11月1日に地元紙・北國新聞社会部のMさんという、新人の可愛い女性記者さんが取材に訪れたのですが、今日の朝刊の23面「金沢欄」にカラー写真入りで大きく取り上げてくれました~♪。
↓↓↓この画像はクリックすると拡大します。
霊水は、当社から2キロ後方山あいにある、金沢市四坊高坂町(しぼうたかさかまち)という山里にあります。
この写真は朝7時に撮ったものですが、霊水がある場所からは、遥か河北潟の湖水や、内灘のサンセットブリッジ、さらにその奥には日本海が見渡せます。
四坊高坂町は、昭和49年に大規模な土砂崩れが発生し、緊急災害避難区域に指定されて村人達は移住を余儀なくされました。今は陶芸家の方の家1軒しかありませんが納屋や古民家などが残されており、みなさん毎日畑仕事に通われています。
これが黄金清水(こがねしょうず)です。まわりの木々は紅葉でだんだん色付いておりました。
この清水周辺は、奈良時代から平安末にかけて、当社・波自加彌神社が鎮座していた元社跡(もとやしろあと)と比定(ひてい)されている場所なのです。
当社創建に由来する、1300年を歴史を誇る霊水は今でもコンコンと湧き出ておりますが、この時期は水量が少ないようです。
で、これが今朝の新聞に取り上げていただいた由来を解説した看板です。くわしくは私の以前のブログ・霊水に由来看板を…
をご覧ください!。
↓↓↓これは、設置する前に工芸社で撮ったものですが、この画像もクリックすると拡大します。
解説看板には、春になるとこの清水(しょうず)に咲く、可憐な水芭蕉のイラストを配していただきました~!。
霊水を求めて、このように水を汲みに来られる方がいるのですが、新聞に載せていただいたお陰でますます多くなりそうです。
黄金清水から右へ少し行くと、四坊高坂町氏神の八幡神社への参道となります。かつては田近村16ヶ村を束ねる役場があったところですが、明治40年8月に合併して河北郡花園村となり、戦後河北郡森本町に合併し、さらには昭和39年に金沢市へ編入しました。
参道は急な階段となっていて高齢の方々から上がるのきついとの声が寄せられたので、村の人達が1年がかりで木を切り竹を伐って自前で整備をし、今回見事な裏参道(車道)となりました。
裏参道の途中には駐車場まで整備されました。ここからは神社まで歩いてすぐです。今まで急な階段を上っていたことを思うと楽チンです♪。
ですが、普段は裏参道入口には鎖を張り巡らして施錠されていて、車での進入は不可能です。
当校下(こうか=校区・学区)で一番標高の高い、四坊高坂山の中腹にある八幡神社へ到着しました。
社前には、ご神木の千年杉が2本鬱蒼(うっそう)と生い茂っております。
こちらの老杉(ろうさん)は落雷によって二又に割れて夫婦杉となっています。
もう1本の千年杉から2本いっしょに撮ってみました。
このような千年杉があるだけでも、当社の奥社たるゆえんです。
今の時期、霊水の水量はあまり多くはありませんが、ペットボトルなどを持参して、金沢やその近郊の方はぜひ汲みに来てくださいね。
最後に、北國新聞社会部の美人記者のMさん、誠にありがとうございました!。
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