今朝の地元紙・北國新聞第一面に、「中能登町小中の卒業式~全校で“仰げば尊し”」「一昨年まで歌われず“世代超え祝福”と復活」と題して大きく取り上げられていましたので、以下に全文を掲載いたします。


中能登町で今年3月、全小中学校8校の卒業式で「仰げば尊し」が復活することになった。石川県内19市町で全校が斉唱するのは同町が唯一となる。卒業式で最もなじみの深いこの曲も、歌詞が難解などとして採用を見送る学校が増え、中能登でも一昨年まで全く歌われていなかった。同町は世代を超えて歌い継がれた曲こそ、地域一体で子どもたちを見送るのにふさわしいと判断した。


中能登町は来春の統合中開校へ向け、「師の恩に感謝する歌が聴かれないのは寂しい」との住民の声を受け、昨年3月、鳥屋、鹿島、鹿西の3中学校の卒業式で「仰げば尊し」が復活した。3校では、子どもに感謝の心を養う良い機会になったとの声が相次いで寄せられていた。


地域の要望などにも配慮し、昨年9月から町教委や校長会で検討し、全校での斉唱が了承された。同町の小中学校は道徳教育を重視しており、東日本大震災以降、家族や地域の絆を見直す動きが強まったことも復活を後押しした。


親でも若い世代はなじみが薄い人もいるとみられ、滝尾小では12日、若い保護者向けに「仰げば尊し」の練習会が開催される。池島憲雄町教育長は「門出を地域挙げて祝い、さらなる成長を祈る場にしたい」と話している。


中能登町以外でも、金沢市米泉小や能美市辰口中が「卒業式は親や地域の行事でもあり、厳粛な雰囲気にふさわしい」「各世代をつなぐ大切な歌」と再評価し、今年の卒業式から復活させる見通しである。


県内では、卒業式で「仰げば尊し」を歌うのは全小学校225校、中学校94校のうち、小学校13校(6%)、中学校20校(21%)に過ぎない。


学校関係者によると、「文語調の歌詞は時代にそぐわない」「歌詞の意味が分かりにくい」などの理由で敬遠され、近年は「巣立ちの歌」や「旅立ちの日に」、流行歌を式歌として採用する傾向が強い。「仰げば尊し」復権は現段階では一部にとどまっている。


とのことで、とても歓迎すべきことです。


「仰げば尊し」は、明治17年に発表された文部省唱歌で、卒業生が先生方に感謝し、学校生活を振り返る内容の歌で、特に明治時代から昭和にかけて、学校の卒業式で広く歌われ、親しまれました。


私などは、小学校6年の時、卒業式の予行練習で、この「仰げば尊し」を当時流行った、ぴんからトリオの真似をしてド演歌調にこぶしを回して歌ったものだから、先生に後ろから「こらぁっ!」とゲンコツを食らわされた記憶があります。


かつて卒業式の定番曲であった「仰げば尊し」ですが、現在でも我々オジザイル以上の世代を中心に、日本の多くの人々の記憶に残る歌となっています。


しかし、歌詞が文語調であるため、児童・生徒には分かりにくいということなどから、卒業式で歌われないことも多くなり、卒業式合唱曲を「旅立ちの日に」、「贈る言葉」、「さくら(森山直太郎)」等、より近年のヒット曲を中心にする学校が多くなりました。


さらに、2番の歌詞では「身を立て名をあげ」と立身出世を呼びかけている事が「民主主義」的でなく、また「いと」「やよ」のような文語は「難解である」との労働者先生の解釈もあり、敬遠されたんですよね。


そこで、保守思想が教育を救い、日本を救う、教育者から見た日本再生の道を信念とする、ある公立中学校教師のブログ から以下に引用させていただきました。


「仰げば尊し」が歌われなくなった理由

全国の公立学校で、卒業式シーズンが近づいてきました。
卒業式と言えば、かつて日本で最も歌われたのが唱歌「仰げば尊し」です。

明治17年(1884年)に発行された『小学唱歌集』第3編に収録されたのが、唱歌としての始まりと言われており、明治から大正、昭和にかけて、卒業式でよく歌われ、日本人の記憶に残る素晴らしい歌です。

卒業生が、お世話になった先生方や学び舎の恩に感謝し、そして旅立ちの志を立てるという素晴らしい歌詞は、長年に渡って、多くの学校で卒業生の歌として、歌われてきました。私も、小学校の卒業式で歌った記憶が蘇ります。

しかし、残念ながら現在はあまり歌われなくなりました。
理由は、大きく分けて3つほどあるそうですが、1つには、「歌詞が教師への賛美であり、民主主義にそぐわないこと」だそうです。

