8ヶ月振り...



此れほど、月日が経っていたとは



何度も、指折り月日を数えてみたけれど



やっぱり、8ヶ月振り..



月日はあっという間に過ぎ去ってしうものなのですね





あれからも、色々と落ち着かない日々を送っている中で



ブログを書けば、書くほどに、ネガティブになっていく自分に気がつき



書くことを中止していたのですが



少し、余裕も出てきたこの頃、あの頃を振り返って



また、少しずつ、綴っていこうという気持ちになれました。






私の体調ですが、



血圧の高さに気がつきながらも



我が家では、夫が高血圧症なので




上が200とかの数値に見慣れていることもあり




自分の血圧が高いという認識が麻痺していたことや



忙しさにかまけて、病院へ足を運ばずにいたのですが




心臓に、なんともいえない、鈍痛&激痛に動くことも出来ず



数秒後に、その痛みが、喉元にまで上がり、自分が呼吸できているのか



出来ていないのか解らない感覚に襲われる事が多くなり



こりゃ~さすがにやばいかもと思い始め



病院へ行って来ました




結果としては、重度高血圧症だということでした



心臓の方は、色々な検査をしてみた結果



其の痛みの詳細原因までは解らなかったのですが



心臓自体は、頑丈なようで一安心でした






検査の中で、トレッドミル検査をした時のこと



心臓に痛みは発生しなかったのですが



上の血圧が270を超えそうになり



ドクターストップとなってしまいました



でもですよ、血圧270と言われても



何も身体に違和感がないのですよ



まあ、瞬間血圧なのでそんなものだったのかもしれないのですが



ただ、そのころ、歩いたりすると、頭がぼーっとする原因が



血圧だったのかと解りホッとしたものでした





ホルモンの崩れもなく、更年期障害は出ていないことも解り



今は、降圧剤で治療をしているところなのですが



原因が解り、安心し



ちょっと、調子が良くなると病院をサボってしまいがち







しかし、今の病院に掛かる前に、近所の医者に診て貰ったことがあるのですが



そこでは、血圧を測るだけで、私から症状を聞いた医者は



あっさりと、



「更年期障害ですね、あなたの年では当然の事」


そう、診断を下し、降圧剤を処方してくれたのですが




やっぱり、あれですね



医者は患者が選ぶべきなんだと言うこと



身に染みました。





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父が、片手で軽く支えるだけで歩けるように



回復したとはいっても



バリアフリー仕様の室内のみで、ほんの短い距離



立ち上がり、座る、移乗、排泄、入浴等の動作を行うのは



もちろん、介助が必要



それでも、全く動かなかった身体が此処まで回復出来たのは


父の思い....



