これまでたくさんの人に迷惑をかけて生きてきました。



過去を振り返ると若気の至りでは済まされないほどの事もたくさんありました。



友人、元恋人、職場の人、恩人、兄弟、親、家族、妻。



これまで自分に関わってきた全ての人です。



迷惑だけではなく失礼な態度をとったこともたくさんあります。



その時は本当に未熟で自分の事しか見えていませんでした。



根拠もないのに自分が正しいと思い込んでいました。



だけど違った。



間違っていたのは自分だった。と



少しだけあの時より大人になった今、分かりました。



ようやく。



自分は無言で許されていたんだ。と



諦められ、気を使われていたんだ。と



言っても分からないから、自分で気づいてもらうしかないから。



ようやく分かりました。



自分は、これまで出会った人たちにしてしまった無礼の上で生きいます。



生かさせてもらっています。




これは前向きすぎかもしれませんが優しさだと捉えています。



もしかすると本当に見捨てられ口も聞いてくれなかったかもしれない。



だけどそんな事はなかったです。



表面だけでも人と人として付き合ってくれました。



失礼で無礼な人間なのに、その場にいることは許してもらえていた。



きっとそんな自分にもほんの僅かな可能性を信じてもらえてたのかもしれません。



そこに優しさを持ってもらえたから。



そんな優しさの上で今の自分がいます。



今まで迷惑で失礼で無礼な態度をとってしまった人たち1人1人に謝る事は難しい事ですが、



この考えを持たせてくれた今までの人たちの為に、この同じ優しさの形を繋げたいと思いました。



迷惑をかけ迷惑をかけられ本当に大切な事に気づいてもらいます。



人は迷惑をかけるリレーで生きているのかもしれません。



根気はいりますが、自分がそうしてもらえたように無言で、だけど見捨てず許そうと思います。



きっと生きる上で本当に大切な事は人から注意されても身に付かない。



自分自身で気づかなければ意味がない。



いつかの自分のように。



人は誰かの優しさの上で生きている。



感謝しなければならない。



と分かってもらえるように。