9月に入っても最高気温が30度を超える猛暑日が続いたのですが、彼岸入りしてから朝晩過ごしやすくなってきました。


昔から「暑さ寒さも彼岸まで」と申しますが、すっかり秋めいてきて、あぜ道や川の岸辺で鮮やかに咲く彼岸花が見られるようになりました。彼岸花は、ちょっと毒々しい赤ですよね。


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はじかみ神主のぶろぐ

彼岸花は別名・曼珠沙華ともいいます。


「赤い花なら 曼珠沙華(まんじゅしゃげ)、 阿蘭陀(オランダ)屋敷に 雨が降る~♪」ではじまる、長崎物語という昭和11年の古い歌があります。


はじかみ神主のぶろぐ

江戸幕府が鎖国政策をとったとき、外国人と日本人との間に生まれたがゆえに国外追放された「ジャガタラお春」という女性を主人公にしている歌なのだそうです。


私は、彼岸を過ぎたこの時期、よく関西方面へドライブしますが、高速道路を滋賀県の姉川あたりまで走らせると、稲刈りのすんだ田んぼのあぜ道や、姉川の土手に赤い帯を敷いたかのように彼岸花が咲いています。まるで、古戦場で散っていった兵士の血の色のようです。


はじかみ神主のぶろぐ


彼岸花の真紅の花の色は、その鮮やかさが愛でられる一方で、逆に血の色だと嫌われ、死者を偲ぶ彼岸の季節に咲くのも不吉とされた一因のようです。


また、葉もなく、地中から生えた一本の茎の上に咲く姿も、人によっては異様と感じられるのかも…。彼岸花は地中の球根の栄養で花を咲かせます。花を咲かせる球根は花が散ったあとに葉を茂らせて翌年の開花に備えるのです。


はじかみ神主のぶろぐ


周りの花が乏しくなる頃に陽光や地中の養分を吸い取ることで、球根を太らせます。この球根が有毒であるのも嫌われた一因かも知れませんね。


埼玉県日高市巾着田に曼珠沙華の里「巾着田」 があります。日高市内を流れる清流、高麗川(こまがわ)の蛇行により長い年月をかけてつくられ、その形がきんちゃくの形に似ていることから、巾着田(きんちゃくだ)と呼ばれるようになったのだそうです。


はじかみ神主のぶろぐ

直径約500メートル、面積約22ヘクタールの川に囲まれた平地には、菜の花、コスモスなどの花々が咲き、中でも秋の曼珠沙華の群生地は辺り一面が真紅に染まり、まるで赤い絨毯(じゅうたん)を敷き詰めたようなのだとか。


毎年多くの人がその美しさに惹かれて訪れるのだそうです。一度行ってみたいですね。


はじかみ神主のぶろぐ


白い曼珠沙華もあるんですね。


はじかみ神主のぶろぐ


黄色いのも…。


はじかみ神主のぶろぐ


高麗川の名前でもわかるように、この日高市には、有名な高麗(こま)神社 という古い社があります。


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西暦(キリスト教歴)の668年、唐・新羅(しらぎ)に滅ぼされた高句麗(こうくり)からの亡命者を移して高麗郡が置かれたもので、703年には高句麗王族とされる高麗若光(こまのじゃっこう)に朝廷から王(こきし)姓が下賜(かし)されています。


はじかみ神主のぶろぐ


神社の由来板には…。


奈良時代、元正天皇の御代、高麗郡を統治した高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)をお祀りした社で、創建より1300年を数える関東有数の古社である。


古来、霊験あらたかをもって知られ、高麗郡総鎮守として郡民崇敬を受けてきた当社は、近代に入り水野錬太郎氏・若槻禮次郎氏・浜口雄幸氏・斎藤実氏・鳩山一郎氏等の著名な政治家が参拝し、その後相次いで総理大臣に就任したことから、出世開運の神として信仰されるようになった。

近年では、政界・官界・財界を始め、各界人士の参拝が相次ぎ、特に法曹界では石田和外氏が最高裁判所長官、吉永祐介・北島敬介両氏が検事総長に就任した。


とあります。

高麗神社の境内には、慶長年間に建てられた高麗家住宅があります。国指定重要文化財である高麗家住宅は高麗式建築なわけではありませんが、江戸時代初期の民家建築を伝えている貴重な建造物です。高麗家は若光の子孫でもあり、代々の社家でもあるとのことです。


はじかみ神主のぶろぐ


巾着田の曼珠沙華の里とともに、一度は訪れてみたいところですよね!。


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