歩けるようになれば自宅に帰れる



自宅に帰りたい強い思いが



くじけそうになるリハビリを乗り越えることが出来たのだろう




もちろん


回復期リハビリ病院の療法士の方が



徹底したプログラムと



父の身体機能と精神状態を理解し



適宜、其の対応を変化させてくださるなど



臨機応変なリハビリを施してもらったおかげだと思うが





退院が決定してからのリハビリへの取り組みは


以前より意欲的になり


更に、退院後の事を踏まえ、それまで週に3日の参加だって私が



毎回参加をすることにしたとたん


父の中で、退院して自宅に帰れることが



より現実的に感じたのか



更なる意欲を出し、退院までの短期間に



目覚しいほどの機能と精神回復に



療法士や私達を驚かせたのだ



回復期リハビリ病院では、良質なリハビリを受けることが



出来たのだけれど



それに対して、看護の質が伴わなかったのは残念なところだ







更に、回復期リハビリ病院の療法士は



退院間際に、目覚しい伸びを見せた父の状態から



まだ、いける



機能回復は伸びるという可能性を見込み



老健の療法士宛てに詳細なサマリーを



提出してくれたばかりか、電話でも色々と話をしてくれ



効果的なリハビリの継続をお願いしてくれたのでした






老健での初日



回復期リハビリ病院の療法士からの申し送りを受けた



老健の療法士が父の状態を確認し



確かに、まだまだ伸びそうであることを認め



本来、認知棟入所者には施さない



機能回復リハビリの継続を快く受けいれてくれたこと



その後



療法士が、考えてくれるプログラムとその進行の仕方や



父と療法士の性格が合うことが幸いしたのか



父は、リハビリの時間を心待ちにするようになり



真面目にリハビリをこなし



老健へ入っても、機能は落ちることなく維持され



私の目から見ても、移乗などは介助は必要なものの



かなりの進歩をしていたのです







更に、老健の療法士は、機能維持にも繋がる



精神の維持の為にも、父の認知度レベルは低く



父を他の認知棟の入所者と同じ接し方ではなく



一般棟同様に、声賭け、排泄ケア等するように



施設内会議の中で



介護士、看護師へ依頼をしてくれていたのでした



これは、認知棟、一般棟入所者への差別というのではなく



その人に合った接し方をすることが



リハビリの向上に繋がる重要な要素である為の配慮だったのです





リハビリに関しては



回復期リハビリ病院の療法士から、老健の療法士へ



リレーバトンが繋がり



リハビリが順調に進んでいた矢先に






父の転倒事故が起きた....











回復期リハビリ病院でも



療法士のリレーバトンは看護師へ繋がらず





老健でも



療法士からのリレーバトンは、看護師・介護士側に



受け取られていなかったのだ







介護士・看護師側は



認知症がある入所者に対するリハビリの重要性と



個人の状態を把握していなかった.....



