自分の努力ではどうしようもない事。
そんな事が生きていると遭遇する事があります。
自分はそういった場面には
「運命」と言う言葉が合うのかなと思います。
辞書に載っている「運命」の意味とは違ってきますが、もし自分が辞書に運命の意味を載せるなら
自分の意思とは関係なく、生きとし生けるものに自分の人生を委ねている状態
です。
自分の努力ではどうしようもない状態です。
この自分の「運命」の話を聞いた上で、今回の記事で伝えたい事は
この世界は全てが繋がっているということです。
今、私たち1人1人が目の前にしている現実は自分1人で作り上げたものでしょうか?
または自分を取り巻く人間関係が作ったのでしょうか?
自分の意見としては
間違いではないけど正解でもない
かなと思います。
なぜならそれは先に述べたように、
この世界は全てが繋がっていると考えるからです。
詳しく言うと
自分が今見ている現実は、
自分と自分以外の生きるものの選択と決断の上で偶然に起こっていると考えるからです。
例えば
Aさんがいつものように自宅から会社へと向かっています。途中コンビニへ寄り買い物をしました。お会計の際、店員がお釣りを間違えたので少し時間がかかりました。コンビニを出て歩いていると友人と偶然会いました。Aさんは会話をしたかったのですが、友人は待ち合わせに遅刻するからと言って挨拶だけをしてその場を去りました。Aさんが横断歩道を渡っていると、上司から急に呼び出されて急ぐあまり信号無視をした車に轢かれてしまいました。
この事故はAさんがその時間に横断歩道を渡っていなければ起きなかったと言い切れるでしょうか?
確かにそうなんですけど、
間違いではないけど正解でもないと思います。
もし店員が素早くレジを終えていたら。
もし知り合いが少しでも会話をしてくれていたら。
もし車の運転手が落ち着いて運転していたら。
この話の登場人物3人のどれか1つでも選択と決断が違っていたらAさんの運命は変わっていました。
もちろん車の運転手が気をつければよかっただけの話ですが、
そうなんですが
Aさんが事故に遭ったのは間違いなくAさんと登場人物3人の選択と決断の上で起こった話です。
もっと言うなら
もしコンビニ店員の採用者が不採用にしていれば。
もし待ち合わせした人が友人の用事を断っていれば。
もし運転手の上司が運転手を呼ぶ事を諦めていたら。
第三者の選択と決断までもが例に出した交通事故とは無関係とは言えなくなってきます。
この選択と決断の流れは今ある現実から過去へ遡り世界をもまたぎ永遠に続きます。
つまり今回出した例からしても、今1人1人が見ている現実は自分だけが作り出したものではなく、過去から現在へとこの世界に生きとし生けるもの、または生きていたものの選択と決断の上に作られています。
私たちは運命に身を委ね生きています。
その運命は、次の瞬間から次の瞬間へと永遠に繰り返されます。
もし今が幸せなら全てに感謝してほしい。
もし今が不幸なら自分だけを責めずに次に期待してほしい。
なにげない自分の選択と決断が隣にいる恋人も遠い異国の他人でさえも、その人の運命に関わっている事を忘れずに。
そして最後に、自分の選択と決断に1番に影響を及ぼすのは自分自身です。
自分の人生を変えるならまずは自分を。
そして世界を変える時もまずは自分を。
なぜならこの世界は全てが繋がっているから。
偶然と言う名の運命の中で現実は回り続け幸も不幸も現れます。
幸せな時は幸せを噛み締めて
不幸の時には次の運命の瞬間に期待したら私たちの現実は今よりも少しだけ明るくなるかもしれません。