昨日は紀元節(建国記念の日)でしたが、当社の社名である「はじかみ」が初めて出てきた話に、古事記中巻、神武天皇ご東征の条、つまり賊徒(ぞくと)・長髄彦(ながすねひこ)を討(う)たれた項にあります。


神武天皇御製


「みつみつし 久米(くめ)の子等が垣下(かきのもと)に植ゑし椒(はじかみ) 口ひびく吾は忘れじ 撃ちてし止まむ」


というくだりです。なお、御製(ぎょせい)とは天皇様がお詠みになられた和歌のことで、「久米の子」とは神武天皇に従った軍隊で、今風に言えば禁闕守護(きんけつしゅご)の近衛師団に例えることが出来ます。


ここでの「椒=はじかみ」は「和の椒(わのはじかみ)」である山椒(さんしょう)と解されていますが、その後、中国渡来の生姜も「呉の薑(くれのはじかみ)」と呼ばれるようになりました。(※中国〔支那〕は日呉れる国であることから)


「はじかみ」とは、歯で噛(かん)んで辛いもののことをさします。その生姜や山椒などの辛いものの古名(こみょう)を名乗るのが当・波自加彌神社(はじかみじんじゃ)です。古くは、「波自加」「波自加」とも表記されました。


若葉の繁る毎年6月15日には、「波自加彌大祭(はじかみたいさい)」がおこなわれ、「生姜まつり」とも呼ばれています。


と、当社の宣伝をしてからブログを書きますね。


昨日は、朝6時の日供祭(にっくさい)にあわせて紀元祭と陛下の平癒祈願祭をおこなった後、神役(じんやく)のFさんとともに、北森本町に鎮座する川崎神社の火伏祭(鎮火祭)並に田祭り(祈年祭)の奉仕に参りました。


それにしても、江戸や上方(かみがた)の太平洋側が雪だと、反対に日本海側が快晴になるんですよね。たまには雪の大変さを味わうのもいい機会です。


はじかみ神主のぶろぐ


参道途中には小さな川が流れています。架かっている橋の名は「五鈴橋」と言います。


はじかみ神主のぶろぐ


天照皇大御神をお祀りする神社なので、伊勢の神宮を流れる清流の五十鈴川になぞらえて、五鈴橋と命名したのです。


はじかみ神主のぶろぐ


私が謹書した由来碑です。クリックすると拡大します。


社名の由来は、古来、神明宮或いは川向社(かわむかいしゃ)と称していましたが、森下川(もりもとがわ)の崎にあるので、川崎神社に改称しました。


はじかみ神主のぶろぐ


社殿ですが、まだ雪が残っていまね~。天照皇大神をお祀りする神社なので、当社の第一の末社となっているのです。氏子の戸数は200軒ほどです。


社殿の左には社務所と神庫が連なっております。


はじかみ神主のぶろぐ


神役のFさんが神饌(しんせん)をあらかじめお供えしました。鎮火祭をあわせて斎行するため、火を連想する赤い色の鯛だとかニンジンとか、リンゴやイチゴなど、赤い色の魚や野菜果物を供えません。


はじかみ神主のぶろぐ


祭典後、50人ほどの参列者に、社頭講話として紀元節の意義や、2月10日におこなわれた加賀市大聖寺の旧国幣小社・菅生石部神社(すごういそべじんじゃ)の例祭である、県無形民俗文化財の御願神事(ごがんしんじ) 、通称・竹割り祭りのことをお話し申し上げた次第です。


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