いや.........する必要性を感じていなかったのでは無いか




認知症は、軽度であろうと認知症だから



むしろ、認知症には機能リハビリは迷惑と



考えている節があったのではないか



いや....あるのではないかと








私は、看護師、介護士の言動からそう感じ取ったのです






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何故、リレーバトンは繋がらないのだろう



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空きがあるという情報を胸に



3件目の老健へ足を運び



相談員へ事情を話すと、確かに空きがあるとのことだった





そして、父の面接をしてみないと、確実な事は言えないが



持参した、書類上では特に問題は見当たらないということで



早速、翌日の書類選考会議にかけてくれることになった



そして、書類選考結果がどうなるか解らないが



面接を、書類選考会議翌日に設定してくれるなど



色々と配慮をしてくださり



又、一つ大きな希望の光がみえてきたのだけれど






リハビリ病院のソーシャルワーカーに



退院期日までに、入居出来そうな老健を見つけ



面接をする為に、病院のカンファレンスルームを



使用させて貰いたい事を伝えた時に



其の対応に、この時ばかりは心底腹がたった





ソーシャルワーカーは



私の話を一通り聞き終わると



「ほお~、数打ちゃ当たるですな~



 あるんだね~、探せば



 あ、その老健なら知ってるな~、おかしいな~



 空きは無いはずなのに、まあ、後は私に任せてください」



そう言い放ったのです。



腹はたつが、このソーシャルワーカーに抗議したり



無駄な時間を取られている暇はない






万が一を想定し



其の後も、老健行脚を続けたのだが



其の間にも



ソーシャルワーカーからは、退院期日は延ばせない



諦めて自分が手配した、介護付有料ホームへ入るように



再三、促され続けたのだけれど





最終的には20件程の老健を回り



其の中で



2件目に見学申込みをした



キャンセル待ちの個室からという条件の老健と



3件目に見学申込みをした老健だけが



私達の事情を汲み、積極的に動いてくれ



結果として、この老健に入所が出来ることに



なったのだけれど



最終的には、もう1件の老健が、退院ギリギリになって



面接なしで、受け容れてくれると申し出てくれたのだ




20件回って3件



父の退院期日までを考えれば



3件もの老健が協力してくれると言ってくださったこと



諦めず、人任せにしなければ、絶対にどうにかなる





もうひとつ解ったのは



20件の老健を回り、老健の相談員の口からは



リハビリ病院の、他のソーシャルワーカーの名前は出るのに



父の担当のソーシャルワーカーは知らないというのだ



どうやら、他のソーシャルワーカーは、近隣の老健全てを



定期的に訪れ、相談員と持ちつ持たれつの関係を保っているらしいが



父の担当は、自分の先輩、後輩関係だけが守備範囲のようで



近隣の老健には、名前も知られていないのだ





患者としては、病院が決めたソーシャルワーカーを選ぶことが



出来ないのが現実だけれど、患者の行く末を決める



ソーシャルワーカーの力量に差があるのは事実で



ソーシャルワーカーが任せておいてくださいなどと言っても安心せず



早いうちから、自分で動くほうが賢明だということ












老健を回りながらも、その間に



父の見舞い



2回目の介護認定を受け



ソーシャルワーカーが保険として薦めてきた



有料介護つき老人ホームの面接等



息つく暇もなく動いてきた日々が



とりあえず、終了となり一安心なのだけれど







老健が決まって良かったと思うよりも



私は、積極的に動いてくれた老健なのだけれど



本当に、此処に入所してよいのだろうか



その不安の方が大きかったのです




それは、見学をした際に



この施設ではフロアーに降りると



強烈な排泄臭が漂い



椅子に座ってお漏らしをしている入所者



お尻から足首までズボンが濡れている入所者



テーブル周りに、食べ物が落ちまくり



面会者の座るソファーからも排泄臭が漂い



施設の設備の所々は壊れており



蛍光灯はついているのに、何故か暗い雰囲気






介護員が大きな声で



「ちょっと、待ってて」を連発し



入所者に対する言葉使い




なにより、入所者に笑顔がないのだ






この老健には申し訳ないが



施設、介護員の良し悪しなど解らない私が



見学をした際に、肌と直感で



感じた不安だった










老健へ移動した其の日



認知棟に入って入所者の中に混じって



テーブルに着いた父を見て



母は、連れて帰りたいと泣いた






無理も無い、父は夜間不穏がある為に



認知棟への入所となったけれど



周囲の入所者と比較すれば



其の差は歴然と解る





母は、見学説明を受けたにも係わらず



認知棟の現実を解っておらず



父が、入所者のテーブルに着いた時に



其の現実を見知ったのだろう



いや、でも、現実を知ったというより



ただ、感情が高ぶったという方が正しいのだろう







父は、私達が帰ろうとすると



自分も帰ると言い出し



その、必死さに胸が締め付けられる



私だって連れて帰りたい



けれど、家族がそれを許さない



連れて帰れないのだ






その日は、施設の人の配慮で



私達は、父に気づかれないように



姿を消すように、逃げ帰るように



施設を後にしたのだけれど





翌日、介護員から



私達が帰った後に



父が、私と母を探していたことを聞かされ