しかし、お世話になった先生の恩を有難く、尊く感じることが、教師への賛美なのでしょうか?。

むしろ、そう感じて卒業できる生徒は立派な先生に出会えて幸せで、将来に渡るかけがえのない財産を手にしたと言えると思うのですが…。

現実と乖離しているから歌わないということであれば、日本の学校とは、本当に質が低下したとしか言いようがありません。

「報恩」を忘れた日本人
報恩とは、自分が受けた恩に報いることを言います。
恩に報いるには、まずは、恩義を恩義としてきちんと受け止める感性が必要です。

しかし、先生から受けた多くの指導に恩義を感じず、ただ「うっとうしい」としか感じ取れなかったり、指導を無視して心を閉ざす生徒が年々増加しているように思います。
それは、決して子どもたちだけの責任ではありません。

親も、「教師が生徒に指導するのは当たり前」で、税金を納めているのだから「学校からサービスを受けるのは当然」だと、教育を単なるサービス業と勘違いして、我が子へ掛けられた手に恩義を感じることが少なくなりました。

また、教師も、教育を単純なサービス業として考え、クレームがつかない程度に職務をこなしさえすればよく、生徒や親にどう思われようと意に介さないと言ったドライ感が学校を覆っています。

これでは、子どもたちに、恩義を感じ取れる感性を育てることは難しいでしょう。
そんな学校や社会環境の中では、「仰げば尊し我が師の恩」という歌詞は、いかにも嘘臭く、白々しくなってしまったのかも知れません。

日教組の魔の思想
次に、「仰げば尊し我が師の恩」という歌詞が、仮に教師への賛歌であったとしても、それが民主主義にそぐわないと言う理由も、的が外れています。

それを言うならば、民主主義にそぐわないというよりも、戦後の平等主義にそぐわないと言うべきでしょう。

以前にも書きましたが、戦後の学校現場を覆う『平等主義』とは、「教師と生徒は人間的に対等で、平等でなければならない」という悪魔の思想です。

教える教師と習う生徒の立場が対等で平等では、教育そのものが成り立たないことは議論を待たないでしょうが、「指導から支援へ」などと、教育への冒涜・教育のネグレクト状態としか言えない主張を繰り返して、子どもを野放しにし、我が国の教育を荒廃させてきた日教組の思想がそれです。

こうやって、卒業式で「恩師に感謝する」という、かつては当たり前だったことを、歌にのせて表現する機会さえ奪われてしまった子どもたちが、いかに不憫なことでしょう。

今こそ、「仰げば尊し我が師の恩」を感じ取れるような豊かな感性を持った子どもを育て、再び、卒業式で「仰げば尊し」を歌って、感動を持って学び舎を去っていく卒業生が増えていくことが、荒廃する我が国の教育再生の一つの指針となるのではないでしょうか。

こんな立派な先生ばかりだと、日本の教育再生への道も早まるのでしょうが、なにせ、政府与党の幹事長が日教組の大親分ですから、話になりません!。

さて、昨年の4月1日、まだ春休み中だった高校生の末娘とお昼ご飯を食べながら「笑っていいとも」を観ていたのですが、その中のコーナーで、~アラゆる世代の男女に聞きました~「思い出の卒業ソングといえば?」というのをやっていました。

レギュラー出演者が年代別の順位を当てるもので、これが全問正解の時のものですが、この画像のみクリックすると大きく拡大します。


はじかみ神主のぶろぐ

これを見ると、20代と30代の1位となったのは合唱曲の「旅立ちの日に」で、40代は「贈る言葉」、50代と60代は「仰げば尊し」となっていました。


ちなみに、高校生の娘が選ぶ10代のベスト5はこうなっています…。


1位、いきものがかりの「YELL」


2位、アンジェラ・アキの「手紙~拝啓 十五の君へ~」


3位、EXILEの「道」


4位、レミオロメンの「3月9日」


5位、コブクロの「桜」


その他、卒業ソングといえば、GReeeeNの「遙か」や川嶋あいの「旅立ちの日に…」、Janne Da Arcの「振り向けば…」や「桜」、ゆずの「栄光の架橋」などがいいとのことですが、オジザイルにはさっぱりわかりません!。


20代と30代の1位となった合唱曲の「旅立ちの日に」は、それまで歌われていた「仰げば尊し」が、その内容が教師を崇めるものであるとか、歌詞が文語調であるので児童・生徒には分かりずらいなどの理由でだんだんと歌われなくなり、代替で「桜咲く頃」など、このような現代調の歌が歌われるようになったことは前述しましたが…。


今朝の新聞報道のとおり、最近は、自治体や保護者からの呼びかけで「仰げば尊し」が一部の地域や学校で復活の兆しが見え初めています。これが全国に広がることを期待するものです。


ですが、その前に、先生は労働者である前に聖職ですから、子供達にイデオロギーを押し付けないで、生徒達に「仰げば尊し 我が師の恩」と、尊敬される先生になってもらいたいものです。ねえ、日教組の先生方!。


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