私の大好きな歴史作家の宮城谷昌光氏が去年の12月に発刊した、新刊の『三国志名臣列伝「蜀篇」』という短編集を3月に買ったのですが、すべて読み切りました。
なお、「魏篇」は先に刊行されています。
「蜀」の創業・建国に劉備玄徳(りゅうびげんとく)に従って活躍した、英雄豪傑の関羽雲長(かんううんちょう)、張飛益徳(ちょうひえきとく)、諸葛孔明(しょかつこうめい)、趙雲子龍(ちょううんしりゅう)等を描いたものです。
<劉備(りゅび)・関羽(かんう)・張飛(ちょうひ)の桃園の誓い>
<三顧の礼>
蜀の五虎将軍〔関羽・張飛・趙雲・黄忠・馬超〕が代表的な存在ですが、私としては、この中で、武力・知力・忠義にすぐれた趙雲子龍が一番好きです!。
老将ながら名将で弓の名手でもあった黄忠(こうちゅう)も次いで好きです。
三国志の登場人物ランキングでも、趙雲が1位となりました。
1位趙雲 95.9点
2位諸葛孔明 90.4点
3位関羽 90.1点
4位劉備 85.2点
5位馬超 (ばちょう)82.0点
6位張飛 80.2点
7位曹操 76.7点
8位黄忠 (こうちゅう)76.7点
9位甘寧 (かんねい)76.3点
10位呂布(りょふ) 75.6点
なので、1年前、歴史小説家・塚本靑史(つかもとせいし)氏の『趙雲伝』も買い求めたのですが、、趙雲子龍を主人公にした小説はあまりありません。
劉備や諸葛亮を支えた名将として、三国志屈指の人気を誇る趙雲です。
で、今度は『三国志名臣列伝「魏篇」』も読みたくなって、昨日の夕方、イオンモールかほく内のBOOKSなかだへ買いに行きました。
優れた人材を好む魏の曹操孟徳(そうそうもうとく)の下には、綺羅星(きらぼし)のごとく智謀の士や名将・孟将が集まっていました。
天才軍師にして名参謀の荀彧(じゅんいく)・郭嘉(かくか)・程昱(ていいく)・賈詡(かく)・荀攸(じゅんゆう)…。
魏の五名将の〔張遼(ちょうりょう)・徐晃(じょこう)・于禁(うきん)・楽進(がくしん)・張郃(ちょうごう)〕。
曹操の親族にして四天王の〔夏侯惇(かこうとん)・夏侯淵(かこうえん)・曹仁(そうじん)・曹洪(そうこう)〕
孟将の許褚(きょちょ)や典韋(てんい)。
中でも別格なのは司馬懿(しばい)仲達(ちゅうたつ)です。
諸葛亮の北伐をしのぎ、遼東の公孫淵(こうそんえん)を討伐するなど、その軍功は抜きん出ていて、朝廷内の権力闘争をしたたかに勝ち抜き、当時実権を握っていた曹爽(そうそう)をクーデターで倒し政権を掌握します。
王朝“晋”の礎を築き上げた屈指の軍略家ですが、「死せる孔明、生ける仲達を走らす」の故事が有名ですよね。
五丈原の戦い(ごじょうげんのたたかい)の最中に、蜀の丞相(じょうしょう)である諸葛孔明が病没し、蜀軍は撤退。
魏の大将軍である司馬仲達は撤退する蜀軍を追撃しようとしましたが、蜀軍が反撃の姿勢を見せたため退却します。その事で人々はこれを揶揄して「死せる孔明、生ける仲達を走らす」と言ったのです。
そんな魏の将軍の中でも、五名将筆頭の張遼文遠(ちょうりょうぶんえん)が一番好きです!。
丁原(ていげん)、董卓(とうたく)、呂布(りょふ)、曹操と、図らずも主君を変えながら、数々の武勲をたてた名将です。
合肥(ごうひ)の戦いでは8百の兵と共に特攻し、その凄まじい勢いで敵軍の士気を下げました。その時の魏軍は僅か7千で、呉軍の兵は10万。
呉軍を撤退させていますが、この時さらなる猛攻をしかけ、孫権(そんけん)を震え上がらせました。
その後は病を得るも、長江を臨む場所に駐屯して睨みをきかせ、呉の将、呂範(りょはん)を破っています。
今後、「呉篇」も出版されると思いますが、呉といえば周瑜(しゅうゆ)・魯粛(ろしゅく)・呂蒙(りょもう)・陸遜(りくそん)ですよね。
その中でも、名門で孫権を大都督(だいととく)として補佐した周瑜公瑾(しゅうゆこうきん)が人気を誇ります。
周瑜といえば赤壁の戦いを題材にした、「レッドクリフ」として映画にもなりました。
魏(ぎ)の曹操(そうそう)軍と、呉(ご)の孫権(そんけん)・蜀(しょく)の劉備(りゅうび)連合軍との戦いですが、蜀の軍師・諸葛亮(しょかつりょう)と、勝利に導いた呉の知将・周瑜(しゅうゆ)が大活躍します。
ですが、呉では智謀の将軍・陸遜伯言(りくそんはくげん)が一番好きです!。
関羽を油断させ、不意打ちを食らわす段になってからめざましい働きをするようになります。
関羽の復讐戦を挑んできた劉備軍に対し、孫権から迎撃軍の指揮官に任じられた陸遜は、持久戦に持ち込みます。
対峙すること約半年。はやる自軍の武将を抑えて、補給線が伸びきったところを火攻めにした呉軍は大勝利を収め、陸遜はこの戦いで名実ともに大将軍となりました。
m(。-_-。)m ↓おねがいします!