そして



父からは、黙って帰るなんて



人を騙すようなことをするなと言われ



父への対応を考えさせられることになり




その後、面会に行くたびに



う~ん、この対応は無いんじゃないかと



思うことも度々あったのだけれど






救いは、リハビリだった



通常、認知棟入所者は機能回復リハビリを



行っていないところ



療法士が父の状態を見て



機能回復リハビリを推奨してくれたおかげで



私達の希望もすんなりと受け容れられ



父は、段差のない室内なら、片手で軽く支えるだけで



歩けるように迄、回復することが出来



初めての外出を控えた前日の晩



父は、転倒してしまったのでした






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先を急ぐ為に、伝えたいことが

伝わっているのだろうかと

文才の無い自分に悲しくなっている

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週末の家族会議は、とりあえず済ませることができました



けれど



まだ、私の気持ちの整理がつかずにいます。




ただ、現実として



余りにも醜い人達、これが私の家族であるという



このことだけは、はっきりと解りました。





家族会議の顛末に関しては



私の心がもう少し落ち着いてから



ぼちぼちと吐き出させていただこうと思います



色々と、ご心配お掛けし申し訳ありません



又励ましのお言葉ありがとうございます。





其の前に、色々と思うところありで



ちょっと前の出来事として書いている



内容を、現在に追いつかせたいと思い



老健行脚の続きから



頑張ってUPしていきたいと思います



よろしくお願いします

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前回、ブログを更新してから、1週間が経ってしまいました


精神的に追い詰められいた次の朝


早川浩士先生のブログに掲載されていた



「青い鳥」



こんなにがんばっている あ な た


こんなにがんばったのに あ な た


青い鳥 みつかりましたか


一緒に さがしましょうか



えっ わたしは みなから


不 苦 労 とよばれています


(早川浩士先生、勝手に転載させて頂き申し訳ありません)



を読んで、涙が止まりませんでした。




そして、皆様からの励ましのコメントに


こんな、私を心配し、応援して下さる方達に


感謝の気持ちで一杯です。


皆様本当にありがとうございます。






年月が経つのは早いものですが


その速さに自分の成長が付いていかず


歳だけは増えていくのに


中身が伴わない非力な自分を情けなく感じながら


両親の事で飛び回ってもいた1週間でした






私が精神的に煮詰まってしまったのは


自分が未熟であること


それが、結果的に


全てにおいて


自分で自分を追い込んでしまったのだと思います





特に、一番の問題である


姉、弟、そして母...


この理解協力を得られない家族の事を


自分さえ頑張れば良いと



諦めてしまっていたこと




家族は他人の始まりとは言うけれど


本当の他人なら


腹も立たず何も期待することも無いけれど


家族という血の繋がりだけで


自己主張だけをしてくるこの人達に


対処できない自分に疲れてしまったのです






私は、母が自宅から離れたくないという希望の元に


父が母が快適に過ごせるようにしていく為に


動いています



そして、私の願いは



父が、これから残りの人生を


人間として、少しでも快適に過ごしてもらいたいだけ


そして、確実に訪れてきている母の老現象を


良い方向に向け、母にも母が望むように過ごしてもらいたい


それに、伴う労力は惜しまない


むしろ、其のつもりで今まで動いてきたし


これからも、一緒に笑いながら供に生きたいと思っている


けれど、それは、私の思いであって



家族の思いではないということ




姉や弟にとって、父は人間ではなく



不要なお荷物



受け容れてもらえるところがないのなら



遠く地方の施設へ入れてしまえば良い



そうすれば、母も容易に通えなくなる分



母が楽になる、それが母の幸せだと


母がそれに反対だとしても



有無は言わせないという考えかた





けれど.....




毎回面会に行くたびに、母を求める父



母が来た時の嬉しそうな表情



父が「母がいないと生きていけない」という其の言葉



母も大変だと言いながらも



皆勤賞で通う姿を見ていると






どうしても、



姉や弟の考え方には賛同できず


賛同したくないのです





思いや方向性が違う姉、弟を説得するのも疲れ


自分が納得が出来ないことを


彼らの手足だけになって動くことは出来ない





散々悩んだ末に、私が決断したのは


自分の思いは封印し



後は、姉、弟へ託すことでした






そして、先日、姉と母へ其のことを告げたのですが


姉からは、親を見離すのか、無責任と言われ


姉の後ろから、そうだそうだと旗を振っている母を見て

 


嫌悪さえ感じてしまったのです







これ以上は、無理だと私の心が


この人達を拒否し始めているのです






今週末、再三に渡り


姉、弟に申し入れていた2度目の家族会議が


実現します。



どうなるかは、解りませんが

自分が冷静でいられるように勤めようと

思っています。

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考え方の違う人とは

家族であれ、供に歩むのは

出来ないと思う私は

我侭で、自分勝手なのだろう


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