今日は日曜日なので、厄除け祈願3件と、午後からは1時に宮司を兼務する金沢市横川町の横川神社春季祭を、3時より白山麓の旧鳥越村である白山市上野町の八幡神社祈年祭を奉仕しますが、八幡神社の方はたまたま日曜と重なりました。
で、これは昨日の朝7時半の当社でありますが…。
あと3週間後には、このように桜(ソメイヨシノ)が満開となる予定です。
さて、当社の第一鳥居の前には、このような「制札(せいさつ)」というものがあります。
旧官国幣社(かんこくへいしゃ)と呼ばれる戦前の官社や大きな神社には大抵ありますが、一般の民社にはあまりありません。
金沢では、尾山神社や石川護國神社には当然ありますが、あとは大野湊神社や石浦神社、小坂神社、長田菅原神社など、設置している神社はわずかです。
これは、明治神宮の代々木からの入り口である北参道前の「制札」ですが、さすがに大きくて立派です。
「制札」には、このような神社神域における禁止三箇条が掲げられているのです。
長野県神社庁のHPから引用すると…。
神社の神域に或る行為を制止する旨を掲げた札。明治6年教部省達にある神社制札に準じれば、制札に記載すべき事項として、車馬を乗り入れること、魚鳥を捕ること、竹木を伐ることの三箇條で大正2年内務省令を以って定められた。現在では、右三箇條のほか、神社や社務所の名を以って取締事項等を掲げている。
とのことです。
これはある神社の「制札」ですが、当社の「制札」にも同様のことが以下のとおり墨書されていました。
定
一、車馬ヲ乗入ル事
一、魚鳥ヲ捕ル事
一、竹林ヲ伐ル事
右境内ニ於テ禁止ス
昭和二十二年六月八日
神社本廳(庁)
ですが、3年前に金沢の兼六園へ家族でお花見に行った時、入り口の「制札」には園内の案内図が掲げられておりました。
日本三名園の一つで国の特別名勝・兼六園ですが、以前は園内での禁止事項が書かれていたように記憶しています。
それをヒントに、私は3年前、制札板に木目調のアクリル板を貼って、神社の年中主要祭典を掲げたものに切り替えました。友人のTデザイン工芸の社長さんにお願いして作ってもらったのです。
今の時代、「車馬を乗り入れること、魚鳥を捕ること、竹木を伐ることを禁ず」なんてそぐわないですよね!。
ですが、当社の「制札」は長年の風雨にさらされて、屋根を支える2本の支柱は後方に傾いて…。
しかも、木組みもボロボロでクサビを打ってなんとかごまかしていましたが、いつ倒壊してもおかしくない状態でした。
それで、補強も兼ねて、この説明看板を木組みに打ち付けていたという訳です。
とうことで、昨日の午前8時より、この「制札」の建替え工事がおこなわれました。
まず、補強に利用した説明看板を取り外しました。これは後日製作されたTデザイン工芸さんにお願いして、別の場所に設置してもらいます。
次に、支柱を正しく真っ直ぐにし、古い木組みを撤去して新しいものに取り替えました。
作業をされているのは当社の総代さんで、近くでN工務店を営む社長さんと息子さんですが、お孫さんも熱心に見ていました。将来、3代目棟梁となるのかな?。
木組みで使われた木材は桧(ひのき)で、1ヶ月乾燥させてから組んだのだそうです。
作業をよそ目に、私は兼務神社3社の月次祭(つきなみさい)奉仕に回ったのですが、最後にお参りした金沢市堅田町・譽田別神社(ほんだわけじんじゃ)では、手水舎建設の最終調整がおこなわれておりました。
水場では左官職人によって「洗い出し」という技法が施され、欄間の取り付け作業もおこなわれていました。新しい手水舎はきれいで見ているだけで気持ちが洗われます!。
あとは、注連縄を張り巡らし、紙垂(しで)を下げて、4月15日の春季大祭での竣工清祓祭を待つだけです。
月次祭が終わって神社に戻ると、桧の香しい匂いが漂ってきました。
ピッカピカの「制札」の完成です!。
後方からも撮ってみました。う~ん、実に美しいです。
一昨年は参道石段踊り場と裏参道車道の改修工事を行ったし…。
昨年は社務所便所を和式から洋式のウォシュレットにしたし…。
限られた予算ではありますが、総代のみなさんと協議して毎年少しづつ良くして行きたいと存じます。氏子のみなさま、誠にありがとうございました。
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