みなさん、明けましておめでとうございます。

 

おめでとうとの言葉とは裏腹に、元旦早々、当県では能登地方を中心に地震による甚大な被害となりました。

 

多くの方が犠牲となり、衷心より哀悼の意を表しますとともに、被害に遭われた方々へも謹んでお見舞い申し上げる次第でございます。

 

また、心配なされてお電話をくだされた県外の友人知人に対しても御礼申し上げます。

 

令和5年元旦の初詣は、お天気に恵まれ、朝からひっきりなしの参詣者が訪れ、午後4時近くになっても参拝は絶えることはありませんでした。

 

<画像は元日午後4時撮影>

 

午後4時7分。

 

みくじ所の前で、参拝者に神社HP用に写真を撮らせて下さいと言って撮影した途端、右手前の若いお父さんがスマホを見て「奥能登で地震が発生し津波が迫っているみたい」と申されました。

 

私は「また能登で地震ですか可哀そうに、しかも津波まで…」と言った数分後、長く激しい揺れに襲われました。

 

 

しばらくして、揺れもおさまってホッとしたところ、今度は、参詣の方が「神社の下の方で火の手があがってる!」と叫ばれました。

 

我が町内の県道沿いにあるオートバイショップが燃えていて、正月で人気が無いのに炎をまき上げていました。

 

そのあと、たくさんの消防車が消火にあたり、パトカーも出動し、一時騒然となりました。

 

 

たびたび余震に見舞われながら、神社の被害状況を確認に回りました。

 

本殿前に対で設置してある春日灯籠が倒れていましたが、幸い社殿など建造物や鳥居に被害はありませんでした。

 

 

また、当社遙拝所前の春日灯籠2基も倒れていましたが、これも破損が見られず、また組めば元に戻ります。

 

今後の余震のことも考慮し、しばらくこのままにしました。

 

 

午後4時半過ぎから、当社駐車場に5台ほどの車が上がって参りました。

 

大津波警報が発令されたため、高台にある当社に避難に来られたのです。

 

みなさん、不安そうにスマホで情報をチェックされていました。

 

 

なので、一度閉門した神社にふたたび明かりを灯し、社務所のトイレを開放しました。

 

神社を一時的に非難所としたわけですが、1時間半ほど経って、津波の心配がなくなって、みなさん帰って行かれました。

 

私は、自宅に帰ってからご飯をタッパに詰め、漬物など副菜や割箸、紙皿・紙コップ、駄菓子類、みかん、ゴミ袋等をリュックに詰め、災害避難所となった家族待つ地元小学校へ向かい、午後9時過ぎ全員で帰宅しました。

 

ですが、夜中に何度も余震が続きました。

 

 

そして、今日の正月2日目を迎えました。

 

上空には、1日中報道や自衛隊のヘリが飛び交っていました。

 

この日も快晴で、本来なら大勢の参詣者が訪れるのですが、安全が第一ですので、訪れる方だけ受け入れることにしました。

 

 

兼務神社3社の新年祭も予約のあったご祈祷もすべてキャンセルとなったのですが、唯一、氏子のN氏の還暦の厄除けのみ奉仕いたしました。

 

 

それでも、ポツンポツンとお参りがあり、ありがたことです。

 

 

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