昨日、天皇陛下の心臓バイパス手術が成功裏に終えられ、心より安堵いたした次第です。


皇居・坂下門に設けられた記帳所には、陛下のお見舞いのため朝から引きも切らず列が続き、2日間で延べ約1万5千人もの人達が全国より記帳に訪れました。夕方、手術成功の報が伝わると人々から安堵の声が響いたとのことです。


当県でも、白山市の加賀一ノ宮・白山本宮 白山比咩(しらやまひめ)神社と、加賀藩祖・前田利家公と正室・お松の方を祀る尾山神社でも記帳所が設けられ、多くの県民が記帳に訪れました。記帳は、3月1日まで設けられ、県神社庁を通して宮内庁へ届けられるとのことですが、今日は日曜日なのでより多くの方達が訪れることでしょう。


そして、何より心打たれたのが皇后陛下のお労りであります。麻酔から目覚められたた天皇陛下のその御手を、皇后陛下と第一皇女の黒田清子(さやこ)様がおやさしくさすられ、皇后陛下が「手術がうまくいって、ようございました」と声をお掛けになられると、「ありがとう」とうなずかれたとのことです。さらに、清子様が右手を、皇后陛下がもう一方の御手におふれになられると、陛下は「気持ちいい」と笑顔をお見せになられたといいます。


皇后陛下はICUをお出になられる際、陛下に「明日、また参ります」とお語りになられ、陛下は「ありがとう」と応じられた旨、漏れうけたまわっております。皇后陛下の、なんとお優しいお気持ちと申しましょうか、お気遣いでありましょうや。誠にほほえましい限りであります。


さて、みなさんもご承知のとおり、今回、陛下が心臓バイパス手術を受けられた背景には、3月11日に東京で開かれる東日本大震災一年の追悼式に、皇后陛下とともに出席なさりたいという強いご意思によるものです。まさに、両陛下の被災者に心寄せられる深い大御心によるものといえましょう。


両陛下は震災発生直後から、7週連続で避難所や被災地を訪問なされ、特に4月~5月には被害の大きかった東北3県に足をお運びになられました。被災地のみなさんにお気遣いがないようにとのご配慮で、いずれも自衛隊機による日帰りの強行日程で、ヘリコプターに乗り継ぐ慌しいご移動で、避難所に滞在する時間を1分でも長く取り、被災者にお声掛けして回りたいとの強いご希望からでありました。


天皇皇后両陛下の被災地への御訪問は、ご高齢にもかかわらず、膝を折られて同じ目線でお話をなされており、何よりも国民のことを思われる両陛下の御姿に接し、誰もが感動したことでしょう。私は、避難所で親しくお声を掛けられる両陛下の御姿を拝して涙が止まりませんでした。


東日本大震災発生からちょうど2ヶ月となる5月11日、両陛下には福島市と相馬市の避難所を御訪問なされ、地震発生時刻の午後2時46分には、移動中のヘリコプターの中で黙祷を捧げられたといいます。


またその後、津波被害の大きかった相馬市の原釜・尾浜地区を視察なされましたが、相馬市長が「この地区では146名の方の死亡が確認されています」と説明すると、雨が降るなか傘をたたんで黙礼されたのでした。


当時首相であった、国賊・菅総理のパフォーマンスだけの被災地訪問を報道で見るにつけ、被災者に罵倒を浴びせられている姿が映し出されておりました。たとえ売国政権の首相や閣僚が何百回行ったとしても両陛下に及ぶものではありません。


というのは「真の心」を、被災者や原発事故で避難を余儀なくされた人々に寄せられているからです。被災地に降り立った両陛下が、被災された場所に立たれて黙祷を捧げる姿からも察することが出来ます。まさに「祈りの心」「励ましの心」「希望への心」です。それは、昭和天皇様の戦後の地方巡幸を、御心としてお引継ぎになられているからです。


雲仙・普賢岳の噴火、阪神・淡路大震災、三宅島噴火、新潟県中越地震、同中越沖地震などさまざまな災害における、両陛下による「平成の御巡幸」とも言うべき被災地ご訪問もまた、被災された方々に大きな勇気と希望を与えたことでしょう。


そのことは、今回の陛下の御手術で、被災地から安堵の声やご健康を気遣う声が多くあがったことからも察することができます。


産経はこう報じてます…。


陛下心臓手術 被災地に勇気と励み「両陛下が互いに支え合うお姿に心温まる」


東日本大震災の被災地を訪問された天皇陛下の手術が無事終了したことに、被災地からは18日、安堵(あんど)の声やご健康を気遣う声があがった。

宮城県名取市閖上(ゆりあげ)の会社員、佐藤広さん(47)は「大丈夫だとは思っていた。体調がお戻りになったら、またこちらにも来ていただきたい」と手術終了に安心した様子だった。

自宅が東日本大震災の津波で被災した新田雅子さん(75)は現在、名取市内の仮設住宅(美田園第1団地)に住む。「陛下には早くお元気になっていただきたい。天皇、皇后両陛下が互いに支え合うお姿には心が温まり、勇気づけられます」と語った。

福島県相馬市の金子武史さん(33)は「ほっとしました」と話し、妻の智子さん(34)も「公務でお忙しいとは思いますが、くれぐれもお体を大事にされてください」と気遣った。震災直後の避難所で、天皇陛下からお声を掛けられた管野セツ子さん(74)も「2度目の手術で心配だったが、無事終わって何よりです。お元気になられることを願うだけです」と祈るように語った。

管野さんによると、握手されたときの天皇陛下の柔らかい手は、避難所で凍えていたはずの自分よりも冷たかったという。「足取りはしっかりされていたんですが…」と振り返る。

避難所内のブースを別々に慰問されていた天皇陛下を、常に目配せしながら確認されていた皇后さまの姿も印象に残っているという。「いつも天皇陛下をお気にかけているように見えた。皇后さまが一番心配されていたのでは」と話した。

岩手県大槌町の仮設住宅に住む藤原静香さん(22)は「うれしいの一言です」と安堵の表情。昨年5月初めに県内の被災地に入られた両陛下をテレビで見たとき、「これまでの“雲の上の印象”ががらっと変わった」。床に膝をつき、目線を被災者の高さに合わせられている姿に衝撃を受けたという。

「ご無事で良かった」。同県釜石市の小野寺有一さん(45)も表情を和ませる。政治不信が被災地を混乱させる中、陛下の心配りが被災者を励まし続けた。「国の象徴として、国民は被災地を忘れないという思いを体現してくださっていた。今度はわれわれが陛下に寄り添っていかなければ」と話していた。

しかしながら、両陛下は、国体開会式や植樹祭など恒例の地方巡幸や国事行為などのご公務と並行して被災地のお見舞いをお続けになり、ご疲労はピークに達していたとのことです。昨年11月には熱と咳がひどくなられて東大病院にご入院され、気管支炎と診断されて19日間も入院なされました。


その激務によるご負担を思うと益々御体が心配されます。公務軽減の必要性については宮内庁も認めているところです。ご公務を含めて、ご無理なされずにご静養いただきますことを、国民ひとしく願っているところであります。

ただし、式典への出席などの見直しは大いに進めて欲しいのですが、国民の目に触れない宮中祭祀こそ、安易に簡略化すべきではないと思うのです。それは、両陛下が宮中祭祀の伝統を守ることに強い意欲をお持ちになられているからです。


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