を持って諦めずに
前を向き歩み続けること

ただそれだけだと思うなぁ

ピアノなんて弾かなくても生きていけるって〜^^
でも音楽が身近にあったらとっても豊かな人生やと思うなぁ

私は豚となって楽しむより、人となって悲しみたい
ソクラテス大先生のなんと大きなお言葉


(我が家の子豚笑うなぎちゃん)

家畜の安寧、嗤う豚・・ひゃ〜恐怖!!
私は心臓の捧げ方は知ってます笑