人民弁理士今日も行く

人民弁理士今日も行く

Aujourd'hui comme hier. Demain comme aujourd'hui...

本当に久しぶりに、しかも本業とは無関係なことで投稿します。

 

先日、特段手術を受けずに戸籍上の性別を男性から女性への変更を認める裁判例があったようです。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240710/k10014507081000.html

この裁判例に対しては、そう言ったことを認めると、男の体で性的自認が女性であることで、女性風呂への入浴が認められたりする等の弊害を挙げて反対される意見がネット上で見られました。

実際に、そのような事件は既に起きているようです。

https://www.tokai-tv.com/tokainews/feature/article_20240130_32493

 

まあ、そのことの是非について、個人的な意見は差し控えますが、非常に奇妙に感じるのは、(見る限りでは)そのような意見を述べる方が、男性か、女性としても保守系と呼ばれる特定の層が殆どであることです。

 

男の体で女性風呂に入られて、最も不利益を被るのは女性でしょうに、なぜ当の女性より男性の声の方が大きいのでしょうか。

 

いやいや、女性は声を上げにくいから代わりに男が言ってるんだとの反論もあるかも知れません。

では、これまでもそうでしたか?影響力のある男性が、少しでも女性蔑視との疑義を招く発言をすると、蜂の巣を突いたような騒ぎになってましたよね。

 

もし、そのような発言に声を上げていた女性達が、本当に正義からであったならば、冒頭の性的自認女性の入浴問題だって、(問題と感じているとしたら)声高に主張していますよね。

しかしながら、そう言った人達からは反論の声は聞こえない。

 

と言うことは、当の女性達は、あまり気にしていないんじゃないですか。

 

だったら、普通に(そう言ったジェンダー的な問題を抱えていない)男からしたら、直接には関係がないことなんですから、放っておけばいいじゃないですか。

 

このこととは無関係ですが、若い頃、自分は男性間ではウケが良くても、女性ウケしないと勝手に思い込んでしまったことがあります。

なぜならば、周囲の連中が、そのようにからかうために、自分でもそう思うようになってしまっていたためのようです。


しかし、それから暫くして、ある程度の社会経験を積んでから振り返ってみると、モテたかどうかはともかくとして、少なくとも、そんなことは全くなかったと言うこと。

 

結局のところ、自身の承認欲求を満たすために自分を下に置いておきたかった男連中と、それに媚びる一部の女連中により作り上げられたイメージだったのであり、冷静に考えれば、寧ろ、そういう連中に比べたら自分の方がマシだったのです。

この問題に関しても、声を上げる層が被っているフシはあったので、そのようなことを思った次第です。