【続き】


クラス変更は叶いませんでしたが、


先生方に話を聴いてもらい、


私は少しスッキリしました。




息子にもガス抜きが必要だと思いました。




息子は、うわぁーっと叫んで壁を打ったり、


ダダダダッと地団駄を踏んだり、


問題行動が出ていました。




元々は乱暴なタイプではないのですが、


この頃は、ずいぶん暴れました💦



ああーーっもぅっ と癇癪も多かったです。



うるさい、ほっとけっ


と親の言うことに


いちいち拒否反応も示しました。





以前の私だったら、いいかげんにしなさい!


といさめていたと思います。




でも、ガス抜きをさせた方がいいと思い、


何も言わないようにしました。


おかげで壁に穴があきましたが💦


(今は息子はその穴をポスターで隠しています)





昼間に、怒っているのか、泣いているのか、


息子のウゥーーッという唸り声が聞こえて来て、


私は心配になり、




今息子くんは危機の状態だから、一緒にいよう


と言い、テレビのある夫婦の部屋に誘いました。




すると息子は、


そうだよ、オレは危機なんだよ


と泣きそうな声。



のそのそと布団から出てくると、


それでも素直に私について来ました。



大きな図体をしていても、


まるで傷付いたひな鳥だなと思いました。




危機の時は、1人でいてはいけない、


なるべく家族と一緒にいよう


と昼間は私とテレビを観たり


一緒に過ごすようにしました。




息子くんの危機を招いたのは、家庭の責任だから、


息子くんのせいじゃないから、


と言って慰めました。




その時私は本当は、学校の責任と思っていました。


もし家庭に責任があるなら、


それは、夫と義父だ、私ではない、


そう思っていました。


(今は考えが違います)





でも、学校へ復帰して欲しかったし、


息子の心の負担を軽くしてやりたかったので、


「家庭」という言葉を使いました。


息子はうつむいて、うん、と言いました。






その頃は、1階にいる義父に気兼ねして、


リビングでくつろげなかったので、


2階の夫婦の部屋を少しだけ模様替えをして、


親子のリビングルームとしました。




この小さいリビングで息子と過ごした時間は、


その後の親子の信頼関係構築に


大いに役立ったと思います。




私は介護にかまけて、息子のことを


放ったらかしにしていたので、


息子との時間をじっくり作る覚悟でした。





その頃テレビでよく観ていたのは、


銀魂、勇者ヨシヒコ、M-1グランプリ


アマプラでシリーズ全部観ました。




学校や勉強のことなど忘れて


ゲラゲラヒーっと笑えるものばかりです。




息子が不登校生活で、それ以上落ち込まず、


メンタルが悪化しなかったのは、


このおかげだと、私は思っています(笑)




息子にとって、


私と2人でオヤツを食べながら、


ゲラゲラヒーっと笑う時間が、



学校や勉強のことを考えて不安になったり、


学校であった嫌なことを思い出したり、


そんなマイナスな時間を


大幅に減少させた、


と思っています。





(過去の投稿を編集して再投稿しています。)


【続く】

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