いや~、ホイットニー・ヒューストン(48)死亡の報はちょっとショックでしたね。
彼女の死を悼んでか、YouTubeの再生回数が異常なまでにうなぎ登りになっております。
私が若い頃、今のようにカーオーディオとは言わずカーステレオと呼ばれていた時代、カセットに録音した曲をよく車内で聴いてドライブしていました。
その当時は、アメリカの三波春夫と呼ばれる国民的歌手のライオネル・リッチー(62)やディオンヌ・ワーウィック(71)のバラード曲をよく聴いたものです。
ライオネル・リッチーはかつてコモドアーズのヴォーカルだったんですけど、ソロとなってからは「トゥルーリー」や「オール・ナイト・ロング」などが大ヒットしましたよね。特に、 デュエット曲「エンドレス・ラブ」は全米1位の大ヒットを記録し、今でもデュエット・バラードの定番となっています。まあ、日本でいえば石原裕次郎の「銀恋」のようなものですな。
そして、昭和60年にホイットニー・ヒューストンが衝撃のデビューを果たしたのですが、当時の触れ込みは“ディオンヌ・ワーウィックの従姉妹”というものでした。
デビューアルバムでの「セイヴィング・オール・マイ・ラヴ・フォー・ユー」やセカンドアルバム内の「アイ・ワナ・ダンス・ウィズ・サムバディ」など、当時よく聴いたものです。
そして、平成4年にケヴィン・コスナーと共演した映画「ボディガード」ですごい成功を収めましたよね。ホイットニー・ヒューストンも初主演ながらラブシーンにも挑戦し、彼女の新曲6曲を収録したサントラが全世界で4,200万枚を売り上げ、日本でも当時洋楽史上最高の280万枚を売り上げる驚異的なヒットとなったのは記憶に新しいところです。
特に、主題歌の「オールウェイズ・ラブ・ユー」は絶対的な歌唱力で全米シングルチャートで14週連続No.1を記録し、自身最大のヒット曲になったんですよね。実はこの曲、カントリーの大物歌手・ドリー・バードンの昭和49年のヒット曲をカバーしたものなのです。
当時はスナックのカラオケで…。
「And I will always love you」
「Will always love you」
「You, my darling」
と、全部歌えないもんだから、歌唱力のある店の女の子に歌ってもらい、サビのこの部分だけ一緒に歌ったものです。
そんなホイットニー・ヒューストンも、晩年は低迷期が続き、離婚、そしてアルコール・薬物依存のくり返しで、おまけに最近では破産寸前であると報じられるなど負のイメージが強かったのですが、今年8月に公開される映画「スパークル」に16年ぶりに出演し、復帰をかける予定だったのですが、遺作となってしまいました。
古くは、マリリン・モンロー(36歳没)やエルヴィス・プレスリー(42歳没)、最近ではマイケル・ジャクソン(50歳没)など、世界的ミュージシャンの早過ぎる死が後を絶たちませんよね。日本でも、hide(33歳没)や尾崎豊(26歳没)などが若くして亡くなっています。
やはり、栄光の陰に「薬」と「酒」があるのだけど、世界の頂点を極めた人達でも、悲しみ・寂しさに耐え切れなくなるのですかね?。
謹んで哀悼申し上げる次第です。
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