在日米軍:与那国自衛隊問題:[与那国住民投票]実現へ町議会の英断を(沖縄タイムス社説) | 端事些事のブログ

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在日米軍:与那国自衛隊問題:[与那国住民投票]実現へ町議会の英断を(沖縄タイムス社説)


社説:[与那国住民投票]実現へ町議会の英断を(2012年7月26日 10時20分 沖タイ)

 与那国島は、日本の最西端に位置する。台湾までわずか111キロ。石垣市から那覇市までの距離が411キロもあるのに比べると、与那国島と台湾がいかに近いかがわかる

 この島には二つの顔がある。産業基盤が脆弱(ぜいじゃく)で人口減少が著しい「離島」という顔と、領土・領海・経済水域の保全など安全保障上の問題を抱える「国境の島」としての顔である。この島は沖縄本島から遠く離れた「辺境の島」であると同時に、台湾とのつながりを大事にする「交流の島」でもある

 二面的性格を持つこの島が今、自衛隊基地建設をめぐって、揺れに揺れている。

 与那国改革会議(崎原正吉議長)は24日、自衛隊基地建設の是非を問う住民投票の実施を求め、町選挙管理委員会(玉城孝委員長)に対し588人分の署名簿を提出した。

 住民投票条例の制定を直接請求するには、有権者の50分の1の署名が必要だが、提出された署名数は有権者(約1220人)のほぼ2分の1にあたる。

 住民の直接請求に基づいて町側が提出する住民投票条例案について町議会(前西原武三議長)がどう判断するかが次の焦点になる。

 今のところ、議員6人(議長を含む)のうち自衛隊誘致賛成派が過半数を占め、住民投票にも過半数が否定的だ。条例案が可決される可能性は小さいが、町議会は島の約半数の有権者が住民投票を求めている事実を重く受け止めてもらいたい。住民投票は、島の将来を真剣に考えるまたとない機会になるはずだ。

 防衛省の新防衛大綱は、中国の軍備増強の動きに対抗するため「南西地域の防衛態勢の強化」を打ち出している。与那国島には、情報収集、警戒監視を任務とする陸上自衛隊の沿岸監視部隊(100人程度)を常駐させる計画だ。

 2011年7月には、町と防衛省が初の住民説明会を開いた。誘致に向けた動きは着々と進んでいる。

 自衛隊に島の活性化を託す、という考え方は、「国境交流特区構想」が頓挫し、人口減少が止まらない現状を打開するための苦肉の策であるが、島の将来にとって自衛隊誘致がプラスになるかどうかは、冷静で多角的な検討が必要だ。

 100人規模の自衛隊員が常駐するということは、自衛隊が町長選や町議会選に影響力を行使し、町政の方向が自衛隊によって左右されることを意味する。名実ともに「自衛隊の島」になるのである。「自衛隊の島」と「交流の島」は両立できるのだろうか。

 米軍の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの普天間配備と与那国への自衛隊配備は、構図が似ている。外務省・防衛省は、そこに住む人びとの暮らしとは関係なく、軍事上の必要性から、オスプレイ配備や自衛隊配備を主張している―という点だ。

 この主張を安易に受け入れれば沖縄は半永久的に「基地の島」にならざるを得ない軍事衝突によって直接被害を受けるのはそこに住む住民である住民には住民独自の判断があっていい


/*この主張を安易に受け入れれば沖縄は半永久的に「基地の島」にならざるを得ない。軍事衝突によって直接被害を受けるのはそこに住む住民である*/ とある。

俺的な妄想によれば、その意味は、

歴史的に見て、実際の戦争では、「捨て石」にされる事、だろう。

太平洋戦争のとき、沖縄戦は、本土決戦のための、時間稼ぎの「捨て石」と位置づけられた事を忘れてはならない。

沖縄戦 - Wikipedia

沖縄戦は1945年3月26日から始まり、主要な戦闘は沖縄本島で行われ、組織的な戦闘は6月20日ないし6月23日に終了した。アメリカ軍の作戦目的は日本本土攻略のための航空基地・補給基地の確保であった。

日本軍の作戦目的は、大本営がアメリカ軍に大打撃を与えて戦争継続を断念させる決戦を志向したのに対し、現地の第32軍司令部は当時想定されていた本土決戦に向けた時間稼ぎの「捨石作戦]」(持久戦)を意図するという不統一な状況であった。


まあ、当時の大本営は夢を見ていたんだろう。現地の第32軍司令部はおかしくなっていたんだろう。

第32軍はサイパンの戦いなどで失敗した水際防御を避け、ペリリューの戦い・硫黄島の戦いで行われた内陸部に誘い込んでの持久戦を基本方針として戦い、特に首里(現・那覇市の一部)北方で激戦となった。海上では大本営の決戦構想に基づき特別攻撃隊を中心とした日本軍航空部隊が攻撃を繰り返し、戦艦「大和」などの日本海軍残存艦隊と連合軍艦隊の間で海戦が行われたほか、飛行場制圧のため陸軍空挺部隊から抽出されたコマンド部隊も投入した反撃が試みられた。上陸後2ヶ月経った1945年5月末に連合軍は首里を占領し、日本軍は南部に後退したが6月下旬までに組織的戦力を失い、掃討戦は終戦まで続いた


特攻も沖縄戦も、終戦までやらされた。(何のために、誰のために)

個々の気持ちがどうあれ軍隊は命令で動く仕組みだ。


また、『読谷バーチャル平和資料館』の『読谷村のあゆみ』『「怒」1-時間稼ぎの捨石作戦』にはこう有る。

明治政府発足以後の富国強兵の国策により戦時体制に組み込まれた沖縄では、アジア太平洋戦争末期、村内にも多くの村民が動員されて陸軍の北飛行場が建設されました。1945年4月1日、米軍は読谷などの中部西海岸線から上陸し、約3ヶ月もの地上戦を展開しました。それは、住民を巻き込んだ、想像を絶する凄惨な地獄絵図だったのです。沖縄戦は、「時間稼ぎの捨石作戦」でした。その特徴は、「住民犠牲の多さ」と、軍による「住民虐殺」が挙げられます。沖縄戦は、日本本土を守り、国体(天皇を頂点とした国家統治の体制)を守るための時間を稼ぐことを目的とした戦いだったのです。




俺的な妄想によれば、

太平洋戦争中「国防国防」「戦争戦争」とわめいた人間が、本土だけではなく沖縄にもいたはずだ。(今でもいるように)

彼らは、口では勇ましい事を言いながら、結局、沖縄や特攻を「捨て石」にして少しでも生き延びようとしたのである。(でなければ、彼ら自身が真っ先に死んでるはずだ)

その構造は、今でも変わらないだろう。

現状、「国防国防」「軍備軍備」「XXが攻めてくる」と喚くヤツに限って、米軍には頭が上がらないノダ。

「在日米軍出て行け。国防?心配せんでもいい。他の国のように、自分たちで守れるわい」とは言わないノダ。

逆に、彼らは「原発政策」のような横暴な事を、たくさん、一般大衆に対してやっているから、
イザとなったら米軍に自分だけは守ってもらいたいと願っているノダ。