これから、兼務神社3社の月次祭(つきなみさい)へと出向しますが、午後からは旅館のマイクロバスが迎えに来て、加賀・山代温泉の高級旅館の瑠璃光 で一泊しての年に一度の大新年会なのであります。


町内会の壮年部で毎月積み立てしていたので、誠に楽しみです!。


■はじめに


さて、小津安二郎監督の60年前の名作「東京物語」を、フーテンの寅さんの「男はつらいよ」シリーズで名を馳せた山田洋次監督が「東京家族」としてリメイクしましたが、両作とも年老いた夫婦が成長した子供たちに会うために上京する旅の悲喜劇を描いた作品です。


この中で思うことは、最近は首都圏に住む息子や娘を親が訪ねるにしても、大抵は気兼ねしてホテルに宿泊することが多いのではないでしょうか?。実際、私や女房もそうしています。


しかし、私の母の実家である口能登の旧志雄町の祖父母が存命中、祖父や祖母は東京や大阪へ出掛ける際は、必ず沢山のお土産を持参して親戚宅に逗留したものです。


私もそのことは母から聞かされていて、何も宿泊代以上の高価な能登の珍味を持参してまで泊まらなくても、ホテルに宿泊すればお互い気を使わずに済むのになぁ~、なんて思っていました。


でも、そこは「能登はやさしや土までも」の土地柄だけあって、離れて暮らす親戚との再会と絆を大切にしたんでしょうけど、受け入れた当時の親戚も、都会に暮らしていても「能登魂」を忘れなかったのではないでしょか!。


■仲使い〔なかづかい〕


私が子供の頃、上記の母の里(実家)より度々能登の海産物や祖母の手作りの品が送られてきました。それも郵便などの宅配ではなく、いつも決まった人が届けてくれました。


母に問うと、それは「仲使い」と言って今で言う宅配業のことで、能登の集落では宅配を副業としている人が多くいたそうです。


今のように交通網も発達していなかった当時は、能登から金沢まで車で通勤する人は少なく、また便利な宅配便を扱う窓口が能登沿線の大きな駅周辺しか無かったことから、集落で車を持っている人が副業として行っていたのだと考えます。


■烏帽子親〔よぼしおや〕制度


私の母の実家は、口能登の宝達志水町の神社なのですが、3年前の秋、幼くして夭折した私の従兄弟と祖父母の式年年祭の斎主をつとめさせていただきました。その後、旧志雄町の料理屋で直会(なおらい)が催されたのですけど、その中に親戚としての認識の無い40代台の夫婦も参加されていました。


叔父に聞くと、私の「烏帽子子(よぼしご)」だと答えました。叔父は宮司職のかたわら高校の校長で定年になったのですが、能登では夫婦として円熟味を帯びると一人前になった証しとして、集落内の若い夫婦と疑似親子の関係を結び、「烏帽子親、烏帽子子」として仮親は仮子に援助し、かつ仮親の冠婚葬祭などの際にはお手伝いするなど、扶助関係を結ぶのです。


そのことは、世界農業遺産「能登の里山里海」のHP にくわしく記されているので、以下に一部を抜粋します。


烏帽子親(よぼしおや)は、能登に古くから伝わる慣習のひとつで、本当の親子ではない別の家族との間で親子の関係を結ぶ、擬制親子のなわらしである。能登では、烏帽子がなまり、「よぼし子、よぼし親」と呼ばれている。擬制親子関係の慣習は、偏在しているものの全国的に分布している。


石川県では能登だけにみられ、特に、羽咋市、中能登町、七尾市に多く分布している。七尾市能登島では、現在もよぼし親子の関係が残っている。古文書によれば、能登では少なくとも江戸時代には慣習として存在していたと考えられている。


はじかみ神主のぶろぐ
図-能登の「よぼし子」分布図(昭和27年・長岡博男氏作製)


烏帽子は、元服する時にかぶる帽子のことであり、この親子関係を結ぶ時期も成人に達した時である。いったん親子関係が成立すると実の親子と同様の関係が続けられ、盆と正月ないし暮れの年二回、よぼし親はよぼし子を招いて饗応する。こうした関係を結ぶ理由は、一度親戚関係を結んでもその関係が疎遠になるためこれを強化するため、成人に達して以降の相談相手になり援助してもらうため、などといわれている。


よぼし親子は、農業や漁業といった親の生産労働に対し、子が手間賃をもらわず労働力を提供したり、冠婚葬祭を手伝ったり、雪囲いや茅葺の葺き替え作業へ奉仕したりなどをする。親は子に対し、保証人となったり、仕事の世話をするなど、経済的、物質的な援助を行うほか、実の親には相談できないことにも相談相手となる。こうした相互行為を欠く場合は、社会的に非難されるため、よぼし親子は、地域集落の秩序維持や共同体意識の醸成に役立っている。


ということですが、中にはこの制度を利用して沢山の烏帽子子を作り、町会議員選挙に立候補して仮子達に選挙の運動員として活躍してもらったとの実例もあるんですよね~!。


■歩きさ〔あるきさ〕


「歩きさ」は、区や町内会から報酬をもらって、町内会の案内や祭りやお寺のお触れなどを各家々に配布する人のことです。


金沢やその近郊の農村部でも、昭和40代頃まではそのような人がいたそうですが、現在は町内会長のもと班長が組織されていて、各班ごとに月末配布物を配るように改められました。


■おわりに


何か、論文みたいなブログになりましたが、かつて田舎に多くあった風習が少なくなって参りました。


「初寄せ」「万雑(まんぞう)」「頼母子(たのもし)あるいは頼母子講(たのもしこう)」などがそうですが…。


みなさん、何のことだか分かりますか?。


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