今日は、ちょうど2年前に書いた私のブログ「狛犬の起源」を少し手直しして、再投稿いたします。なお、画像は全てクリックすると拡大します。


どこの神社に行っても狛犬がありますよね。狛犬は高麗犬とも書き、神様を守護する空想上の霊獣像です。


これは当社の狛犬ですが、一対の狛犬は、本来は「獅子・狛犬」といって、向かって右側が口を開いた角なしの「阿像(あぞう)」で「獅子」…。


はじかみ神主のぶろぐ


左側が口を閉じた角(一角)ありの「吽像(うんぞう)」で「狛犬」です。阿吽(あうん)とはもともと、吐く息と吸う息を表す言葉ですが、2人の呼吸がピッタリ合って共に行動しているさまを「阿吽の呼吸」とも言いますよね。


ところが、昭和になって、角の無い狛犬が多く作られるようになってしまったのです。これじゃ「獅子・狛犬」じゃなく、単なる「獅子」です!。


で、狛犬の起源はどこかと言いますと、古代オリエント文明までさかのぼることになります。


はじかみ神主のぶろぐ


古代オリエントの王侯が、獅子使いに命じてライオンをペットとして飼い馴らしたんですね。つまり、百獣の王であるライオンを王の膝下にひざまずかせることにより、王の権威を確立したのです。


その思想がエジプトへ行って、王墓であるピラミッドを守護するスフィンクスとなります。スフィンクスは、ライオンの体と人間の顔を持つ霊獣で、かつては対で置かれていたのだとか。狛犬のルーツともいえますね。


はじかみ神主のぶろぐ


さらに、その思想が、ヨーロッパへと伝わります。王侯貴族の紋章に獅子(ライオン)が多く使われているのもこのためです。


はじかみ神主のぶろぐ


そして、シルクロードを通って、インドや敦煌(とんこう)などにも伝わり、仏教の「獅子座」思想が生まれました。


様が、獅子を描いた台座に座ることによって、仏教の教えは、百獣の王ライオンより尊いんだ、ということを表しているのです。


はじかみ神主のぶろぐ


台座に獅子が彫られているのがわかるでしょ。


の獅子座思想が、中国仏教にも多大な影響を与えたのでした。


はじかみ神主のぶろぐ


中国の人達は、シルクロードを通ってやって来る西域の商人から、ライオンなどの話を聞き、空想上の霊獣である「獅子」を編み出しました。同じく伝播した唐草模様によって「唐獅子」も造形されていきます。


その後、獅子の霊力を得るために、城門や陵の前に置く狛犬として発展していきました。


はじかみ神主のぶろぐ


リンビールのレッテルに描かれている麒麟(キリン)も、あきらかにアフリカに生息するキリンとは似ても似つかかぬものですよね。


はじかみ神主のぶろぐ

頭蛇腹で角をはやしている麒麟も、中国人の伝説上の動物です。


はじかみ神主のぶろぐ


一方では、古代オリエントでは王侯が獅子狩りをして、ライオンを使いこなす獅子使いに調教させ、この獅子使いをかたどった演技から獅子舞が誕生しました。


れがシルクロードを通って中国の伎楽(ぎがく)となり、中国人の持っていた魔除けの思想も加わって、中国では盛んに獅子舞が演じられるようになりました。


はじかみ神主のぶろぐ


それらの思想が、中国から朝鮮半島を経由して我が国に伝来し、獅子狛犬は宮中を守護する霊獣として置かれるようになり、やがて全国の神社仏閣にも伝わって行ったのでした。


方では、伎楽としての獅子舞も渡来し、全国津々浦々で舞われるようになります。これは、当社の氏子の若連中による加賀獅子舞の演武です。


はじかみ神主のぶろぐ

下の画像は、京都御所・清涼殿(せいりょうでん)の御帳代(みちょうだい)に置かれた、獅子狛犬です。


はじかみ神主のぶろぐ


寺院にも狛犬?と思われるかもしれませんが、代表的なものとしては、東大寺南大門の石造狛犬を挙げることができます。


はじかみ神主のぶろぐ

が国最古の石造狛犬といわれるこの狛犬は、僧・重源(ちょうげん)による鎌倉初期の東大寺復興造営の折、来朝した宋人石工の造立です。その石材も宋から取り寄せられたものだとされています。

