明日は我が国の建国を祝う「紀元節(きげんせつ)」であります。
明治のはじめ、第一代・神武天皇御即位の日を現在の暦に換算し、2月11日を日本の建国をお祝いする日に制定し、「紀元節」といたしました。
その後、昭和23年にGHQの圧力よって祝祭日の変更がなされた時、紀元節は世論の多数(81%)に反していったん廃止されました。
日本が、昭和27年に主権を回復して以来、紀元節の復活を求める国民運動が盛り上がり、昭和41年12月の国会で「建国記念の日」として復活したのでした。
国民ひとしく、国旗を高く掲げ、我が日の本の建国を謹んでお祝いいたしましょう!。
そこで、以下に、神武天皇即位建都の大詔(おおみことのり)をご紹介します。
三月(やよい)辛酉(かのとのとり)朔丁卯(ついたちひのとうのひ)〔BC662.03.07〕、令(みことのり)を下して曰(のたま)はく。
「我(われ)、東(ひむがしのかた)を征(う)ちしより、茲(ここ)に六年(むとせ)たり。頼(こうぶ)るに皇天(あまつかみ)之威(いきおい)を以て、凶徒(あた)就戮(ころ)す。邊(ほとり)の土(くに)未(いま)だ清(しず)まらず、餘(のこり)の妖(わざわい)、尚(なお)梗(あれたり)と雖(いえど)も、中洲之地(うちつくに)、復(ま)た風塵(さわぎ)無し。
誠に宜(ろよ)しく皇都(みやこ)を恢(ひら)き廓(ひろ)めて、大壯(おおとの)を規(はか)り慕(つく)るべし。而(しか)るに今、運(よ)、屯蒙(わかくくらし)に屬(あ)ひて、民(おおみたから)の心朴素(すなお)なり。巣に棲(す)み穴に住み、習俗(しわざ)、惟常(かんながらのつね)たり。
夫(そ)れ大人(ひじり)、制(のり)を立て、義(ことわり)、必ず時に隨(したが)ふ。苟(いやし)くも、民(たみ)に利有(かが)らば、何ぞ聖(ひじり)の造(わざ)に妨(たが)はむ。且(かつ)當(まさ)に山林を披(ひら)き拂(はら)ひ、宮室(おおみや)を經營(おさめつく)りて、恭(つつし)みて寶位(たかみくら)に臨(のぞ)み、以て元元(おおみたから)を鎭むべし。
上(かみ)は則(すなわ)ち乾靈(あまつかみ)の國(くに)を授(さづく)之德(みうつくしび)に答へ、下(しも)は則ち、皇孫(すめみま)の正(ただしきみち)を養(やしなう)之心(みこころ)を弘(ひろ)めむ。然(しか)る後、六合(くにのうち)を兼ねて以て都(みやこ)を開き、八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)と爲(な)す、亦(また)た可(よろし)からず乎(や)。
觀(み)れば、夫(か)の畝傍山(うねびやま)の東南(たつみのすみ)の橿原(かしはら)の地は、蓋(けだ)し國(くに)之墺區(もなかのくらし)乎(か)、之(これ)を治(おさむる)る可(べ)し」と曰(のたまう)。
是の月に 即(すなわ)ち有司(つかさ)に命(みことのり)し、帝宅(みやこ)を經(つく)り始(は)じむ。
これは『日本書紀』巻第三・神武天皇の条の記述によるものですが、ここにおいて…
「八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)と爲(な)す、亦(また)た可(よろし)からずや。」
というふうに、天の下に暮らす全ての国民が家族のような共同体であるべきと仰られているのです。
今こそ、戦後の自虐史観からの脱却をはかり、「八紘一宇」の精神を以って、御皇室の弥栄と、日本国の隆昌、世界の恒久平和をお祈り申し上げる次第であります。
「皇居遙拝」
「橿原神宮遙拝」(画像はクリックすると拡大)
![はじかみ神主のぶろぐ](https://stat.ameba.jp/user_images/20110211/02/hajikamijinja/c0/61/j/t02200206_0800074811040236096.jpg?caw=800)
「聖寿の万歳」を、皆さんと共に、声高らかに御唱和致したいと存じます。
「天皇陛下 万歳」
「万歳」
「万歳」
神武天皇即位紀元(皇紀)貮阡陸陌柒拾貮(2672)年
薑(はじかみ)神主 拝
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