はじかみ神主のぶろぐ


久7年(1196)宋人石工、伊行末(いのゆきすえ)の手になるこの狛犬は、日本独自の「阿形」「吽形」の狛犬ではなく、両方が「阿形」で口を開き、胸をぐっと反らせ屹立(きつりつ)した作風がいかにも中国風です。


はじかみ神主のぶろぐ


沖縄の「シーサー」も、中国より別の伝播ルートで伝わったものですが、狛犬とはルーツが同じです。


はじかみ神主のぶろぐ


話を元にもどしますね。


当神社には宝物室(ほうもつしつ)があります。この厳重な鉄の扉を開けると…。


はじかみ神主のぶろぐ


さらに網戸があります。


ここを開けると…。


はじかみ神主のぶろぐ


ガラスケースに宝物が陳列されているのです。


ご宝物の詳細については、私の平成22年1月24日のブログ 押をご覧ください。


はじかみ神主のぶろぐ


日本では、狛犬は宮中の玉座(ぎょくざ)をお守りする守護獣像として伝播しましたが、後に神社仏閣を守護する目的で広まっていきました。


最初は、神殿に置かれた木造のものでしたので、「神殿狛犬」とも呼んでおりました。その後、外の境内にも置かれるようになり、耐久性を考えて石造のものが造られるようになったのです。


当社にも木造狛犬が二対遺されております。下の画像の狛犬は、鎌倉時代の仏師・湛慶(たんけい)作と伝えています。木造狛犬は檜材(ひのきざい)丸彫りであって、共に彩色(さいしき)は剥落(はくらつ)しています。


はじかみ神主のぶろぐ


もう一対は運慶(うんけい)作と伝え、湛慶狛犬は動(陽)、運慶狛犬は静(陰)の様相を呈し、二対で一対の「陰陽」の対をなしているのです。


はじかみ神主のぶろぐ


また、小型の石造狛犬も多く蔵しております。


この石造狛犬は、我が国に朝鮮半島より初めて薬としての生姜をもたらした武内宿禰(たけうちのすくね)を祀る、摂社・諶屏堂社(じんんべいどうしゃ)にあったもので、平安末の作と考証されています。


はじかみ神主のぶろぐ


これは、この石造狛犬のレプリカです。


昭和54年の拝殿改築の際、ご奉賛いただいた氏子崇敬者への記念品としてつくらせたものです。


はじかみ神主のぶろぐ


元々石造狛犬のあった、摂社・諶屏堂社(じんんべいどうしゃ)です。眼病に霊験があります。


はじかみ神主のぶろぐ


もう一方の狛犬は、かつて境外末社として存在した諏訪社にあったもので、桃山時代の作と考えられています。


このような小型の可愛い石造狛犬は、「白山狛犬」といって、加賀地方の神社に広く分布することを、私の亡き父が発見し、郷土史の学会で発表しました。


はじかみ神主のぶろぐ


対ではないのですが、朝鮮伝来と伝わる石造狛犬もあります。


はじかみ神主のぶろぐ


これは、置物用として、金沢21世紀美術館前の前川湖月堂という陶器店で売られていたもので、金沢城南で焼かれていたものですが、数年前に店をたたんでしまいました。


神社の記念品としてよく買い求めていました。というのは、添え書きに、「この白山狛犬が広く加賀地域で分布することを発見したのは、波自加彌神社の神官の故・田近彰男氏である」と、父の名が書かれていたからです。誠に残念です!。


はじかみ神主のぶろぐ


こちらもレプリカですが、少し大き目の白山狛犬です。


私が宮司wp兼務する旧郷社で白山七社の一社である、白山市鳥越町別宮の白山別宮神社が、昭和40年に一千年の式年大祭を迎えたことから、記念品として同社にあったものと同寸で父が宮司の時代につくらせたものなのです。


はじかみ神主のぶろぐ


このほか、当社には大理石に彫られた、こんな狛犬がありますが、これ何だかわかりますか?。


はじかみ神主のぶろぐ


実は、印鑑(角印)だったのです。


はじかみ神主のぶろぐ


なお、狛犬について調べたい方は、岐阜県の下呂温泉合掌村内にある狛犬博物館に行くと、日本はおろか、世界中の狛犬が展示されております。


はじかみ神主のぶろぐ


以上、長い記事にお付き合いいただいて誠にありがとうございました。


↓↓↓なる程と思われたら、ポチッとお願いします!。


(。-_-。)m↓おねがいします!
にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 金沢情報へ 人気ブログランキングへ